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コラム15: 言葉を持つことが人間を人間たらしめる理由
私たちが自らの感情や思考を正確に他者に伝えるには、言葉が欠かせない。言葉は単なるコミュニケーションの手段を超え、自己理解や他者理解を深めるための不可欠な道具であり、他人と共存するうえでの要ともいえる。
もし人がその「言葉」を持っていなければ、感情を行動や暴力でしか表現できず、結果的に動物的な振る舞いが顕著になるだろう。言葉が足りないことの危険性や、型を通じた言葉の教育がなぜ必要かについて考えてみたい。
言葉がないと「思考」が成り立たない理由
人は言葉によって、過去と現在、そして未来を行き来しながら物事を考える。過去の経験を振り返り、未来の展望を描くことは、言葉というツールなしでは極めて難しい。例えば、幼い子どもが衝動的な行動をとるのは、彼らが自分の気持ちを言葉で適切に表現する手段を持たないからだ。これは学びが足りていないためであり、言葉を得ることで初めて自己を客観的に捉え、他者と円滑に関わる基盤が築かれていく。
特に、動作主の区別や時間の概念など、複雑な思考のための「ツール」としての言葉は、人間にとって知性の大部分を占めるものである。だからこそ、言葉が不十分だと、感情を理性的にコントロールすることが難しくなり、「野蛮な」行動に走りやすくなる。つまり、言葉を持つことは、人間がただ生存するだけでなく、よりよく生きるための基本的な要素である。
型を通じて言葉を学ぶことの意義
では、どうすれば言葉をより効果的に学べるのだろうか。それは、まず型(フォーマット)を教えることから始まる。型を持つことで、言葉の使い方や思考の進め方が分かりやすくなる。自由に考え、感じることが尊重される現代ではあるが、「型」に沿った学習が基礎であり、その枠組みの中でこそ、自由な発想も生まれやすくなる。
例として、小学校や中学校での読書感想文が挙げられる。しかし、この読書感想文には問題も多い。生徒に「自由に感想を述べよ」と言われても、言葉を使って自分の考えを表現する術を十分に持たない子どもたちにとって、これはむしろ苦行となりがちである。多くの大人が読書感想文を苦手としていた記憶を持っているのは、道具も持たされずに「自由に」感想を書くことを強要されたためだろう。
従って、まずは、次のような型を通じて、具体的なステップを教えることが必要だ。
1. 話の内容を順にまとめる(誰が何をして、どうなったか)
2. その内容に対してどう感じたかを述べる
3. なぜそのように感じたのか、理由を説明する
こうした流れで書かせるだけでも、多くの生徒が初めて言葉による自己表現を身に付けることができる。特に初学者にとっては、自由に書くよりもむしろ、このような「枠組み」を与えられるほうが、安心して言葉を用いることができるのだ。
型を超えて自由な思考を持つために
言葉を学び、型を身に付けたうえで、やがては型を破る自由な発想も可能となる。人は、自分の言葉で思考し、感じたことを自信を持って伝えられるようになってはじめて、周囲の環境に惑わされず、他者と対等に付き合える力を持つ。この段階に至って初めて、言葉がもたらす「知性の豊かさ」を実感できるだろう。
最終的には、言葉がただの表現手段ではなく、個々人の精神や思想、そして人間関係の基盤となる。私たちは言葉を通じて自己を知り、他者を理解し、人間としての成長を続けることができる。だからこそ、言葉の学びが必要不可欠であり、子どもたちにはその学びを型に沿って、基礎からしっかりと積み上げていってほしい。