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作品をつくること

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普段作品を作りながら思うこと、考えたこと、そんな話をまとめています。
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#美術

彫刻の本質を考える

彫刻の本質を考える

この記事は前回の記事「次元を問う ー作品が立体になる時」の続編です。
単体でもお読みいただけますが、ぜひ合わせて読んでいただければ幸いです!

"従来の彫刻"が指す価値観ー彫刻の成り立ち

「立ちあがるかたち」の展示のステートメント及び「次元を問う」シリーズのアンケートの中でも、"彫刻"という言葉をあえて避けて"立体作品"という言い方をしてきた。正直、"彫刻"という言葉は文脈によってその意味の変容

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穴を掘ること、水を待つこと、そしてそれから、

穴を掘ること、水を待つこと、そしてそれから、

「諸岡って穴を掘ってるみたいな進み方だよね」

と、友達にそんなことを言われたのは予備校時代、浪人生の時だ。
その頃わたしたちは藝大目指して毎日毎日、石膏像をデッサンしたり、水粘土で自分の頭部を作ったりしていたわけだけど、その受験に向かう姿勢、進み方が「穴を掘っているよう」だと言うわけだ。

どのあたりでそう思われたのかわからないけど、まあなんとなく、自分でも納得できた。

穴を掘ってるよね、とい

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「予感」についてー最果ての向こうの風景

「予感」についてー最果ての向こうの風景

以前、「最果て」という自分が初めて大理石で制作した作品について、前編/後編と分けて記事を書いた。

その後の話として、「予感」という作品について書いてみようかと思う。

「最果て」はわたしにとって、一言で言えば祖父の死と向き合うことだった。

そんな「最果て」を彫っていた学部3年のころ、見に行った展示で非常に印象に残るものがあった。東京都写真美術館でやっていた「マリオ・ジャコメッリ展」だ。

その

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コンプレックスのその先へ

コンプレックスのその先へ

彫刻(及び彫刻科)には、多かれ少なかれ「マッチョイズム」がある、と思っている。

ここでいうマッチョイズムっていうのは、こう「体力勝負で作品はデカイ方が良くて力持ちのやつが強い」みたいなもの。簡単に言うと。もちろんそれが全てじゃないけど、そんな価値観が全くないとは言い切れない。

でもそれがいいとか悪いとかっていうことをここで論じたいわけでは全然なくて、ここに書くのはわたしのもっと個人的な話である

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Where am I ? - Here (個展の話)

Where am I ? - Here (個展の話)

個展「Where am I ?」が無事終わってからもう一ヶ月近く経とうとしている!早い。来てくださった皆様、気にかけてくださった方、本当にありがとうございました。

最初は、展示タイトルを「Here」にしようと思っていたのだけど、今の自分が「ここだよ!」って言えるほど足元固まってないなあ、と思って、「Where am I ?」というタイトルに変えた。ちょっと情けないタイトルだ。でも格好つけてもしか

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「最果て」によせて(後編)ー受け入れる

「最果て」によせて(後編)ー受け入れる

※前編はこちら→「最果て」によせて(前編)ー石は割れる

制作していた石が真っ二つに割れてしまった。
その時、わたしは自分が何を彫ろうとしていたのか、もう一度見つめ直さなければならなかった。

話は石を彫り始める前に遡る。

………………

3月に、春からは石を彫るぞということだけ決めて、一体どんな形を彫るのかは全く決まっていないのに、「ザラメみたいにキラキラして素敵」というだけで一目惚れの勢いで

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「最果て」によせて(前編)ー石は割れる

「最果て」によせて(前編)ー石は割れる

わたしは石を彫って作品を作っている。と言うと、たいてい

「ええ、石って割れちゃったりしないんですか?割れちゃったらどうするんですか?」
「木とか粘土とか、他にも素材はあるのに、どうして石を彫っているんですか?」

というようなことを聞かれる。
石って割れるんじゃないですか、どうして石を彫ってるんですか。

一つ目の質問から答えよう。割れます。石は割れる。割れちゃったり、全然する。
多分、石彫をや

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