「最果て」によせて(前編)ー石は割れる
わたしは石を彫って作品を作っている。と言うと、たいてい
「ええ、石って割れちゃったりしないんですか?割れちゃったらどうするんですか?」
「木とか粘土とか、他にも素材はあるのに、どうして石を彫っているんですか?」
というようなことを聞かれる。
石って割れるんじゃないですか、どうして石を彫ってるんですか。
一つ目の質問から答えよう。割れます。石は割れる。割れちゃったり、全然する。
多分、石彫をやっている人なら誰しも「石割れちゃったエピソード」の一つや二つ、持っているんじゃないかと思う。
かくいうわたしも派手に割れちゃったエピソードを一つ持っている。しかも記念すべき石彫デビュー作。
そして二つ目の質問。どうして石を彫っているんですか。
奇妙な話だと思われるかもしれないけれど、あの時、あの石が割れてしまったからこそ、今でもわたしはこうして石を彫り続けているのだと思う。
その話をするために、わたしが初めて大理石で作った作品「最果て」について、書こうと思う。
ずっと誰にも言ってこなかった話。
口にしたら、言葉にしたら、意味が軽くなって、大事にしてたものが、消えてしまうんじゃないか。うまく言えないけど、そういう恐怖をずっと抱いていて、作品の話をするのが怖かった。
大事なものほど、表に出すのは怖くて、慎重になる。
ここで言うのが正解なのか、意味があるのかはわからないけれど、どうして石を続けているのか、少し話したい気分になったので、書いてみようと思う。
…………………
学部3年生のとき、初めて大理石で彫刻作品を作った。
わたしは、粒子が荒くてザラメみたいにキラキラ光る白い大理石を彫っていた。
大理石は、日が当たると青白い雪原のように眩しかった。大きさは、横幅が120cm、奥行きが60cm、高さが70cmくらいだったと思う。
私は大きな山のような、もしくは大きな白い布を被せられた人のような、ゆったりとした形を彫っていた。
しかし、大まかな形が見えてきたころ、高さが気に食わなくなった。最初は台座に乗せずに直置きの予定で作っていたが、やはり石の高さを半分にして、展示台に乗せたいと考えた。
助手さんに相談して、いらない部分を割って落とすことになった。
作品を横に寝かせて、石の横っ腹からドリルで穴を開け、せり矢という楔をいれてそれを石頭ハンマーで叩いて打ちこみ、矢が外側に開く力を利用して石を割るのだ。
大理石というのはなかなか厄介な石で、癖が強い。まっすぐ割ろうとしても、思わぬ方向に割れることもある。だから、なるべくまっすぐ割るために、私はたくさん穴を開けた。横からも開けた。これで完璧だ。
せり矢を穴にはめ、それを石頭で叩いていく。カンッカンッと、最初は高い音が響く。そこそこのサイズの石を割ろうとしている私の周りには、どれどれ割れる瞬間を見届けようと見物人が何人か集まっていた。まるでちょっとした石割ショーだ。わたしはせり矢の頭を叩き続けた。
コン、と音が低く変わった、見ると、もうクラックがはいっている。もうあと数発で割れる!みんなの期待が高まる中、もう一度わたしはコン、と矢を叩いた。しかしその時、わたしも周りのみんなも、アッ!と息を飲んだ。わたしの石頭を振る手が止まった。
まっすぐに降りてきていたクラックは、どういうわけだか、ちょうど真ん中まで降りてきたあたりで、綺麗に90度、十字を切るように枝分かれしたのだ。そう、そのクラックは、わたしが彫っていた作品部分に及んでいた。
このまま叩けば、確実に作品は真っ二つになる。
「いやだ、もう叩きたくない。」
大人げもなく駄々をこねてみたが、駄々をこねたところで結果は変わらない、割れかけの石をこのまま放置したってどうしようもない。みんなが同情の眼差しを向ける中、わたしは泣きたい気持ちで石頭をもう一度振った。
石は4分割に割れ、作品は真っ二つに割れた。
…………………
そこからしばらく、わたしは作品に手をつけなかった。つけられなかった。どう進めていいのか、わからなかった。
色んな人が「僕も、昔作品が割れたことがあってね…」とそれぞれの割れたエピソードを聞かせてくれた。傷心しているわたしへの、慰めで励ましだった。
「作品を変えたらどうだ。せっかくきれいな割れ肌なんだ、割れ肌を活かした別の作品にしてしまったらどうだ。」
「接着してみたらどうか。接着するなら、穴を開けてピンを入れたほうがいい。色の目立たない接着剤もあるにはある。」
そんなアドバイスももらった。
けれど、わたしはわからなかった。ただ、作品を変えることだけはしたくないと思った。接着するかどうか、迷いつつ、とりあえず割れ肌のままになっている底面を平らに整える作業をしていた。
でもいつまでも迷っているわけにはいかなかった。どうするか、決めなくてはいけなかった。
わたしは、その作品を作ろうと思ったきっかけを、もう一度振り返ることにした。そのエピソードを、なるべく詳細に一から追憶し文章に書き起こして考えを整理する作業をした。それは、辛い作業だった。でも、今思えばその作業こそ、一番大切な作業だったと思う。