見出し画像

同調圧力に屈したくない私のささやかな抵抗


はじめに

同調圧力。小さな日本を蝕む恐ろしい病。このnoteでも多くのライターさんが、この忌まわしい「現象」について検証されていることと思います。今回のエッセーでは、その原因私なりに考察するとともに、自分がコイツに屈しないためにやっている、本当にささやかな抵抗について少し書いてみたいと思います。なぜ日本人は同調圧力を好むのか?その理由はおよそ3つあると思います。一つ目は人間そのものが持っている特性。二つ目は江戸時代が生んだ負の遺産。三つめは日本人が生まれながらにして持っている特質です。ではさっそくそれぞれについて説明していきましょう。

社会性に頼る人間

20世紀までの人類は、社会を営むことによって文明を築き発展してきました。本来人間は、猛獣などに比べると体力や攻撃力に劣っているため、他者と協力して知恵や武器を駆使して対抗しなければなりませんでした。こうして「社会」を形成することで、人類は進歩して来ました。

私たちが集団を形成して分業して協力し合い、その利得を分け合うことが可能だったからこそ繁栄を享受することができたのだとしたら、その社会性を保持し、集団をつくることそれ自体が、生き延びるための武器となる

中野信子「脳の闇」

私たち人間が繁栄を継続していくためには、この社会性維持していく必要があります。そのために人間はある種残酷な選択を日々行っています。

集団を維持するために邪魔になる要素は、なるべく排除する必要がある。たとえば、みんなの協力を搾取し、それを裏切る利己的な行動を取り続ける人。こうした利己的な振る舞いを続ける個体が見つかった場合には、集団から消えてもらわなけれならなかった。さもなくばその集団は維持できず、丸ごと消滅し、皆が死に絶える可能性が高くなるからだ

同書より

こうして人間のは、異分子排除常に考えているのです。ネットでの中傷「正義」を振りかざして他者を傷つける行為、同調圧力なども実にその一環で、私たちの脳の役割として生来的に与えられてしまっているのです。マイノリティーと言われる人たちへの偏見差別無言の圧力も、好むと好まざるとにかかわらず、人間の脳の作用として起きてしまうのです。

余談ですが、最近の世の中が洋の東西を問わず、ナショナリズムがめきめきと台頭しているのは、AIデジタル技術進歩によって、人間がもはや社会性を必要としなくなってしまったことに対する、脳の危機感の現れなんじゃないかと思います。このままいけば、確実に人類は長い歴史の中で獲得してきた社会性という「安住の地」を失ってしまうでしょう。デジタル技術を惜しみなく活用すれば、個々の人間は社会を必要とせず、自立して生きていくことが出来るからです。しかしそれは人間の脳からすれば、あってはならないことなのです。脳は人間が生きていくために、社会性は維持されなくてはならないとあくまで考えています。ナショナリズムという欲望を人々に起こさせることで、人間を国家という社会縛りつけておきたい脳の策略だと、私は考えています。

江戸時代の負の遺産「五人組」

江戸時代は260年近くにわたって存続していただけに、私たち日本人の基本的なアイデンティティキャラクターに対して、様々な影響を及ぼしていると考えています。その具合を私は既に「江戸時代と日本人の性格の相関関係について」で述べておりますが、その中で敢えて触れませんでした「五人組」という制度について、今回は書かせて頂きます。

「五人組」のことは歴史の授業で皆さん学習されたと思いますので、何となくお分かりだと思います。そうです。江戸時代に制度化された相互監視体制です。5戸を一つの単位として百姓や町民を相互に監視させ連帯責任を負わせたものですね。村落単位キリシタンの取り締まりや、年貢の確保、治安維持などを行うために整備されていきました。そうした物騒な面が主ですが、生活補助といったセイフティーネットの役割も一部果たしていたようです。

江戸時代は元禄文化化政文化など華やいだイメージもありますが、一面、疫病火事でバタバタと人が死んでいましたし、当時は今以上に天候に左右され作物が全く採れない状態もざらでした。また藩によっては悪政が続いて一揆が多発していましたから、今と比べると決して住みやすい時代ではありませんでした。さらに江戸の民はお互いに監視しあいながら生活しておりましたので、濃淡はあるでしょうが、大変に窮屈な生活を強いられていたと思います。五人組はやがて形としては消滅しますが、戦中の「隣組」にその精神は引き継がれていきます。

現代日本を蝕む同調圧力の源は、この五人組制度に端を発していると思います。今でもありますよね、何となく周囲が気になることが。隣の家は今何をしているんだろう?随分と騒がしいが誰が来ているだろう?うちの子は受かったけど、隣のお子さんはどうなのかしら?なんてよくありますよね。それはまさに5人組の残り香なのです。

セロトニンの分泌が少ない日本人

日本人は外国人に比べてセロトニン分泌が少ないそうです。恐らく、たまたまセロトニンの分泌の少ない集団が日本に定着し、子孫増やしていったんでしょうね。セロトニンは不安を抑える効果のある脳内物質のことです。セトロニンの分泌が多いと、不安が起こりにくく、精神的に安定しますね。何でも積極的に取り組むことが出来ます。また、未知の経験に対しても、貪欲にアタックしていくことも出来るでしょう。逆にセトロニンの分泌が少ないと不安を誘発しやすく、になりやすかったり、自分や他人を信用できなくなったり、強迫性障害の原因になったりします。またジンクスに囚われやすかったり、迷信を信じやすくなります。

いかに他国ではもはやマスクを外していますよ、と言われても、日本では人目をはばかって、公衆の見ている場で一人だけノーマスクで居続けることは、なかなかの心理的負担になるだろう。目立ってしまう、ということへの脅迫的な不安が、多くの人の中に存在するということがわかる

同書より

まさしくマスク人前で外せない空気。これを同調圧力と言わずして何といえば良いのでしょうか?

同調圧力へのささやかな抵抗

同調圧力?に屈しないように、私が普段心がけていることを書きます。

【消滅するその日までガラ系を使い続ける】
例え周囲の反応冷ややかであろうとも、私はガラ系を使い続けます!

【生きていけなくなるその日まで、マイナンバーカードは作らない】
政府系機関のアカウントが、これまで誰にでも簡単に乗っ取り可能だったと先日報道されていました。善意の第三者からの情報提供だそうです。その人が善人だったから良かったものの、もしハッカーだったらと思うとゾッとします。日本のセキュリティ対策ってそんなレベルなんですね。ザルそのもの。それなのにマイナンバーカード一枚で何でも管理なんて、恐ろしすぎる…。

「M-1グランプリ」は見ない
最近のM-1は王道のじゃべくり漫才や、安心して見ることの出来るコント皆無となりました。とにかく大声で他者を圧倒するような、怒鳴っていればOKみたいな感じの笑いが多くなりました。敗者復活戦サンドウィッチマンが優勝した時のような、高度な笑いが消え失せてしまったように思います。時の流れとはそういうものなんですけどね。

流行り物のスイーツには絶対に手を出さない
韓国台湾由来流行り物スイーツは食べない。おはぎ饅頭モンブラン。日本人にとって定番の「御菓子」を楽しむ。ティラミスも先日ようやく、とある外食チェーンバイキングで食べました。

流行り物のドラマは積極的には見ない】
「不適切にもほどがある!」「虎に翼」「光る君」…。流行り物のドラマはほどんどまともに見てません。嫁さんが見ている物をチラッと目にすること以外には。マスコミやSNSでどれだけ盛り上がっていても、我関せず精神で。もちろん流行り物とはいえ、大好きなアニメ対象から除外しています。

土用の丑の日にウナギは食べない
ウナギそのものが嫌いなので、これはすんなりクリアです。でも「う巻」は好きでたまに食べます。逆にウナギはこれでしか食べられません。

これが果たして同調圧力への抵抗と呼べるものなのかどうか、私には皆目分かりませんが、世の中に流されないための努力として考えています。

さいごに

これまで述べてきた内容から察して頂けるとは思いますが、残念ながら同調圧力をこの日本から根絶することは不可能なのです。それは人間の脳そのものの特性であり、江戸時代を経験した日本人の体に染み込んでしまった「性格」であり、日本人の身体的特徴だからです。だからこそ、私たちは同調圧力という魔物を呼び出さないように、常に自分たちを俯瞰的に観察し、本能を律しつつ理性を大いに発揮して生活しなければならないのです。同調圧力は私たち日本人にとって、非常に心地の良い物なのです。ですから油断するとそこかしこに、竹の子のようにうじゃうじゃ生えてきます。

社会にはその安定を維持しなければならない宿命がありますが、マイノリティーによって進化するという側面同時に持っています。異分子を排除するのは構いませんが、一掃してしまった先には、社会の進化は止まり、下手をすると崩壊を招いてしまう恐れもあります。自分と異なる考えを許容するのは至難の業ですから、せめてその存在を許す懐の深さは欲しいものです。自分とは何かを問うことは、同時に他者が何であるかを知ることです。脳の欲望対抗できるだけのパワーを、多くの人持っていただけると幸いです。

                              おしまい

参考文献:中野信子著「脳の闇」(新潮新書)

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集