エッセー「三国志」あっち、こっちvol.1
第1回 「呉下の阿蒙」
その昔、私が嫁さんの両親に結婚を反対されていた時のこと。
7~8年ぐらいだったでしょうかね、向こうの親御に酷く反対されておりましてね。まあ、私は昔から“変わり者”と呼ばれておりましたもので、そんな男と大事な娘を結婚させるわけにはいかないと、向こうの家族は大反対でした。それでも嫁さんは私の何が良かったのか、結婚相手は私でないとダメだと頑固に抵抗しておりましてね。嫁さんの努力の甲斐あってか、親父さんが久々に私と喫茶店で相対することになりました。
何を話したのか、私はとにかく気が動転しておりまして、ハッキリとは覚えておりませんが、自分が今の会社でどれ程の辛い思いをして仕事をこなしているとか、そんなことで人の気持ちが分かるようになったとか、もう次から次へと色んな言葉が口をついて出てきたのですね。
どのくらい経ったんですかね。親父さんは笑顔になって、「もう分かった。じゃあ今度家に遊びに来なさい」と言っておりましたね。
その時、私は三国志の中のあるエピソードを思い出していました。
三国、呉の話。力自慢の呂蒙はある日、主君の孫権から呼ばれてこう言われました。
孫権「なあ、呂蒙よ。お前は力も強いが実に賢い。だから一度兵法でも勉強 してみてはどうかな?」
呂蒙「いえ、忙しくてそんな暇は有りません」
孫権「忙しいと言うが、あの曹操はどうだ?戦場にも本はかかさず持って行くそうだぞ。お前は地頭は良いのだから、勉強すればきっとものになるであろう」
そんなことを言われた呂蒙。次の日から猛勉強の毎日。
それを知らない友人魯粛。呂蒙と久しぶりに問答を交わしてみると、あら不思議。自分が終始押されっぱなしではないか。そこで魯粛。
「いやはや、お主はもう昔の蒙ちゃんではないな」
すると呂蒙。
「士別れて三日すれば、即ち更に刮目して相待すべし」(「呉書」呂蒙伝注)
(男は三日合わなければ、目を大きく開けて相手を見るべきですぞ)
呂蒙はその後、呉の軍資格の武将として大活躍したそうな。
その時、親父さんにそういえば良かったかなあ。いや、そんなことを言ったら、元の木阿弥ですね。
つづく