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映画『レ・ミゼラブル デジタルリマスター/リミックス』から考えたこと
久しぶりに感動したことがあり、
思考が巡ったのでその考えのまま書いていきたいと思います。
考えたこと
一旦考えたことをそのまま書くと
人は愛に惹かれるし、誰かのために自分の生命を捧げる姿に心を奪われる。
これは世界共通なんだなと。
資本主義の社会に生きていると何が正しさなのか揺らぐ日々、自分の信念で誰かのためになれることが何より素晴らしいと。
愛とは生きる力
作品を理解できる26歳になった
昨日レ・ミゼラブル デジタルリマスター/リミックスを見に行きました。
2012年に公開されてから12年を経て最新技術を用いて音や映像を再編されたものが今回公開されていました。
実は12年前の当時中学2年の14歳で見ていたのですが、見たことは覚えていたものの内容やその時に感じたことは全く覚えていませんでした。
にも関わらず曲だけはすごく好きで、意味はあまり理解せずにずっと聞き続けていました。
そんな愛着もあったため、昨年の9月にイギリスに行った際、ソンド・ハイムシアターでミュージカルを鑑賞しました。
訪れた人の口コミを見ても大絶賛のなか、私は全然感動することができませんでした。
今思うと、なんてもったいないことをしたのかと思いますが、事前準備を怠ったことによりストーリーを理解できず、挙げ句の果てに時差による睡眠不足から睡魔に襲われ。
そんな思い出の中、元旦にお母さんに誘われて3度目のレ・ミゼラブルを鑑賞しました。
やっぱりこの作品自体は引き寄せられるんてわすよね。
そしたらなんと、ここに来て心を動かされ思考が巡る体験をしてしまったのです。
まず思ったこととして、12年の時を経て私は26歳になり、やっとストーリーを心から理解できたことに感動しました。
26歳にもなったので、社会人4年目で社会の厳しさを知ったり、何人かとお付き合いをしたので誰かを愛することを経験し目の前に映し出されるストーリーに自然と共感することができたのです。
物語ってその一節の裏側を想像できるからより味わい深くなると思っています。
2時間38分の長編てずが、一文、一節が人生の経験と絡み合いどっぷりストーリーに巻き込まれてしまいました。
私は世界共通の信念に安心した
この作品は1985年ロンドンでの初演以来、全世界の観客動員総数は1億3,000万人だそうです。
考えてみると世界の人々の心を魅了するということは、人が求め信じたいことは世界共通なのではないかと思いました。
イギリスで鑑賞したときも、終わった後全員がスタンディングオベーションをしていたので余計に信じるものは確かなのだと実感しました。
ここ最近は資本主義のビジネスの世界にどっぷり浸かり、いかに打算的に利己的になるかといった思考に偏っていました。
先輩は自分の利益のために周りを使い上司に使えるやつだと思わせ、私はその先輩が欠けてる部分を補うことで自分もメリットを享受できるだろうと打算的になったり。
彼氏に嘘をつかれ、本当の私は相手の事情を理解して受け入れ昇華しようと思ったけど、周りの友だちに「自分の気持ちを大切にするためにも、ちゃんと嫌な気持ちを伝えな!」と言われ自分らしくない怒り連絡をしてしまいました。
きっと自分を自分で満たせていればこの不安な気持ちを相手に満たしてもらう必要がなくなるから、自分は弱くて利己的だなとか思っていました。
賢い非情さなんて嫌
なんか、最近この【賢い非情さ】に囲まれているのです。
先輩も上司も彼氏も、この言葉がピッタリ合います。
1年前には居なかったのに、面白いくらいそんな人達が周りにいる。
もしかしたら気づいてしまったから、見えるようになったのかもしれないですな。
ただ周りがそうだと、私もこの【賢い非情さ】求められるんですよね。
その反面私が信じたいものは、誰かを心の底から想い、自分自身をその相手に捧ぐことでした。
身も蓋もないですが本当に常に利他的でありたかったのです。
だから自己欺瞞の日々で何が正解かわからなくなっていたんだと思います。
そんな私に手を差し伸べるようにこの映画は信じるものを諭してくれました。
これを書いている今も、まだ100%確固たる信念を持てず、自分を注ぐ見返りがないことへの怖さが頭を巡り。
その一方自分が納得する生き方を求める自分もいて。
なんか本当は登場人物1人ひとりについて述べていきたいのに長くなってしまいました。
やっぱり心の底から思うこと
やっぱり人を想い人の喜びのために生きていくことほど素晴らしいことはないと思います。