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社会的に死んでることにしたいの

浪人が決まった時、最初にしたことはSNSの整理だった。

高校3年生の夏、吹奏楽部でのストレスが溜まりに溜まって、過呼吸で倒れた。周りの人に「裏切られた」気持ちが募り、倒れた後も私の味方をしてくれる人がいなくて、これ以上ない孤独を味わい続けた。高校の部活の人は誰一人として、友達とは思えないも思った。

さすがに受験の年だったからそれまでコツコツ勉強していたのに、倒れてから身体が思うように動かなくて(2~3週間くらい微熱が続いていた模様)、夏はパタンと勉強ができなくなってしまった。その後もメンタル面はずっと不安定で、そこへプラス受験。秋から猛勉強したけれど、わたしは受かる気がしなくて、結局全落ちした。

専門じゃ嫌なのと、親からも大学へとの声があり、浪人することが決まった時、真っ先にしたのはLINEとInstagramの整理、Twitterをアンインストールしたことだった。

勉強の邪魔になるのも理由の一つ。でもそれ以上に、裏切った人たちはのうのうとキラキラした大学生になり、その様子を見たくないのがあった。LINEは片っ端からブロック、グループは抜けたことになるのが何となく嫌で、通知だけ切った。Instagram フォローを外してバレるのが嫌だからミュートにした。 今も私は見に行こうとしない限り、部活の子のInstagramの様子が目に入ることは無い。

これ以上無いくらいめんどくさい手段で、高校の部活の人との関係を絶った。LINEもSNSでのDMも時々来るけれど、話したくもないとこじらせていた私は1つも返信していない。アカウントを変えたとかで申請してくる人もそのまま、何度も通知が来るのが嫌だからそのまま。よく分からないアカウントも含めて、80以上のフォローリクエストが溜まっている。

自分でもこんな人めんどくさいと思う。ややこしすぎるし、こじらせ過ぎ。でも当時の私にはこれしか自分を保つ手段がなかった。強制的に関係を断つことで“もう連絡してこない安心感”の中、生きていた。


高校の部活の子とは、誰一人として会わず、連絡も取らず、私は自分を“社会的に死んだ”ことにして生きている。

最近になってようやく折り合いが付けられた気がする。でもやっぱりあの状況でいろんなことを言ってきたことを、私は許せないし許さない。そんな人たちを信じられない。一生会わずに、違う世界で生きていきたい。高校の同窓会も一生行かないつもりだ。

そんな私の友達は限りなく少ない。大学も機械工学科という超男子の世界だったから、気軽に話せるような友達は多くない。わざわざ会おうとはなかなかならない。軽い気持ちで連絡取れる人は、片手で数えられるほどもいない。

それでも私は、それがいいと思っている。
人と多く関わることが良いとは限らない。

それよりも何でも話せるような、「明日会える?」「いける」みたいなノリな人がほんのちょっといれば十分しあわせに生きていけると思う。広く浅く関わるよりも、狭く深くの方が絶対心地いい。

私が浪人した時にした行動は、世間的に良いとは思われないだろう。連絡を無視している人が何人もいる。でも、そうしないと保てなかった心があったし、それ以上連絡が無いならそれでいいと思う。これ以上関わっても良いこと無い。あの時の自分の行動を悔やむまい。

私は同じ青春を3年間も共にした人たち約40人からは、社会的に死んでることにして、うっかりどこかで出会ってしまわないように気をつけながら、今いる人を大切にして生きるの。

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