「あ、共感とかじゃなくて。」
展を見に行ってきました。
他人に共感しなきゃ
と思うことがあります。必要以上に共感したいと思ってしまう。
無意識であっても、私は共感しすぎて他人の影響を受けすぎてしまう。悲しいことや辛いことだったり、特にマイナス面についてはそれが強い。
これは私の良さであり、悪いところでもある。
そんな私がこの展示を見たら何か変わるんじゃないか
そんな期待を胸に、訪れた。
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この展示のテーマは
「共感しなくてもいいんだよ」
「見知らぬ誰かを想像する」
の大きく2つだと感じました。
一言で感想を言うと、「気持ち悪い」だった。
特にテーマの「共感しなくてもいいんだよ」を伝えるような展示に、強く気持ち悪いという感情が産まれました。
理由は、どう考えても理解不能だったから。
私には理解しきれないと思ったから。
この気持ち悪さは、見た人にしか絶対伝わらない。
だからぜひ、足を運んでみてください。
「見知らぬ誰かを想像する」では、
私はやっぱり共感してしまうことが多かった。
例えば、コロナ禍に集めた月の写真。🌙
はじめはもちろん、窓越しの、家の中からの月ばかり。誰が撮っても似たような写真の集まり。
それが、 少しずつコロナが緩和されるのと同時に、色彩豊かな月の写真に移り変わっていった。外に出て撮った写真だ。
コロナ禍の外出できない思いを乗せた写真から
コロナ明けの外での楽しい写真
自分の辛かったことを思い出しては、あんなこともあったよね。大変だったよね。うん、わかる。なんて共感していた。
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ジェンダーについての展示もあった。
そこで私はひとつの冊子を手に取った。
例えば天気の話をするように痛みについて話せれば
というフレーズに惹かれた。
「今日はいいお天気だね」と言った調子で痛みについて話せれば、もっと今より会話がしやすいよねというテーマの、ジェンダーについての展示会のパンフレットだった。
でも、私はジェンダーに限らずそう言っていいと思う。
誰しも痛みや苦しみを持っている。私はそれを人に話したくても、嫌われたくない思いから全部一人で抱えて苦しかった。でも、人に話して救われることを知った。
だから、どんな痛みでも苦しみでもいい。
どれだけ小さくてもいい。
それを「いいお天気ですね」なんて能天気にじゃなくていいから、他人に話してごらん。少しは苦しみの重さは減るよと言いたい。
「無理に共感しなくていい」はもちろん、
「共感できないから、新しい選択がみえる」
そんなことを感じた。
共感してくれて嬉しい
共感してしまう
共感されたくない
どれも存在する感情だと思う。その全てを尊重して、共感するにせよ、しないにせよ、そんなことを考えなくたって
目の前にいる誰か、という他人の置かれた立場を想像して対話することの必要さを訴えかけているのではないかと思った。
理解不能な空間と雰囲気の
「あ、共感とかじゃなくて。」
不思議な体験をしました。
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