どうして私が問い詰められるのでしょうか
お仕事の理不尽って致し方ない部分もあると分かります。私は悪くないけれど謝らなくちゃいけないこと、すでにあります。それくらい良いのです。私は善人でないし、心やわやわ(よわよわ)でも無いし、割り切るドライさを兼ね備えているので、原因突き止めて、解決策出して、次は無いようにしますって言ってそれでだいたいことは収まる。それで収まるのならそれでいいのです。
私の仕事は仲介することでもあります。
クライアントと私のようなディレクターと制作と、
私は制作とクライアントの仲介をします。だから制作面でのトラブルがあったとき、制作が原因で何かあった時、謝るのは私の立場になります。
制作側のトラブルが1ヶ月の間に立て続けにあり、とうとうお客さんとの定例のミーティングの前に、またトラブル発生。制作側のせいで何度謝ればいいのでしょうか。
最初は怒りを明らかにぶつけてきたお客さんも、私に言っても仕方ないし、私は全然悪くないと思ったのか、そこからは分かりやすく“制作”の人に向けて言われるようになりました。
サービスやシステム、組織体系的に、制作は他社や業務委託だけれど、会社の人認識でお客さんには伝えているので、どのトラブルやミスも会社の責任。しかもディレクターにしか影響は降ってこないので、まさに板挟み状態です。
この出来事で私は自分を「上手くなったな〜」と思いました。きっと、今までだったら、やばい!またミスった!と心の中で泣く泣く仕事したと思います。またやっちゃったよ…と。でも原因は明らかに私には無いこと、嫌な仕事も来てしまうこと、そして仕事は必ず終わりがあることを、目の前の先輩の姿から感じられるし、その考え方や捉え方も私の中に徐々にインストールされていってる気がします。
私は100%悪くないし
制作の人は変えればいいし、
やるしかないし、この仕事はやれば終わる
じゃ、やるしかないか。
と、気まずいお客さんとのミーティングもなんとか乗り越えました。
仕事柄、これからもこんなことは多いんでしょう。
もうそれは仕方ないし、私の性格上ドライでさっぱり切ってしまうから、今回ばかりはもう3回も4回もミスってばかりの制作の人には依頼しない。依頼できない。せっかく挽回のチャンスがあったのに。
それで私はやることやればいいんだ。
24歳の私は一回りは上の大人に向かって、とことんミスした原因を深堀りして、どうしたら無くなるか考えて、何度も頭を下げられてしまった。仕事ってすごいなぁとそれ以上の言葉ではちょっと表しづらいことまで経験しました。
もうしょうがない。私はできることをする。