不幸があるから幸福もあるのでしょうか
幸せについて考える時間は幸せではない
コーヒーの香りのする朝
がらがらのお昼の電車
夜中に手を繋いでいくコンビニ
陽を浴びながら一日中布団にくるまる日
彼に髪を乾かしてもらう時間
これは間違いなく、絶対的に幸せな瞬間です。
でもたぶん、世の中のほとんどは相対的な見られ方をするんだと思います。
だったら、幸せだなあと感じるのも、不幸な時があるから幸せを噛み締められるのでしょうか。落差があるから、高い時の喜びは思う存分嬉しいし、低い時はものすごく落ち込むような気もします。平坦な毎日だったら、嬉しいも嬉しくないも、落ち込むも、その度合いはものすごく小さくなりそう。
確かに
コーヒーの香りのしない朝もある
通勤通学のぎゅうぎゅの電車がある
一人で行く夜のコンビニもある
暗い部屋で落ち込む日もある
1人寂しくめんどくさく髪を乾かす時もある
だから、そうじゃない瞬間が、幸せに感じるような気もしなくもないのです。
じゃあ、私たちの求める・考える幸せってなんだろう。どんどん実態が分からなくなってきます。
道端に昨日は見なかった花を見つけたこと
ボロな雰囲気の居酒屋さんがめちゃくちゃ美味しかったこと
ふと見上げた夕日
はらりと舞う桜の花びら
彼に触れた瞬間
ものすごく小さくて、くだらなくていい。でも、そんな心動かされた瞬間のひとつひとつ、またその集まりが幸せなんじゃないかなと思うのです。
初めに言った
幸せについて考える時間は幸せではない
たぶん、それはそうだと思います。
でも、四つ葉のクローバーを探す時間はとてつもなく幸せな時間な気がします。
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