戻ってくる場所は芸術なのだろか
なににも囚われず純粋に楽しかったこと
それはやっぱり吹奏楽だと思う。
高3の夏にあんなことにならなければ、一番楽しく、そしてひたむきに頑張って高みを目指したものは吹奏楽だ。
部活を辞めて、吹奏楽は一度も聴いていない。でもサックスはときどき生演奏を見かけて立ち止まる。
近所のお姉さんが吹奏楽部にいて、小6の最後の春に定期演奏会に行ってアルトサックスのソロに憧れた。かっこよかった。お姉さんはトランペットでこちらも花形なのに見向きもせず、サックスの音を探し、そのルックスと音とかっこよさに惚れた。
生まれて初めての一目惚れだったかもしれない。
吹奏楽の世界は私には辛いことの方が多かった。でも1人で吹くこともみんなで合わせることも、サックスというものも、どれも好きで無我夢中で練習した。吹奏楽にもサックスにも、熱中していた。
私には自分の中にある表現したいものを、実際に表現できるだけのスキルは身につけられなかったけれど(たぶん理想が高すぎる)、自分はその曲をどう感じ、自分の吹くフレーズをこう伝えたいと思いながら練習して、それが伝わったときの感動が忘れられない。
そういった意味ではピアノは先生に助けてもらってずいぶん上手く表現できるようになった。技術はまだまだの私を「こう弾いたら、思うように弾けるよ」と、そんな私の弾きたいピアノを教えてくださる先生がいた。その先生に出会ってから練習が好きになった。表現の仕方を知り、ピアノもサックスもどちらにもいい影響をくれた。
私の「こう弾きたい」は言葉にしたわけではない。全体の曲のイメージやたくさん聴いた音源から「これだ!」と思う歌い方のイメージを頭の中に鮮明に作って、それを出したい!と気持ちを乗せて弾いていた。
次第に、悩み事があるとピアノを弾いた。辛い時も悲しい時も、ピアノを弾くようになった。それは私の言葉にならない気持ちを、指に乗せられているような気がしたからだ。
言葉は無くとも伝わる感覚
そして表現したいことを表せること
これが楽しくてピアノもサックスも吹奏楽も
続けたんだと思う。
自己分析の中ではそういった意味で芸術分野は自分に合っていると感じていた。
でも美術はとてもじゃないけれどできない。
美術の授業は好きだった。考えることが多くて、でも自由でとても楽しかった。ただ自分の作品に自信が持てなくて見て欲しく無かった。
ずっと前から見たかった『ブルーピリオド』
YOASOBIさんがアニメの主題歌を歌っていて、その曲『群青』が実は一番好きな曲。一番好きなのに原作は知らなかった。
これは成績優秀、世渡り上手、人望もあるリア充男子高校生が美大を目指す受験物語。
アニメでは無く漫画に出会って、あっという間に美大受験編(6巻)を読みすすめた。
そのはじまりの第1巻2筆目(2話目)
これにものすごく共感した。
“書くこと”と同じくらい“描くこと”に興味がある。
言葉が、文章が好きだ。
それが私の唯一の表現手段だから。
でもどう頑張っても、きっとこれからどれだけなにかをしても言葉にできない気持ちは生まれる。言語化してくてもできないものも、あえて言葉にしたくないものも。
それでもたくさんの想いや感情や気持ちを、自分の中で抱えておけるほど私は器用ではない。抱えすぎると重たくて歩けなくなってしまう。
言葉にできないものを体内から出す手段として、美術分野も欲しくなるのは当然のことのような気もする。
だから表現手段をたくさん持つ後輩ちゃんに憧れるのかな。
私はまともなイラストすら描けない、本当に“描くこと”を知らない人だけれど、どうにかならないだろうか。
少なくとも私には言葉以外の表現手段が必要だと強く思う。