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HSS型HSPに生まれて

物事の受け止め方や感覚が、人のそれとは違うということには気づいていた。その感覚の差は埋まらなくて、家族にすら理解されない。たまに生きていることが苦痛に思えるときもあったりして。

ある人には、ことあるごとに「この世の中は気づいた者の負け。気づいた側の人が気づかない人たちを気遣って生きていくのだから」と言われた。あなたは気づきすぎると。

私はこの言葉が大嫌いだ。なぜ生まれもった感覚で生きているだけで「負け」なのだろうか。なぜそんな言葉を吐くのだろうか。私にはわからないし、わかりたくもない。

この数年で自分がHSS型HSPであることに気づき、ようやく少し気持ちが楽になった。生きづらさは相変わらずだけれど。それでもなぜ自分が他人とこんなにも違うのか、その理由がわかっただけでも私には救いだ。

私は、生まれもったこの感覚で、この世界のすべてを感じ取って生きていく。痛みも苦しみも切なさも悲しみも、喜びも幸せも楽しさも美しさも、そのすべてを非HSPの人よりも鋭敏に感じ取る。それでいい。それがいい。HSPの私だから見える世界がある。HSPの私だから伝えられることがある。

気づくことは、決して「負け」ではない。

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