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真っ当に狂ったら、人生に光が戻ってきた話

「真っ当に狂っていた」

この言葉を聞いたら、一瞬頭のなかに「?」マークが浮かぶ方もいるかもしれない。
だって日本語としておかしい。

しかし、私はある人にこの言葉を言われたことがある。

「おまえは真っ当に狂っていた。だからちゃんと戻ってこれたんだよ。」

正確にはそう言われた。
これは、私がうつとパニック障害に苦しんでいた頃をよく知る人間が、ここ数年の元気になった私を見て言った言葉だ。

病気に苦しんでいた当時の私の生活は、とにかく荒んでいた。働くこともできず、薬の副作用で食欲だけは異常なほどあって、あっという間に体重が20キロも増えた。孤独に堪えられず、毎日お酒を飲みに出かけていた。お酒を飲む場に行けば、誰かしら人がいて寂しさが紛れたから。

向精神薬を飲んでアルコールも摂取するのだから、酔い方は異常だ。それだけでも酷いのに、飲むアルコールもテキーラなど、度数の高いものを飲んでいた。記憶を失くすのはもはや通常。道端で寝ていたり、失禁することもあった。(後に失禁は向精神薬の副作用だったことを知る)

要するに、当時の私は合法でラリっていたようなものだったのだ。

お酒を飲んで、酔って、好きでもない男性と体の関係をもった。そして、そんな自分を嫌悪する。嫌悪するのにどうしてもそこから抜け出すことができずに、ずっと負のループを描き続ける。気付くとそんな毎日が6年続いていた。それは永遠に続くかのように、長く、辛い6年であった。

そんなドン底をなんとか抜け出した今あの頃を思い返すと、当時の私は、私なりにきちんと荒み、きちんともがき苦しんだのだろうと思う。どうして自分はこんなにダメな人間なのか、どうしてみんなが普通にできるていることが私にはできないのか、そうやって自分を責めて、泣いて、苦しくて、ずっと1人で。そのくせ病気の自分に変なプライドを持っていて、みんな分かってくれないと言ってすべてを周りのせいにする、ひどく嫌な奴だった。だからまともな人間関係も作れずにいた。いま思い出しても苦しいし、泣けてくる。

あのとき、薬を服用しながら、なんとなく仕事も続けられて、なんとなく人間関係も保てて、なんとなく生活をまわすことができて、そんな中途半端な落ち方をしていたら、もしかしたら私は今もそこに居続けていたかもしれない。

振り子と同じ。
悪い方向にちゃんと振り子が行ききったから、今度は良い方向に振り子が振れる。人生はいつだってその繰り返しで、その降り幅が大きいか小さいかの差なんだと思う。

私は1度、落ちるところまで落ちた。
狂っていた。いま考えたらあり得ないと思うようなことをたくさんしたし、多くの人に迷惑をかけた。

もう2度とあんな思いをしたくない。もう2度と、あんな風に人に迷惑をかけたくない。ちゃんと落ちきらないと、本当に大切なことに気付けない人間もいる。その1人が私だったのだ。

「おまえは真っ当に狂っていた。だからちゃんと戻ってこれたんだよ。」

そう言われて府に落ちた。
今は、痛いくらいその意味がわかる。ここに戻ってこれた今、私の人生は光を放ち、輝き始めている。

真っ当に狂ったら、人生に光が戻ってきた。
そんなお話。

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