父について語ることは容易ではない。あまりに思うことがありすぎる。
普段の生活のなかで父のことを思い出すことはほぼないが、ふとした瞬間に思い出したときの、あの苦々しいような重苦しいような、そんな気持ちはたぶん一生消えないのだろう。
私が9歳のとき両親は別居。10歳のとき離婚。父と最後に面と向かって会ったのは12歳。その後、19歳のときに一度電話で話すも、そこからは一切連絡を取ることもなく、私が25歳の冬に彼は死んだ。
私たち家族には、きっとみんなで笑いあった時間だってあったはずだ。けれどそれを上回る多くの痛みと悲しみの現実が、笑いあった記憶をどこか遠い彼方にやってしまった。
私や姉たちにとっての父は生物学的な親ではあるけれど、心のうちではもはや他人だ。彼の横暴さに私たちの人生は大きく振り回されてしまっ
た。そこから抜け出すことが人生の目標になってしまうくらいに。そして今でも彼から受けた痛みや傷はなかなか消え去ってくれない。
幸か不幸か、私たち姉妹は父の死に目に会うことができた。病院に駆けつけたとき、すでに意識のない父の耳元で、私たちは代わる代わる囁いた。これまでの恨み辛みを。
「私たちをこんなにも傷つけて自分はサッサと死ぬなんて、あんたは本当に最低だ」
娘たちにこんなふうに耳元で囁かれながら死ぬ人生とは何なのだろうか。それは果たして幸せだったのだろうか。私は父のような死に方だけはしたくない。人が死ぬその瞬間には、その人が人生で何を行ってきたかのすべてが出るのかもしれない。少なくとも父は私たちを幸せにはしなかった。その結果が父の死際にあらわれたのだ。
私たち姉妹に後悔はない。あれでよかったのだと思う。きっと父には聞こえていただろう。彼の最後の瞬間が苦しみに満ちたものならば、それが私たちの本望だ。
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