手放すこと
1度知ってしまったことを、知らなかったことにはできない。
そばにいる安堵感、心地よい温もり、離れ難いあの感触。
それらすべてを、どうしても自ら手放すことができなかった。もうどうにも誤魔化しが効かないことは、明白だったけれど。それでもどうにか、この心のなかのモヤモヤをこのまま見ないふりをして、そうしていればいつかそれも霧散して消え去って、すべてはうまいこと進んでいくんじゃないかなんて思ってみたりもした。
何度も何度も繰り返し考えて、でもそのたびに私の思考がそれは「不可能」だと訴えかけた。
そこまで明白にわかっていても、自ら手放すことができなかった弱い私は、最後の選択をあの人に託した。
あの人が言い出すことも、わかっていたのだ。
どうしたって、流れは二人が一緒にいられるようには作られていなかったのだから。
着々とそのことが判明していくなかで、それでもあの人といる時間は楽しくて、嬉しくて、幸せで、ずっとくっついていたくて。一瞬、すべては解決したかのように勘違いしそうになってしまった。
けれどあの人はちゃんと切り出した。
私は心のなかで「ああ、ついに来てしまった」と瞬時にすべてを悟った。
どうしたって、君の答えを変えることはできなかった。私もその時には、一緒に居続けたい気持ちと、でも一緒には居続けられないだろうという諦めの気持ちがない交ぜになっていて、本当は引き留めても無駄なことはわかっていたのだ。
自ら手放すことができなかった弱くて狡い私の代わりに、あの人が切り出してくれた。だから最後にあの人が決意を固めたとき、私もようやくこの流れには逆らえないことを痛感し、彼の意見を受け入れた。
あの日以来、彼とは一切の連絡を絶った。
待ち続ける人生なんて、あまりに悲しすぎる。
たった4ヵ月半の出来事だ。
言葉にしたら、その呆気なさに驚いてしまう。
でもそのたった4ヵ月半が、私の人生を動かし始めた。私が私らしくあるための人生が、あのとき始まった。いま私は、不幸ではない。それなりに幸せでもある。あの出来事が自分の人生に必要だったことも、理解している。それでもときどき思い出す。あの何の混じり気もない、真っ直ぐな、愛しい笑顔を。