
【人間論と学習論】
ITなどの技術系の仕事と現場での人との対応系の仕事と…
ベネッセの原田泳幸さんは、「マックからマックへ転身」で有名だ。
技術のマックから現場のマックへ。そしていまは両方の側面を持つ教育界へ…
さまざまなことが複雑に絡み合っている教育界は、学習論と人間論を区別しつつ並行処理せにゃ…と感じる。(。-_-。)
熱心な教師や高名な教師が言うこの言葉。
「教師は授業で勝負する」
「いや、学級作りが大事だ」
「いやいや教師は学級経営と授業の両輪、総合的な在り方こそがすべて」
これまで随分と教育実践書や教育雑誌、教育論に関する著書を読んできた。たくさんの学級を見てきたし、講座にも参加した。登壇もしたし、原稿も書いた。そうしてようやく思うんだ。
〇学級作りと授業作りという二分法的発想がそもそも間違っている。
私が提案している授業論と学習論は、そういうことじゃない。授業論とするから分かりづらいので、授業論を人間論と、、今日から言い換えようと思う。いま自分が手がけている仕事は技術系なのか、それとも人を相手にしている対応系なのかを分けて考えると教育界がすっきりと見えてくる。
学級経営という土台の上に授業がある。ずっとそう感じてきた。しかしながら、それも誤り。学級作りと授業作りは、子どもを自立させるという目的の平面上にある。
たとえば、ITの教育現場の活用は、、
私たちは学習形態やハードの準備、問題解決学習、ブレーンストーミングといったITでできる学習論を提案する。加えて、それを活用する教師を育てる研修も行う。後者が人間論になる。これをごっちゃにしたり、情報機器だけ、活用出来る人材だけを導入するから暗礁に乗り上げる。
最近、学校を回っていると、学習規律の徹底のめあてといって、教育委員会から面白い掲示物が配付されているのを見かける。
学習の準備
・勉強の用意をしておこう。
・トイレ、水飲みをすませよう。
・チャイムの合図で席に座ろう。
・教科書、ノート、筆記用具など必要な用具を机の上に重ねて置く。
授業の準備
・返事をしよう。
・聞くときは口を閉じる。
・話している人を見よう。
・挨拶の始めと終わりの挨拶をきちんと行う。
・教科書は左、ノートは右に置く。
・うなずいたり、あいづちを打ったりしながら聞く。
・丁寧な言葉で、最後まできちんと話す。
他にも、ヒントカードを用意したり、グループ学習の形態を指定したり、話し合いの型を提示したり。。。
「やれやれだぜ」と思う。もちろん、なるほどというものが多いのだが、そもそも考え方に誤解がある。こうした規律は、ルールとして徹底できるものと、実態に応じて変化させなければ運用できないものがある。学習論と人間論が分けられていないから、こんがらかってしまう。さらに、こうした規律を縦糸・横糸の織物モデルだとして、さらに誤解してとらえる傾向がある。縦糸をひく人間関係とは、不健康な状態であり、いかにして横糸を織り上げるかが良い学級をつくるカギである。ほめる・叱るといった賞罰による強い縦糸によるつながりは、決して強いつながりを持った強いクラスをつくることはできない。縦糸とは、学級をつくっていく上で、授業をつくっていく上での学習論、横糸とは、人に対人支援職として子どもたちや同僚に対応する声かけだったり、非言語の対応だったり、傾聴スキルだったり。
4月に入り、いよいよ新年度。新しい学級や環境にどきどき不安や期待を抱いているとしたら、いまやるべきことは、人間論と学習論をはっきりと分けて考えることだ。
いまは、4月から少なくとも半年間、10月まで保つシステムを考えることだ。実態に応じて変更が可能で、大人が運用しても違和感を感じないもの。
次に、子どもは出来ると心底信じること。こちらは一朝一夕にはいかないのだけれど。少なくとも教師の価値観を押し付けるような「みんながやっているから」とか、「最初が肝心だ」とか言ってきびしくムリに接しようとしないこと。この子らには合わないなと感じたら、よく話を聞いてみるという姿。
いま「クラス会議」がすごい!/学陽書房¥1,944
「クラス会議」は、学習論がすっきりしている。システムとしてわかりやすい。ただ、学習論のみでは、成立しない。声かけや傾聴といった人間論が確実に理解され、それらを総括的にアセスメントできる教師が必要だ。
人間論と学習論について学ぶには、それらを個々の教員が意識して身に付ける講座に参加したり、著書を読む必要がある。それがなければ、研鑽として積み重なることはないし、ただやみくもに持論を展開する教師になるだろう。教育実践書を随分と読んできたから言えることなのだが、自分らしい実践を積み重ねる方が、どれだけ価値が高いか、実態に即したアセスメントを行えることが、どれだけ尊いか。30代も後半を過ぎたら、ふり返ってみる必要があると感じる。
いくつか書籍を紹介する。教師としての人間論を学ぶなら。
生徒指導10の原理・100の原則―気になる子にも指導が通る110のメソッド/学事出版¥1,620
教師としての学習論を学ぶなら。
一斉授業10の原理・100の原則―授業力向上のための110のメソッド/学事出版¥1,620
教室ファシリテーション 10のアイテム・100のステップ―授業への参加意欲が劇的に高まる110メソッド/学事出版¥1,620
人間論と学習論を理解して、総合的な学級経営を身に付けたいなら。
学級経営10の原理・100の原則―困難な毎日を乗り切る110のメソッド/学事出版¥1,512
クラスはよみがえる―学校教育に生かすアドラー心理学/創元社¥1,836
こうした本を、春休みの3月中に読んで、4月からは半年は保つシステムをつくることだと思う。まぁ、もう手遅れだろうけれど。。。だから、2月から考えとくといいよぉって思うんだ。
そんなときは、ムリせず、周りの人に聞いちゃえばいい。頼っちゃえばいい。ただし、全力で考え抜いたあとにだよ。
学級作りと授業作りじゃなくて、人間論と学習論。。。
来年度、久しぶりに主で研修部をやることになった。担任も。複式も。さらに指導部も。保健体育部も。わっっはっは。なんて素敵なんだろう。
初任地では、これに加えて、教務部も、町内の学力向上対策委員も、管内のへき地複式研究会の研究理事もやってたし。道徳も、外国語も、こなしてたわけだから。いろんなアイデアが、どんどん湧いてくる。
教員の研修計画も、人間論を意図したものと、学習論を意図したものとに分けて、効率的に進めよう。人情や愚痴、お互いの傷をなめ合うようなのは、嫌だし、学力向上を意識しすぎて、人を育てないようなのも嫌だ。
人を活かして、育てる。そんな学校、家庭、社会をつくりたい。がんばるぞぉ。