47:飛んで火に入る夏の虫
ぼんやりゆっくり動いてる。
くっきり見るため、奔走する。
でも見えなくてよかったと、
ここに来てなお、思い立つ。
街頭にうるさく群がる虫の群れ。
そこには悲哀と本能が見え隠れする。
虫は他の動物より視界が良好でなく、
その分別の神経が研ぎ澄まされている。
夜中飛び回る虫たちは元来、
月の光を背中に浴びることで、
真っ直ぐ飛ぶことが出来た。
しかし、人の作りだした灯篭や
人工的な光に虫が寄るその様から、
飛んで火に入る夏の虫と言う
ことわざすら出来ていった。
虫は生きている。
本能のままに光に向かう彼らを
ある種皮肉り、命落とす様を、
3・4・5のリズムで読んだこの歌は、
僕達人間にも当てはまると思う。
僕達は多くを求めすぎている。
安心した1歩を踏み出すために、
寸分まで情報を体に刻み込む。
知らずに飛び込んでも大丈夫だとしても、
知らないということの恐怖が勝る。
どんなに先を読んでも読んだ気がしない世の中に、
もっと情報を体験談をカルテをと、歩き続ける。
かく言う僕もそんなそうだった。
慎重は板につき、
この世の幻すら手にかけた。
要らぬ産物を作っただけだったのだ。
いや本当はあったのかもしれん。
孤独の思考は大切だ。
しかし、思慮の暴走を止めるのもまた、
ひとつの解決策だ。
身体を動かす。
四肢を胴体を神経を研ぎ澄まし、
アテもなく動かす。
そこに思慮の暴走はなく、
目の前の事象のみを扱うことになる。
安全と安心には、
疑心と不安がついてまわる。
行動には、
結果がついてまわる。
僕達は虫かも知れない。
世界という人工光に、
決死の思いで飛び込んでいるのかもしれない。
自惚れるつもりは無いが、
人間には知能がある。
決死の思いの先にも、
生き方はあるのだ。