師弟関係は人間関係の縮図
↑この写真の様なクリアな人間関係って理想ですよね♡
‥という事で、師弟関係の難しさについて。これは、どの業界でもつきまとってくる事であると思うが、とりわけ、音楽業界でも良くも悪くも、影響を受けやすい事柄だと思っている。
私自身、学ぶ側としてとても苦労して来たこともあり、そんな経験から思う事をここでシェアしてみる。人生において何に苦労するかしないかは、生まれてくる前から設定して来ていると占星術観点からも(占星術好きです)よく言われるが、私に関しては、師弟関係、人間関係の課題が人生に山積みだったので、よくもまあこれだけ色んな師弟関係に苦しんだなと振り返る。それらが良い悪いではなく、そこから自分が何を学ぶのかが重要になるので、そう言った視点ではあまり語りたくはないのだが、私のかつての自信のなさと被害者意識、それがかなり原因となって引き起こしたのは間違いないので、言語化できたらと思う。
まあ、暗黒期の師弟関係については今回詳しく書くつもりではないのだが、それらをどんなに克服したと思っても、コントロール欲の強い、良く言えば、面倒見の良い師匠との出会いが最近まで立て続けに多かったので、その理由は、私の、人に合わせがちな性格、何がなんでも師匠の期待に応えて恩を返したい精神(悪く言えば依存体質 笑)が引き寄せていたことは間違いなかった。どんだけ私は武士なのだ。
(2020年6月21日夏至。二見ヶ浦、夫婦岩)
師弟関係でも、恋人関係でも、勿論会社の人間関係でも何でもいいが、いつも同じ様なトラブル、パターン、ストレスを繰り返す場合、それがなぜ起こるが、是非自分の内面に注目して見て欲しい。そこには、何かしら自分自身の思考癖が反映されているから。たとえば、自分に自信がなくて何がしかの答えを師匠や誰かに潜在的に委ねている場合。それは、パワハラ傾向にある師匠、恋愛関係への引き寄せとなり、自分より強い意見やコントロール欲のある人に、自分の向かう道や、判断を委ねたい願望があるから。無意識にそれらを求めているのだが、それは己の枯渇感から来るもの。
又、心に中に、怒りだったり、コンプレックスだったり、社会に対する不満があると、そのコンプレックスをすくい取られ励まされ、その師匠、相手の信じる道や価値観、メソッド、信条などで人生をコントロールされてしまったりする。又、その怒りを反映するかのような上司に縁があり、それは自分の内面の映し鏡、常に自分の怒りと向き合わざるを得ない状況になったりする。
それらは被害者意識、コンプレックスからくるものがほとんどであり、実はこれ、思い通りに行かない現状を嘆くような人生の流れになったりする。不思議なもので、それは社会生活でも恋愛関係でも全て繋がっている。実生活でもこの様に内面からの影響力が強く現れるので、意識はしておいて無駄ではないと思う。
(夏至の日の、伊勢神宮五十鈴川)
さて、良いメソッドが教えられる人、そうでない人は必ずいる。ただ、歌っていて一向に習得がなければ、自分とは相性が合わないと潔く立ち去るのも一つの手。良い指導者は、なぜ習得できないのか、という所まで歩みよって自身も学ぼうとしてくれるから。
又、多少声が良くなったとしても、恐怖心を煽られたり、罵られたり、自己否定されたり、自分で人生を選択できない様な状況があれば、又そんな状況に陥りそうだったら、自分の依存心と指導者のコントロール欲を疑い、何のためにレッスンを受けているのか、なぜこの関係を続けているのか、よく自分自身に問うてみると良い。
勿論、責任感強いがゆえ面倒見の良い指導者は沢山居るし、”本物”の技術を身につけようと思ったら、それなりの厳しさと継続性は必要なので、そこはじっくり判断してもらい、さらには経験とキャリアのある指導者への尊敬の念は一番大切で、その敬う思いこそが技術の習得に何倍も良い影響を及ぼす事は計り知れない。
ただ、よく巷でスピリチュアル洗脳などが問題になるが、人間関係、恋愛関係どんな状況においても、大なり小なりこの様な関係性は陥りやすいことを知っておくと良い。
(二見ヶ浦からの夕陽)
ただ、全くそんな状況に無縁と言うハッピーな人も沢山居るので、その人は、そのままハッピーに学び続けて下さいね!
そして教える側の枯渇感、被害者意識がある場合も、コントロール欲や、パワハラ気味、生徒への批判などがレッスン中に伴ってくる場合もある。さらにキャリア自慢や傲り高ぶりが見受けられたら、少し冷静になってみよう。ただ、あまりにもビジネスライクで、流して歌ってはい終わり、の様な放任すぎるレッスンは、それはそれで指導力の欠如が考えられるので考え直すのも一つである。(実際こういった事例も多数ある)
教える側のメソッドに自信があるのは勿論素晴らしいことであるし、私も、必ずその時間内で声を良くする自信と自負があるが、決して依存関係にならないよう努めている。その生徒さん自身の感覚を大切に、いつかはレッスンを離れる時が来るので、その日まで、できる限りの事を指導したい。
(三重県二見ヶ浦の夫婦岩)
つい先日、新しいレッスン生の20代の大学生の子がレッスン二回目にして、「この先5年を目処に徹底的に習得したいので、コンクールも見据えてお願いします」と言って来てくれた。彼の自立心と心意気にも感心したけれど、20代の貴重な5年と言うのは可能性も無限であるし、私も身が引き締まる思いだった。
確かに、芸術の世界は競争やキャリアの側面もあり、ただでさえ、芸術肌の人々は繊細だったり、浮き沈みが激しく、運や100%実力主義だけでない皮肉な側面もなくはない。数値化されない評価基準と、本来あるべき音楽の意義との解離に心を病んでしまう人は少なくなく、特異な世界に身を置いている事もあり、個性的な人は多くいるが、そこも芸術家の魅力である。そこも踏まえた上で、レッスンを受ける、教えるにあたり、人の人生と関わるという事に深く考えてみても良いと私は思う。
そんな思いを巡らす中、指導に関して色々な立場の人の意見などから私が感じた事。
どんなジャンルであっても、その人が理解できるまで、背中を押して導くのが指導。自分の持ってる情報を与えるだけでは指導者のただの傲慢さであり、独学とほぼ同じ。その人に感銘を与えるきっかけのソースが何かを見極めながらアプローチし、目覚めるきっかけを与える事が、真の愛のある指導であり、生徒の技量、理解度の良し悪しを指導者主観でジャッジせず、指導者主義の実験道具ではないと心得るべき。
師弟関係で苦労するのは、声の為にも全く良くない。その苦労が必要な人生もあるだろうけど、歌と向き合う人生、人と向かう人生がどういうものか、を考える人が増えれば、師弟関係のストレスも少なくなるのではないだろうか。
(インスタもやってます^_^)
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