テクタイル『触楽入門』朝日出版社
この一年弱のあいだ、触れたい、触れられたい、触れ合いたいとつぶやきつづけていた。他者の皮膚との接触をほとんどインフラのように求めている自分であるから、触感・触覚に関する情報を集めておくにしくはない。
テクタイルというのは先端技術を活かして新しい触感体験を作り出すという活動をしている4人の研究者のグループで、色々と最近の研究成果も交えた知識を得られて興味深かった。というか、触れ合うことにははっきりと知られていない神秘的ともいえる力があって、だから人は触れ合う必要があるのだ、という信念を都合良く強化させてもらった。
この本で、そしてこのグループによるプロジェクトやワークショップにおいて目されているのは、触れることの様々な形での翻訳、あるいは、触れることを通したあるものの他のものへの翻訳なのだろうと思う。軸になっているのは、触覚にとどまらない、視覚や聴覚と相互作用しながら主観的に経験される「触感」とはなにかという分析、それを取り出して再現し、さらに変形したり先鋭化したりするテクノロジーである。その隙間から様々な錯覚が現れてくる。虫眼鏡で自分の皮膚の触られている箇所を拡大して見ながらだとより触覚が鋭くなったり、ポテチを食べる音を増幅して聞きながら食べるとサクサク感が増したりするのだという。
以下、驚きつつ納得した内容を少し。と取り上げて思ったけど、私は触覚とそれに関わる脳の認知の摩訶不思議よりも、触れることや触れるものの性質のわれわれの主観への効果に興味があるんだな。もうちょっと射程の広い本ではあると思います。
・二人で目を閉じて手を握りあい、かける力は意図的に変えないとする。そのような条件下でも、片方が「触れている」と感じているとき相手は「触れられている」と感じ、片方の感覚が「触れられている」に変わるとき、もう片方は「触れている」と感じ始める。
・人がもっとも心地よいと感じるのは、ヒトの指の硬さと同じかそれより少し硬く、指紋の凹凸間隔に近い凹凸をもつもの。ツルツルした表面でなく、指紋の奥に入り込むものを「なじむ」と感じる。
・アンケート用紙を渡す際に少し肩に触れられるだけで、自尊心の低いグループの被験者では死への恐怖が有意にやわらぐ。
触れる関係でいうと、広瀬浩二郎『それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける!: 世界の感触を取り戻すために』やそのほか触文化論関係の文献も読みたい。
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