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「我々という存在は夢と同じもので作られている」ピカード

ピカード提督は、データ少佐がネメシスで宇宙艦隊の同僚を守るため殉職して以来、量子シュミレーションの中で意識としてながらえてきた少佐のメモリスティックを再生機から抜き去る。その時「我々という存在は夢と同じもので作られている」と同座のみなにつぶやいた。これは唯識そのものじゃないか。阿頼耶識、識のメモリーが作り上げるこの世という夢。
データ少佐を安楽死させるに等しい彼の意識を断ち切るピカードの行為は、少佐が量子シュミレーターの中でピカードに依頼したものだった。データはいう。「限りある生命だからこそ、平和や愛や友情を尊ぶ気持ちが生まれる。永遠に続く生命は本当の生命とは言えない。」ピカードは尋ねる。「それは死にたい、ということか?」データは「ちょっと違う」と答える。そうだ。これは死ぬのではなく、殉職したのにいつまでも意識がシュミレーターの中で永続する苦痛から、涅槃として解脱したいということなのだ。2人の再会の場面は量子シュミレーターの中のデータの居室。ソファーテーブルにはこぶりな仏像がさりげなく置かれていた。
スタートレックシリーズは1960年代にカーク船長のオリジナルから見続けてきた。オリジナルシリーズでは正義とか、勇気とか、民主主義が語られていた。アメリカにいた時、ネクストジェネレーションにハマった。ピカードの船にはダイバシティが実現していた。90年代。私のアメリカの会社も色々な人種、年代、性別、障がい者などダイバシティに富んでいた。まだ日本ではさほど言われていなくて、日本の女子大でダイバシティを講義したこともあった。ジェインウェイ艦長は女性、シスコは黒人艦長で最果てのディープスペースナインに飛ばされていた。私自信、アメリカでは副長、成都で初めて小さな船の艦長、北京の艦長、艦隊司令部で短い勤務の後、東京で比較的大きな船の艦長を務め、難題に直面するたびにピカードをロールモデルとして乗り切ってきた。
2020年。退任の時期が見えてきて、さらにコロナが猛威を振るいつつあったあの頃にピカードの新シリーズがAmazonプライムで始まった。その時冒頭の会話も聞いていたのに仏教思想との関連に気づけなかった。それから4年を経て、仏教の諸行無常、五蘊皆空など学び、今年スターチャンネルでピカードシーズン1が毎週日曜朝に放映されるようになり、それとなく見ていて今日シーズン1最終回。
今度は何を言っているのかよくわかった。
基本的な知識がない、すなわち無明だった私がこの数年仏教についてあれやこれや学び、スタートレックピカード退役提督は再び私のロールモデルとなったのだった。
それにしても、死ぬことがわかっているから、生きていることの大切さがわかり、慈しみや、思いやりの心が持てるのだ。科学が進歩して50億年後の太陽爆発を乗り越え、さらにその先宇宙の終わりとなる陽子崩壊の日も乗り越えて永遠の生命を持つようになった時、人類はつまらないものになるだろう。
いやはやジーン·ロッデンベリーはすごい人だ。

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