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別れと再会と出会い
歩いていてふと目に入った訃報掲示の名前に、あ……と立ち止まる。
それは、数年前に何度か診療を受けたことがあったドクターだった。
以前は、公的保健機関に登録の家庭医の職務も請け負われていたと聞くが、わたしが出会ったのは、ずっと後のこと。近隣ではよく知られていて、彼の評判はとても良かった。アポイントを取ることを勧められて、伺ったのだ。
個人診療所に行ってみて知ったが、その娘さんもドクターで、ちょうど居合わせたためか、おふたりで診療してくださった。実際に目の前で話してみて、色々な人が「とても良い医師だよ」と言う意味がよく分かった。
気さくで、患者の身になって話しているということが伝わってきたから。娘さんもお父さん同様に感じが良く、また医療知識においても聡い人だと感じられた。
医師に求められる資質として、専門知識や技術はもちろんのこと、人に対するという意味で、その人間性の比重も高いと思われる。いくら、その分野で一目置かれているような高名な医師でも、患者やその家族側から見て、気持ちの上でどこかこの医師にお願いしたいと思えない点が透けて見えるようならば、良い医師とは言えないのではないだろうか。
医師も人間なので、その時の気分や状況、性質、相手との相性などによっては、いつでも聖人君子とはいかないのかもしれないが、その対応で、簡単に見破られてしまうのもどうかと。そういう人に何度か出会ったことがあるが、残念感でひどく後味が悪いものだ。
わたしが訃報掲示を目にしたのは葬儀の前だった。
今回は参列できた。
教会に向かう途中で、見覚えがある人が前を歩いていた。顔が見え、やっぱり知っている人たちだと。コロナ以前に付き合いがあったカップル。彼の方とはその後、スーパーで買い物中に一度ばったり顔を合わせたことがあったが、彼女とは四年半ぶりぐらい。示し合わせたわけでもないが一緒に向かう。
予測はしていたが、やはり参列者は多く、わりと大きめの教会ではあったが、席は足りていなかった。
神父は、どのようにドクターがその職務を全うしていたかということについて何度となく触れていたが、日本で言うところの喪主のような立場で最後に話された娘さんの言葉により感銘を受けた。
「パパ、あなたの教えにしたがって、わたしもその道をたどって行きます」と。
それは、ドクターが患者に寄り添って面倒見良く対応し続けていた事を意味するのかもしれない。
参列者の中には他にも知っている顔ぶれが何人か。
多くは彼の患者だった人たちだろうと言う声を耳にした。
ドクターは享年七十五歳。
現在の七十五歳はまだ若いと思われる。
周囲で話していた参列者の人たちからも同様な思いが聞こえてきた。
先に再会したカップルとは、電話番号を確認しあって(わたしの携帯電話には彼女の番号は登録されていたことが再確認されたが)、また会いましょうと言って別れた。
外に出たついでに、用事を済ませた後、思い立ってある人に電話してみる。彼女はいつも用事でその辺りに出ていることがあるので、会えるかもと思ったのだ。ちょうど身支度して家を出るところだと言う。わたしたちは二十分後に指定の場所で顔を合わせ、すぐ近くのバールに入った。
すると、そこにはたまたま彼女の親友もいた。わたしも知っている人だ。あとから、もうひとり女性がやって来た。彼女たちはある団体の事務局の仕事をしているので、はじめて見る三人目の彼女もその仲間かと思ったら、二人目の彼女の娘さんだった。
こうして、また新しい出会いがあった。
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