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リグーリアそぞろ歩きストーリー 第5話

バカンスの始まりはジェノヴァから

主な登場人物:
香奈(主人公)
巧見(たくみ)(香奈の恋人)

カーテンの隙間から射し込む光にかすかな眩しさを感じ、目が覚めた。
ああ、そうだ。イタリアにいるのだ。

わたしと巧見は昨夜遅く、パリ経由でジェノヴァの空港に到着した。到着客の中には、わたしたち以外の東洋人はいなかった。空港からこの港に位置するホテルまでは、タクシーで20−25分。車で高架の通りを走る中、暗い海に浮かび上がる湾岸エリアの光のきらめきは、都会のネオンに慣れている目には、トーンがやわらかかった。

窓際に立ち、外を眺めている巧見の姿が目に入る。
「あっ、ごめん。起こしちゃった?」
「今、何時?」
「7時半になるところかな。昨日、ここに着いたのが遅かったから、暗くて周りはよく見えなかったけど、どんな感じなのか景色が見たくてさ」
立ち上がって彼の立つ窓際に行くと、遠慮がちに開いていたカーテンを端まで引き、わたしが眺める場所を作ってくれた。
ホテルはツーリストハーバーの埠頭にあるので、眼下は海。周囲には白いボートが何艘も見え、港の雰囲気を盛り上げる。
昨夜ホテルに到着した際に、わたしたちが予約していた部屋に何か手違いがあったとのことで、アップグレードされた部屋に案内された。元の部屋だといくつか下の階のフロアだったようだが、階が上がり、しかもメゾネットタイプ。入り口を入ったところには、ソファや壁掛けテレビ、ティーサービスセットに、クローゼット、そして、内階段があった。その階段を上がると、ダブルとシングルのふたつの部屋とバスルーム。ふたりだけなのに、思いがけず広い部屋になって、なんだかもったいない気もしないではないが、旅の始まりとしては、かなり上々。スーツケースを上に運ぶか否かと迷うところはあるけれど、それはこの嬉しいサプライズに比べたらほんの些細なことだ。

「準備して、朝食に行こうか」
「うん、なるべく急ぐね」
頭の中で身支度にかかる時間を見積もりながら、わたしはそう応えた。

1階の朝食ルームにエレベーターで降りる。コンティネンタル式のビュッフェタイプ。席間はゆったりとし、空間的にも寛げそう。生ハムやチーズなどが豊富なのは、イタリアらしい。甘い焼き菓子などのスイーツやフルーツも色々ある。それぞれ好きなものを皿に取って、席に着いた。


わたしたちがジェノヴァにやって来たのは、地中海クルーズ船の発着地になっているからだ。2日後に出港の予定。チビタヴェッキオ/ローマ―パレルモ(シチリア)―マルタ島―バルセロナ(スペイン)―マルセイユ(フランス)を8日間で周遊し、再びジェノヴァに戻った後、帰国する。
巧見は映像プロダクションに勤めていて、海外ロケの出張も入るため、わりと海外の旅には慣れているのだけど、仕事では慌ただしいから、プライベートの旅行ならのんびりしたいということで、今回は各地の移動にあくせくしないクルーズ船の旅に決めた。
ガイドブックや雑誌の特集記事、インターネットなどで、さらっとそれぞれの町の下調べはしたものの、美味しいものが食べられて、街歩きでその場所の雰囲気を味わえれば、あとは、偶然の出逢いにまかせてもよいかなと、気楽に考えている。
付き合い始めてから約2年の間、一緒に行った旅行は3回。そのうち国外旅行はハワイを訪れた1回。同じ時期に長めの休暇を取れる機会はめったにないので、この旅行が実現して本当に嬉しい。

朝食後、一旦、部屋に戻り、散策時に必要なものを持って、階下に降りた。レセプションでカードキーを預ける際に町の地図をもらい、見晴らしの良いスポットや、おススメの場所やお店などについて、教えてもらう。ホテルの回店扉を出ると、くっきりと晴れた日の光が眩い。日本よりも日差しが強く感じられるのは気のせいだろうか。バッグからふたり分のサングラスを出し、巧見にも渡す。
「どの辺から回ろうか?」
彼が手にした地図を覗き込みながら、尋ねる。
「見晴らしのいい場所について聞いたら、ここに高台の展望台があって、街全体を見渡せるんだって。そこには行ってみたいんだ」
「それじゃ、まずは展望台を目指して行こうか」

ホテルのすぐ脇には古いタイプの船が停泊していて、何だろうと見ていたら、ロマン・ポランスキー監督の『ポランスキーのパイレーツ(Pirates)』という映画で使用されたガレオン船(復元船)と、看板に記されていた。
わたしたち同様の旅行者らしい人たちが船の写真を撮っている姿が目に入る。港付近はわりと近代的な建物が並んでいるのだけど、高架の通りの向こう側のエリアの建物には、所々、歴史的な風格が見られる。

「ねえ、どこ歩いてるか分かってる?」
「うん。路地に入った方が近道だとは思うけど、とりあえず、大きめの道から行って、見どころを押さえつつ、展望台まで行こうかな、と」
「さすが。もう、安心してついていけるね!」

人通りがある、石造りの広めのなだらかな坂道の先には、白とグレーの横縞模様の建物が見える。それはサン・ロレンツォ大聖堂で、ジェノヴァのドゥオーモにあたるそうだ。高い建造物の下側に、幾重にも重なる3つのアーチ型の装飾が細かくて、また異国的な雰囲気のデザインだと思った。その先を進むと、大聖堂の裏側の広場を囲うように、大きな建物が威風堂堂とわたしたちを待ち構えていた。
「ドゥカーレ宮、“16世紀のジェノヴァ共和国総督の公邸”だったって。今は展覧会の会場などになっているみたい」
「中には入れるのかな?」
わたしたちは中央の入り口から出てくる人を見て、階段を上って行った。一部が吹き抜けになっていて、頭上を見上げると、全体的な建物の色とは異なる茶色の古そうな塔に、白地に赤い十字の旗が風になびいている。サイドに位置する別の出入り口を出ると、涼し気に水しぶきをあげる大きな噴水がある。デ・フェッラーリ広場だそうだ。これまで通ってきたところと比べると車の通りも多く、人の行き交う様子からしても、街の中心地であることが感じられる。

「ちょっと行くとコロンブスの生家があるんだって。見てみる?」
「コロンブスって……あのアメリカ大陸を発見したコロンブス?コロンブスってイタリア人だったの?」
「うん、ジェノヴァ出身なんだって」
「ええっ、それは一応、見ておかないと!」

世界史に疎いわたしは、少し恥ずかしくなったけれど、知らずにいるよりはここで知ることができたので、よしとしよう。そのコロンブスの家は、想像以上にこじんまりとしていたが、説明書きによれば、爆撃を受けて上部が破壊されたのだと。近くには、やはり歴史を感じさせるソプラーナ門という歴史的市街地へのゲートがあった。コロンブスの家からオリーブの木が立ち並ぶ幅広の階段を上り、ソプラーナ門を抜け、再びデ·フェッラーリ広場へ。
パン屋さんやパニーニ屋さん、そして、イタリアらしくカラフルだったり、質が良さそうな洋服や靴などが飾られるブティックのショーウィンドーを眺めながら歩くのが楽しい。


「もうすぐガリバルディ通りに着くよ」
「あっ、ガリバルディ通りはガイドブックで見たよ。世界遺産になっているんだよね」
幅広くなっているアスファルトの車道の先には横断幕がかかっていて、そこから先は大きめの石を敷き詰めた通りになっている。これがガリバルディ通りね。
「建物の雰囲気や豪華さが、今まで見たのと違うね!」
「昔の貴族の高級なお屋敷が並ぶ通りだっていうからね、それは豪華でしょ。他からジェノヴァ共和国を訪れた身分の高い人をおもてなしする“迎賓館”の役割をしていたんだって」
「窓に高さがあるね。1階の窓のところには鉄格子が付いてる」
「貴族のお屋敷だからさ、やっぱり泥棒避けじゃない」
「見てあの扉!拷問の道具みたいだよねぇ……あそこに体当たりしたら痛いってものじゃないよね」
人の腕ぐらいの太さの、鉄の先端が尖った突起がたくさん並んでいる扉を見て、想像するだけでも恐ろしくなりながら、わたしはそう言った。
「でも、このブルーと白の装飾は、とても高貴な雰囲気がするね」
拷問的な扉の邸宅の外壁のデザインがわたしは気に入った。
「あの赤い壁の建物は“赤の宮殿”かな。分かりやすい。はっきりした色合いだからこの通りの中でも特に目立つよね」
「ここに出ている“白の宮殿”は……あっ、あの斜め向かいのね」
ガイドブックと地図を見比べながら、白の宮殿を確認する。
「白の宮殿の隣りのが“トゥルシ宮殿”か。この通りの中で一番大きいんだ」ガイドブックに名前が出ているこの3軒の宮殿は、美術館になっているとのことだ。
「この中で住みたいとしたら、わたしはやっぱりあの青いお屋敷かな」
「うーん、立派そうなのは赤の宮殿だけど、一番大きいのはこのトゥルシ宮殿でしょ」
「大き過ぎると掃除とか大変だよ」
「そういうお屋敷に住む人はさ、使用人がいるんだよ」
わたしたちは、写真を撮りながら、本当にたわいもないことを言い合って笑った。

「展望台、ここから近いみたいだよ」
ガリバルディ通りから一本路地を通り抜け、アスファルトの車道の方に出る。信号待ちの地元の人らしい30代ぐらいの女性に、巧見が展望台について英語で尋ねた。通りの向こう側に灯台のような建物が見え、その下のエレベーターで展望台に上がるのだと教えてくれた。自動販売機でエレベーターのチケットを購入し、タイル張りのやや長めのトンネルを進むとエレベーターが見えた。前にいた男性がチケットに刻印しているのを見て、わたしたちもそれに倣う。エレベーターの中には椅子もあった。操作する人はいない。しばらくすると扉が閉まった。数秒で到着。建物の窓から景色を眺めるのかと思ったら、一緒に到着してきた人たちが外へ出ていくので、わたしたちも続いた。眼下に建物がところせましと密集している中、ところどころ、今、見てきたものも目に入る。先の方には海と港も。

「そこがガリバルディ通りね。赤の宮殿が目印になるね」
「あっ、あの左の方の茶色い塔、ドゥカーレ宮で見たのだよね」

周囲には、旅行者のような人たちもちらほらいたけれど、遠足かと思われる子どもたちの団体や、ベンチに座っておしゃべりしているお年寄りの方たちも見られた。わたしたちはせっかくなので、ぐるっと回って色々な方面のパノラマを楽しんだ。

「大きい船が停まっているところ、あれがクルーズ船が出るところかな?」
「ああいう船に乗るんだね」

ジェノヴァは海と山の距離が近く、海と反対の方向に目を向けると、斜面にたくさんの建物が並んでいるのが見える。下に続いている坂道があったので、下りならばと、歩いて下りることにした。スニーカーにしてよかった。坂を下りきると、再び、車の往来があるところに出た。

「今、この辺りか。そろそろお昼にでもする?」
巧見はスマートフォンで場所と時間を確認しながら、言った。
「うん、美味しいものが食べたいね!」

わたしたちは、いくつかリサーチしてあったお店の中で、今いる場所からわりと近く、魚介が美味しいという評判のレストランに行くことにした。元々は魚屋さんだったということもあり、材料の新鮮さや質でも定評があるよう。
よく晴れて気持ちがいいので、外の席へ。わたしは海老とリグーリア産ムール貝、トマトのソースのフダンソウのタリエリーニを、巧見はアカザエビとボンゴレ、サフランとチェリートマトコンフィのソースのフェットゥチーネをオーダー。bietole(フダンソウ)のタリエリーニについてテーブル担当のウェイターさんに尋ねたら、「フダンソウはホウレンソウに似た菜っ葉で、それが練りこまれた緑色の手打ちの細長パスタだよ」と説明してくれた。巧見のフェットゥチーネは幅広パスタで、チェリートマトのコンフィは、オレガノ・塩・砂糖・ニンニク・オリーブオイルをまぶしたチェリートマトをオーブンで調理したものとのこと。「どちらもおススメ!」と明るく太鼓判を押してくれるので、その言葉を信じてみた。オーダーのパスタが来ると、具がゴロゴロとのっていて見た目だけでもインパクトがある。プリップリと弾力のある海老にたくさんのムール貝。パスタは具に埋もれていて少ないのかと思えばそうでもない。巧見の方も殻付きのアサリが惜しげなく入っている。お互いに交換して味見もしてみた。手打ちパスタの食感はもっちりしていて、茹で具合も丁度良い。パスタだけでもお腹がいっぱいになり、大満足でお店を後にした。

食後の運動がてら、ぶらぶらと旧市街の通りを散策。車は入って来ないようだけど、人の行き交いがあるので、建物やお店に気を取られているとぶつかりそうになる。この辺りは色々な国籍、肌の色の人たちが歩いていて、人種の坩堝的な場所。そのことを巧見に言ったら、「港町だからじゃないかな?」と。

しばらく歩いて、雑誌で見て行きたいと思っていた老舗の砂糖菓子のお店、ピエトロ・ロマネンゴへ。1780年から続いているそうだ。外壁の色やレリーフの風合いがその歴史を物語っている。店内はこじんまりとしているが優美な雰囲気。店員さんが「何かお探しですか?」と声をかけてくれる。雑誌に載っていたgoccedi rosolio(ゴッチェ・ディ・ロゾーリオ)という雫型のカラフルなシュガーボンボンを見つけ、眺めていたら、「味見されますか?」と勧めてくれたので試食してみる。小指の爪先ほどの粒を口に含んでいると、外側の薄い砂糖のコーティングが溶け、じゅわっと中の甘い液体が口の中に広がった。色違いでフレーバー違い。ピンク色のローズが気に入った。しかし、これからクルーズの旅に出ることを告げたら、賞味期限には問題ないものの、非常に壊れやすいから心配と言われた。そこで、同じようにカラフルなpastiglie(パスティーリエ)と呼ばれる平たい円形の砂糖菓子を勧めてくれる。その近くにあったフォンダンも試させてくれたが、キャンディーよりはややソフトな砂糖練り菓子という感じのもので、上品な風味だけどとても甘い。巧見は「ノーシュガーの紅茶か何かと一緒に食べるのがいいんじゃない?」と言った。修道院のバラのシロップやスミレの花の砂糖漬けなど、お菓子作りが好きな人ならば惹かれそうなものもあったが、結局、これからの旅の予定を考え、パスティーリエの小さいケースを4つ購入。「どこからお出でですか?」と尋ねられ、日本からだと告げると、「うちのお店、日本の百貨店のイタリアフェアにも行ってるんですよ」とのこと。また「ジェノヴァの空港の中にも小さい店舗が出ているので、よかったらどうぞ」とも。

歩きながらツーリストハーバーの方まで戻ってきて、広々とした空間を感じる。大きな船のマストのようなオブジェの前の建物の壁に、EATALYの文字を目にした。イータリーはイタリア食材等を扱うお店だけれど、ジェノヴァにもあるのね。
「巧見、イータリーにちょっと寄りたいな」
「いいよ」
ガラス張りの入り口を入ると、ジェラート屋さんのカウンターがお出迎え。
「ジェラート、食べない?」
「ひとつでいいよ。香奈のをもらうから」
ピスタチオとクリームの2種類のフレーバーを選ぶ。ピスタチオの自然な色合いが本格的ジェラートの雰囲気で、ナッツの風味もしっかりしていて幸せの味。クリームも適度な甘さで口どけの良さが嬉しい。
ジェラートを食べ終えたわたしたちは、ガラス張りのエレベーターに乗り、店舗へと上がる。旅は始まったばかりなので、ワインやオリーブオイルなど瓶類のものや、冷蔵保存の食材、かさ張るものは購入できないのだけれど、眺めているだけでもワクワクする。そう思っていたら、巧見がワインの品定めをしながら、
「今日と明日、ホテルの部屋で飲む用にと思ってさ。なにかおつまみになる惣菜も買って」と提案した。
「あぁ、それいいね!」
せっかくだからと、ここリグーリア産のヴェルメンティーノという白ワインに生ハムとチーズ、タコとジャガイモのサラダにフォカッチャを購入。

お店を後にし、荷物もあることだから、そろそろホテルに戻ろうかとなった時、「あっ!」と、巧見が何かを思い出したかのように、声をあげた。
「ホテルの人に見晴らしのいいスポットを聞いた時、展望台の他に、水族館の先端まで歩いて行くと、海の方から町を見渡すことができるって教えてくれたんだっけ。ちょっと、そこに寄ってからホテルに戻ろうよ」
水族館はちょうど帰り道の途中にあって、青く細長い建物が海上の方へと伸びていた。その建物は、よく見ると、船を模っているとのこと。先端までたどり着くと、船の甲板のようになっていて、いくつかあるベンチには、若いカップルや新聞を読む男性などが座っていた。海側から町の方へと360度見渡しながら写真を撮る。巧見は動画も撮っている。気持ちのよい風に吹かれながら、パノラマを背景にふたりで一緒に記念写真を撮った。

明日は、ポルトフィーノを訪れる予定。
わたしたちのバカンスは、まだ始まったばかりだ。

#創作大賞2023

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