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月曜日の図書館 くよくよ断捨離

すきあらば日光浴がしたくて、強風が吹き荒れる中、外のベンチで昼ごはんを食べた。全方位から髪の毛を揺さぶられてもげそうになる。観念して明日は髪を切りに行こうと思いながら、目の前で鳩に餌をやるおじさんを隠し撮りした。

わたしはカレーパンのパン粉ひとつ誰にもやらない。

あと数日で異動発表、という時期になると、やたら机を片付けたくなる。引き出しの中身を漁ってみると、身に覚えのないスーパーボールが何個も出てきた。その他、大量のマステ、スタンプ、ばんそうこうなど。

本で読んだ通り、手にしてみてときめかないものは容赦なく捨てていく。断りきれず先輩から譲り受けたボールペンやメモブロックやYonda?くんのスタンプも、時効ということにして別れを告げる。密だった引き出しの中にどんどん新鮮な空気が入りこんできて気持ちいい。これで次年度を新しいわたしで迎えられる。

いらないものを切り捨てて前に進むつもりでも、切られたしっぽの方がわたしだったらどうしよう、という言葉がふと頭をよぎる。

最終的に残ったマステ:数種類のカエルが忠実に描き分けられている柄(カエル好きをアピールするため)、戦国武将の家紋柄(他地域の図書館の人とやりとりするときにご当地感をアピールするため)、おじさん柄(対おじさん用)。

換気のため、春一番が事務室の中にまで吹きこんでくる。

感染対策で滞在時間を制限していることについて、おじさんが延々怒ってくる。だめだって言うなら他のやつのことも注意しろ、放送で呼びかけても意味がない、ちゃんとひとりひとりの時間をチェックして注意しに行けよ、俺の言ってることおかしい?間違ってるか?

わたしはさっきまで花粉を盛大に浴びたせいで頭痛がしていたのに、怒られはじめたらぴたりと止んだことについて、より大きな危険をキャッチするとそこに全神経を集中するようにできている人体の仕組みに感心しながら聞いていた。結局一時間以上かかった。

春先になると、自分のいたずらに全然わくわくしてない小悪魔みたいな人が増える。

折り紙が得意な他係の人が、事務室に来る度に裏紙で折った箱を置いていくので、作業台の上がくたびれた箱だらけになってきた。最初に持ってきたとき、N藤くんが手放しでほめたからだ。

愛情はいくら注いだって枯れるものではないのだから、出し惜しみせずいいね!すればいいし、その方が自分も楽だ。いちいち自分の好き嫌いと照らし合わせて選別していたら、相手を傷つけたり、自分自身も気疲れしてしまう。

けれどそれでもなお、立ち止まって考える生き方にも一票を投じたい。

そして以前、N藤くんの字が下手すぎて読めなかったときも心の眼で読むから大丈夫!などと安易に言ってしまったことを反省した。箱はいずれわたしが闇に葬るだろうけど、ずっと前に折ってもらったカエルはまだ、大切にしまってある。

鳩おじさんの写真を加工する。セピア色になるよう調整したら、ぐっと哀愁のただよういい感じの写真になった。

何かを判断するとき、正しい、間違っているじゃなくて、好き嫌いで判断するとぶれない。
ずっと前に読んだ、特に好きでも嫌いでもない歌手がインタビューで答えていたことが、今でも何となく自分の基準のひとつになっている。

人を世界で一番不健康に見せることで有名な我が図書館のトイレの鏡に自分を映して白髪を大量に発見する。一年前の今ごろはすでにマスクをつけていて、わたしは生まれて初めて頭を刈り上げ、翌日出勤したときにその頭を見た課長が光の速さで驚愕の表情を引っ込め、そういう髪型の人に悪いやつはいない、と謎のフォローをしてよくわからないけどみんな笑顔になってよかった。

vol.64 了

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