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きれいな皿と山の日と
お盆休みの時期になると、電車が空く。
いつも体験しているはずなのに、毎回ちょっとした嬉しさとなんとなくの残念感があって、馴れない。今朝も、普段なら座れない座席がいくつも空いていて、座ることができた。
やはり座れるのとそうでないのは、気持ちの面でも違ってくるのかもしれない。毎朝のように、夏ってこんなに暑かったっけ?と思うけれど、毎日のようにやり過ごしている。
書くことを決めて電車に乗り込んで、ふとした変化に喜んで、やれやれと思って書き出したら、書きたいと思っていたことを一瞬忘れてしまった。
日曜日は山の日だった。
山岳信仰ではないけれど、山々に感謝して自然を愛する気持ちを育む祝日である。noteで毎日投稿を始めてから、山の日にモンブランを食べることを続けている。
もともと、Xで作家の浅生鴨さんが呟いていたのを発見したことが始まりだった。モンブランは、秋のお菓子だけれど、近年はいつでも食べられるようになってきた。
山を模した独特のフォルムに、山の日を重ねるとは、口実作りもいいところだが、モンブラン好きとしては、新たな理由を見つけた気がして喜んで参加しているような心境でもある。
ただ、モンブランを食べるというのは意外とタイミングが必要である。ことさら、ケーキ屋でモンブランを調達して…などとやっていると、休日ならば家族との時間を過ごしていたら、あっという間に夜になってしまう。
その日は、午前中に子どもたちとプールに出かけ、午後はプール疲れからダラダラ過ごし、夕方にようやくケーキ屋に行くことができた。
常日頃、誰かのためのケーキを買うのは緊張するのだけれど、家族に買って帰っても、あまりいい反応をしないことが続いていた。
そもそも子どもたちや妻は、生クリームが苦手で、ケーキ屋さんそのものも喜ばないという難しさがある。喜ばない店で喜ばれようとするのは無理ゲーなのだが、僕自身が諦めきれずに続けているようなものでもある。
ただ、地元には家庭的で少し昔っぽいケーキ屋さんがあり、妻も比較的好きだという品揃えのお店がある。そこで、モンブランとそのほかのケーキを買うことにした。
夕方に向かうと、モンブランは残りひとつ。危なかった。ここでモンブランがなければ、ケーキ屋をハシゴすることになっていた。
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子どもたちにはチョコレートケーキを買い、妻にはショートケーキを買った。
毎度緊張して箱を開けて、ケーキを取り分けて食べ始める。いつもなら「もういらなーい」と半分以上残して離脱する子どもたちも黙々と食べ切っていた。
妻も、クリームが美味しいお店は安心、と言いながらショートケーキをパクパク食べていた。
僕のモンブランは、これまた軽いホイップがたっぷりで美味しく、正統派のモンブランを楽しめた。
誰も残さずに、ティータイムを終えた。
多分、こんなことははじめてじゃないかと思う。誰かの誕生日とか、結婚記念日とか、クリスマスとか、ことあるごとにケーキを買っているけれど、ようやくこの日が来た。
僕は、密かに嬉しくてたまらなかった。
いつもなら、食べ崩したケーキの残骸を食べていて、まぁ僕が好きだからいくつも食べられてラッキー、なんて思っていたけれど、そうじゃなかったんだと気がついた。
ついつい「ケーキ美味しい?」と聞いてしまいがちで、その時も聞いて「うん」と言っているのだけれど、完食して空のお皿を見るとしみじみと、その喜びが湧いてきた。
車で少し走らないと行けないお店、普段はなかなか行けないその店に感謝したい。食べ切ってもらうことの難しさと、諦めを感じていた分、この感激はしみじみと嬉しい。
きっと家族の誰もそんなことは思っていないだろうけれど、僕にとってはとても嬉しい山の日になった。
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