チャイって、インドちゃいます?
チャイ(chai)は、スパイス系のミルクティーであり、主にインドでよく飲まれている(と思う)。ちなみに、インドで話されているヒンディー語で”お茶”を表すのも、チャイである。
休日の朝、早い時間に妻と2人の時間ができることがある。その日は、近所のお店で、スパイスから作るチャイセットを買ってきた妻が、チャイを飲もうと言った。
なんでも、完成分量が800mlと多く、一人では消費できないとのこと。
完成したチャイを飲んで、ふんわりとした香りに思い出した旅がある。
毎週月曜日には、旅の記録を書いている。
「インドに行けば人生観が変わる」
地球の歩き方に書いてあったわけでもないし(あるかも知れない)、旅行代理店でカウンターの元気なお姉さんに力説されたわけでもないけれど、よく目にするフレーズだ。
インドという場所は、なにか変えてくれるような、むしろ何もかもが変わってしまうような混沌がある。
僕はインドに行ったことがある。
たった一度のインド行であったけれど、印象的なことがありすぎた。それらを忘れないように写真を撮りまくったものの、買ったばかりのカメラは初期不良で絞りが作動していなかった。
チャイはインドのミルクティー、そんなイメージでしかなかった飲み物。子どもの頃、出会った時にはその香りの強さに驚いた。エスニックな風味があまり得意でなかったので、あえて飲むことはないと思っていたけれど、大人になって飲めるようになった。
インドに行くなら、美味しいカレーとタンドリーチキン、それにラッシー、できればチャイを体験したい。そんなふうにお腹の準備をして向かった彼の地には、人が溢れていた。
ひとり旅のはずが、どこへ行っても人人人。初日のニューデリーは、喧騒という雰囲気そのものでゴミゴミしていた。ホテルの部屋で一息ついて、翌朝の早い時間、屋上から街を眺めてみるかと部屋を出ると、ホテルの廊下や屋上で寝ている人たちがいた。
ホテルの従業員にしては多すぎる。
寒くない時期でもあったし、家に帰るのをやめた人や、家がない人が寝ていたのかもしれない。足音を忍ばせて部屋に戻り、しっかりと施錠して、ディズニーチャンネルをぼーっと見た。
明るくなって、荷物をまとめて宿を出る。朝食付きプランだったが、前日の到着時にフロントで「トモダチ営業」に遭遇したので、質問は諦め、淡々とチェックアウトだけ行った。
インドでは、質問をすると倍になって返ってくる。トモダチのために教えてあげよう、でもお代はいただくよ・・といった展開になることがあるのを、僕はトモダチ営業と名付けていた。
通りには屋台がいた。何やらお茶とビスケットを揚げたようなもの(プーリー)を売っていた。ディスワン、と指を差してお茶と揚げたものをもらう。お茶はチャイのようだった。
チャイ?と聞くと、反対にモラ?と聞き返される。巻き舌の強いmore?(もっと?)だと気がついた。やはり質問は無用であった。ノ、と答えて一口飲んだ。
薄い。でも、きっとチャイだ。
初めてのインド、そんな朝を迎えて、本場のチャイは思っていたよりも濃くないのではないかと思った。プンプン香りが立っているチャイは、高級なお店でしか飲めないのではないか・・そんな風にも思った。
その後、現地ツアーに参加して食事のたびにカレーが出てくるので、チャイのことなど気にする余裕がなくなってしまった。チャイはコーヒー的な存在のようで、朝食で提供されることが多かった印象がある。
インドの人は、甘いものが好きらしく、食後のデザートには頭が痛くなるほどに甘いドーナツのようなものが出た。ピンポン球くらいのドーナツにガムシロップのように甘い蜜が染み込んでいた。油と糖・・何かのCMのようだが、甘いものが好きな僕にとって、悪魔的に美味しかった記憶は消えない。
ガンジス川沿いのバラナシという街に滞在した時、ガイドブックに載っていたカフェに朝食を食べに出かけた。
入り口にはカウンターの中にいたスタッフのほかに、カウンターに寄りかかる青年がひとり、にこやかに佇んでいた。しかし青年はスタッフでもお客でもなかった。
インドではそんな人がとても多かった。多くの“そんな人”は平たくいえば、客引きのような存在。
今日会ったから、もうトモダチだよねー?という雰囲気で近づいてきて、あれやこれや質問してくる。日本を褒めてくれて、時代遅れの冗談を言って笑う。
バザールでゴジャール!ハッハッハ!
こちらが質問すると、待ってましたとばかりに「トモダチのお店一緒に行こう?」
「トモダチが連れて行ってくれる」
と誘い出そうとするのだ。
しかし、青年は違った。
青年は、大学で日本語を学んでいて、いつか日本に行きたいと言っていた。(その割には全部英語だったけれど笑)屋上からの景色がいいから一緒に行こう、そのカメラいいね、フォトグラファーなのかい、などなど楽しそうに話しかけてくる。
カンボジアに行った時にも思ったけれど、褐色の肌にキラキラの目は映える。彫りも深いので、性別問わず美形に見える人が多い。青年も濃い顔のイケメンだった。
ここのチャイは美味しいんだ。
青年は屋上の手すりに寄りかかりながら、言った。
再び書くが、青年はスタッフではないし、客でもない。ただの“店に居た人”である。チャイは僕が注文したセットに付いていた。
しかし、現地のイケメンが「美味しいんだぜ、ここの」と言うのだから、間違いない。僕が注文し、僕が支払うわけだから、僕の自由な感想でいいはずだけれど、青年の褒めるチャイはきっと美味しい(濃い)と信じていた。
川面に朝日を反射したガンジス川、そこから吹いてくる生暖かい風を感じながら、温かいチャイを口に含んだ。
チャイだ。
しかし、
やはり薄い。
本場のインドで、ブワッと香りが広がるチャイを期待していたが、イケメンをもってしても濃いチャイにはならなかった(当たり前)。
それ以降、思ったようなチャイに出会うことなく旅は続き、いよいよ帰国便の時間に向けて空港で過ごしていた。
チャイに限らず、本場だからといって、香りが強いというわけではなさそうである。アジア圏ではよくあるけれど、暑いからか飲み物は甘いものが多かった。
カレーもマイルドで、日本で汗をかきながら水をがぶ飲みして「辛い辛い」なんて言いながら食べるのは、ある意味では滑稽なのかも知れない。
そうだった。おそらく、がぶ飲みできるほどの水もないかも知れない。ただでさえ汗が出る気候、わざわざ汗を出すようなことは、変なことなのだ。極端な言い方をすれば、行き過ぎた豊かさ、のようなものかも。
カレーもチャイも、マイルドで“薄い”くらいがいい。毎日それを食べている、むしろ食べなければならないのだから。
日本が誇る和食も同じなのかも知れない。季節の変化を感じる素材の味を生かした薄味、そうでなければ飽きてしまうし、何より身体に障りそうだ。
搭乗時刻が近づいて、目まぐるしくも楽しかった旅に黄昏を感じながら、搭乗口に向かう。
見慣れた、緑色の女神のマークのコーヒーショップがあった。
ふと思いついて、チャイティーラテを買う。緊張しながら英語でオーダーするのも、これで終わりかと思うと、少し寂しい。外国らしいと感じた、オーダー後に名前を聞かれるのも、日本に帰れば体験できなくなることだ。
名前は?
I'm TATSUYA(仮名)
しばらく待ってカウンターに乗せられたカップには、オーダー時に告げたはずの名前が書かれていた。
「TATSUNYA」
え?・・“N“が入ってる。
・・・たつにゃ?
「インドに行けば人生観が変わる」
人生観どころか、名前が変わっていた。
黄昏の空に飛び立ったエアインディアの機内で飲んだチャイ、もといスタバのチャイは、旅の間に飲んだチャイのどれよりも香りが強かった。
その国の人が食べるもの、それは控えめで普遍的な存在であるのかも知れない。生活を支え、命をつなぐ大切な料理だからこそ、食べ続けられるようになっているのかと納得した。
休日の朝、チャイを飲んだら思い出したインドの旅。
もう二度と経験できないであろう、ひとりの旅は、間違いなく僕の人生観を変えてくれた。
いつもよりも長くなってしまいました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
インドのビッグマック、どんな味か知ってます?
見たことある!の見たことない角度から。