走っても消えない、たったひとつの雑念
マインドフルネスを実践しよう!
あやしげな言動かと思われるかもしれないが、マインドフルネスはいわゆる瞑想のことである。具体的には脳があれやこれや考えてしまうのを止めるために、今ここに集中して心を落ち着けることである。
ものの本を読めば、姿勢や心持ち、呼吸法などを読むことができる。瞑想というと、静かに座ったり、横になったりするなど、動的なものは想像しない。
しかし、ある本に「ランニングは、マインドフルネス」と説いたものがあった。走れば走るほど、休めるというのだ。そんなことあるわけがない、と思った。走れば疲れてしまうのは、自明の理である。
しかし最近、昼休みに走っていて、ようやくその言葉の意味がわかってきた気がする。確かに、走れば足は疲労感を感じるし、胸は苦しくなる、寒さに震えたり、指がかじかむこともある。
しかし、気分はとても良くなる。晴れやかに感じることもあるが、そこまでいかなくとも、モヤモヤが晴れる。それはつまり、マインドフルネスでいうところの、脳がアイドリング状態になっている、雑念がなくなった状態なのかも知れない。
息が苦しいとか、今日は右足が重いとか、身体的な気になる事項はあるが、走り始めるまで、あれこれと気にしていた仕事のことは、走り始めてみて景色や足元に集中すると、消えてしまう。
自分の足元に集中して、景色を見るとは無しに見て、・・順調に走っているなぁと思った矢先、同じコースを走っていると思われる人の姿を見つけると、それまで晴れていたはずのモヤモヤが少し蘇る。
それは、僕のウエアが「ダサい」かも・・という雑念である。
あえてここでは紹介しないが、もともとセットアップのジャージをネットで購入した。正直、「本当に走るかわからない」と、よくわからないメーカーの、とても安い品物だったので、なかなかである。
しかも、普段なら選ばない蛍光黄色を差し色にしたデザインなので、色は悪くないのだが、僕が似合っていないのだ。
昼休みランナーと思しき人は、稀にスーツのおじさんもいるが、みなちゃんとした格好をしている。どこかの大会の参加賞のTシャツはもとより、ハーフパンツで颯爽と走り抜ける姿も凛々しい。
ダサいウエアとはいえ、追い抜かないのなら見られる心配はない。しかし、こちらは時間までに職場に戻らねばならない身なので、追い抜かすことが必要な時もある。その時に、雑念は大きくなって、マインドフルネスが自意識という熟語に変身してしまう。
ダサいウエアのくせに追い抜くなよ、と思われてないか・・。
せっかくのマインドフルネスも、やはり誰かと相対する(実際は追い抜いているので、並走のような感じか)と、雑念が湧く。
そんなこともあり、習慣になりつつあるランニングは、ウエアについても問いかけられている。楽しいし、気分は晴れるだけに、ダサいのではと心配になる部分を解決するのが、当面の課題である。