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書く場所
毎日投稿を始めて1,500日以上が過ぎた。noteは僕の「書く場所」になっている。僕には、専門的な知識や面白い経歴もないけれど、身の回りのことを、なるべく楽しく書いている。毎日、読んでくださる方もいて、とても嬉しい。
毎日投稿を始めた理由はこうだった。
この毎日投稿してみようという“試み”は、自らに由るための取組みです。普段考えていることを言葉にしておきたいとか、自分の中にある価値観というか信念みたいなものが、一体どんなカタチをしているのか知るために、出来る限り続けたいと思っています。
いつしか、100日が経ち、1,000日が経った。エッセイと呼ばれるような文章をメインに、読んだ本の感想や、ショートショートを書くことも試している。
この投稿は、藤原華さんの私設コンテスト「なぜ、私は書くのか」に参加するためのものだ。これまでの僕の“書く遍歴”をたどって、なぜ書くのかを改めて考えてみたい。
・文字が書けるようになった喜び
僕が、保育園に通っていた5歳位の頃だったときのことだ。
日頃から物知りの友達が、「これ、“かんじ”だよ」と言って、記号のようなものを紙に書いていた。いくつか書かれていた記憶があるが、はっきり覚えているのは「日」という字だった。
漢字ってもっと難しいものではなかったか、そんな疑問も浮かんだけれど、確かにひらがなでもカタカナでもなさそう。これが漢字なのか!と思ったものだ。
その形を見て真似して書いてみて、僕も漢字が書けるようになったと嬉しくなった。ぼんやりとだったが、太陽を表す漢字と教えられたので、「お日さま」なんて言葉を書いて誰かに見せたような気がする。
漢字に限らず、そんなふうに文字が書けるようになって、きっといろいろなものを書いていた。おそらく小学校入学前あたりだったと思うが、お絵描きよりも、文字を書くことのほうが楽しかったことは、子どもの頃の記憶としてある。
いつだったか、僕が保育園児だったときに書いた「家出の置き手紙」が見つかったことがあった。
なぜか妹を巻き添えにして、家を出て、クリスマスには戻ってくるから心配しないで、と書いてあった。いったい、どういう心境で家出をしたいと思ったのか、まったく思い出せない。
・作文との出会い
小学校に入ると、作文というものの存在を知ることになる。
原稿用紙のマス目にひとつひとつ文字を書き込み、言葉をつなげて文にして、物事や感情を説明するための表現方法だった。さすがにそんな堅苦しい言葉ではなかったけれど、いままでおしゃべりしていたことを、紙に書いて伝えるような、話していたことや考えていたことが紙に置かれて残っていくような、そんな不思議な感覚だった。
原稿用紙が埋まっていく感じや、枚数が増えるのが楽しくて、もうやたらめったらに書いていたこと、いまでも思い出しては恥ずかしくなる。文字量が多いことが僕にとっての正義だったから、とにかく文字数を増やすように書いていた。
我が家にワープロがやってきたときにも、うれしくてワープロで作文を書いていた。水族館に行った思い出だったはずだ。当時はひらがな入力で、ポチポチ打っていた記憶がある。文章は、きっと誰にも見られることなく、ワープロと一緒に消えてしまったのだろう。
・独話と原稿
僕が通っていた小学校では、公立だったけれど時折テレビの取材が来るような、特殊な朝の時間を過ごしていた。
それが「独話」だった。
独話は、この取り組みを始めた先生の造語で、文字どおり一人で話すことだ。当時は、毎朝一人の生徒が教壇に立ち、目の前にカセットレコーダーを置いて録音しながら、テーマに沿った自分の発表をしていた。
数分間ひとりで話して、その感想や質問をクラスメイトから話してもらうという、双方向のプレゼンという感じだ。クラス全員の話を聞き終えると、新しいテーマに移る。
その独話に備えて、作文を書いていた。のちに原稿と呼ばれることになるけれど、当時の僕はこれまた真面目だったもので、一言一句書き込んで、そのとおりに読んで(話して)いた。
独話のテーマは、自分の宝物や、すきなこと、家族の話、友達との思い出、環境問題、飼っているペットのことなどのほか、友達の親にインタビューして発表するというのもあった。
1年生から6年生になるまで6年間、毎朝のように誰かの話を聞き、時には自分も話す。これは今考えても、話すことと聴くことにおいて、とてもよいトレーニングだったと思う。
独話の原稿も作文と同様に、文字量が多いことが正義という思想を持ち続けていたことから、話が長くなることがあった。朝の限られた時間に、長く話すなということで、いつしか原稿用紙は3枚まで、なんて決まりができていた気もする。
・自分を表現する方法
小学校5・6年生の時の担任は印象的だ。
それは、国語と算数を教えてくれなかったからだ。時間割として国語も算数もあるのだけれど、その時間は何をしていたかというと、生徒が生徒に教えてあげるという、なかなか前衛的な教育を実践していたのだった。
具体的には「ドリル」と呼ばれているような問題集をこなしていくのだけれど、わからなくなってしまった人が、わかる人に聞きながら進めていく、という仕組みだった。
きっと、読み手のみなさんも想像されたと思うが、幸いなことに僕は後者の生徒だった。
人によっては、進学塾に通っていてバリバリ勉強ができる子もいたが、僕は親の教育方針からか、塾もいかず、大手通信教育(〇ャレンジ)も小5の半ばからようやく入会を許された。
そんな、普通よりちょっと頭の良い子的な立ち位置だった。国語と算数の時間は、教科書を読み込んだり、別の本を読んだり、ドリルをやったり、無駄に(好きだった)漢字練習をしてみたりして過ごしていた。
もちろん、友達に教えるのも好きだったから、聞かれれば答えていたけれど、当時の僕は親に「先生は何も教えてくれない」と愚痴をこぼしていたらしい。
(偶然にも、妻もまったく同じ愚痴を親に言っていたらしい。僕と妻は、小学校の同級生である。)
その教師の出す宿題もなかなか特徴的で、ノートの1ページ分を使って、勉強したり日記を書くというものだった。
その日あったことを書いてもいいし、読んだ本のこと、観たテレビのことを書いている人もいた。漢字の練習や、作文、計算練習でもよかった。
そのノートが、僕の表現の場だったと思う。
当時のノートは残念ながら残っていない。思えば、ページが真っ黒になるまで文字で埋め尽くしたことも何度かあった。とはいえ、そのノートに書いたことで褒められた、という記憶はまったくないのだけれど。
・書いたものが売れる喜び
高校生になると、レポートと呼ばれるような課題が増えた。論文もあったけれど、レポートは論文とは異なるものの、文章を書き、説明するという手順は変わらなかった。もともと文章を書くことに抵抗はなかったから、レポート課題も比較的サクサクとこなすことができた。
レポートとは違うが、古文のノートは同じクラスだけでなく同じ学年に広まった。友人曰く、学年の3分の1(200人程度!)は僕のノートのコピーを持っていたらしい。テスト前に廊下を歩いていると、すれ違う人の手に僕のノートのコピーが握られていることが何度もあった。面識もなく、名前も知らない人たちばかりだった。
レポートや論文ならサクサク書けるからと、苦手だとこぼしていた友人の論文課題を、親切心で手伝ったところ「これ、お礼ね」と、お金をもらってしまった。その時、レポートを書けば売れるんじゃないか、と思いついてしまったのだった。
国語の学期末課題、自分の分を早々に書き上げて、残りの時間に3本書いた。自分のレポートは中立的な立場で書いていたから、残りは賛成と反対にそれぞれ傾倒させ、さらに全く違う話題でも書くことにした。文体を変え、漢字の使用頻度も下げ、パソコンで書いて印刷したものを渡した。
今考えると、教師にバレていたら退学だったかもしれない。我ながら、危ない橋を渡ったものだ。ただ、そのレポート代筆スキルは大学時代にも生かされ、ある先輩が大学4年間で、唯一取得したA判定(最高評価)は、講義をまったく聞いたことない僕が書いたレポートによるものだった。
・依頼されて書いた投稿
noteの投稿のなかにも、依頼されて書いたものがある。お金をいただける“お仕事”ではなく、妻との会話から発展したものや、趣味として参加していた地域大学の活動紹介として書いたものだ。リクエストをもらった妻や、その大学活動のリーダーの方に読んでもらって、僕自身とてもうれしかった記憶がある。
妻との会話の中で、自分の考えを整理したくなって、書いてもいい?と聞いてみたら、是非書いて!ということで書いたもの。自己紹介がてら、断続的だけれど僕の固定記事にしている。
どんなふうに世界を広げるのか、個人的な性別性のようなものが、幼い頃から自覚ないし気がつくと、不幸な選択が減るような気がします。とはいえ、子どもにとって、親の存在は絶対なことも多く、僕のことを見守ってくれた両親には感謝しかありません。
カフェが主催した地域大学的な活動に参加していたとき、リーダーの方から活動内容や僕が考えたこと書いてほしいと言われ、書いたもの。店名に因んで、クルミに関する名言を探してみたら、活動とも重なり合うような言葉が見つかったので併せて書いている。
実は僕たちは胡桃の殻の中にいて、何もできないと思い込んでいるけれども、何かできるんじゃないか、そもそも自分や自分の暮らしは誰が作っているんだろう、そんなふうに考えるのです。
自分という宇宙を治めているのは、ほかならぬ自分なのであり、自分をご機嫌にするために、出来ることがあるはずだとも思うのです。
・友人のことを書いた
ある時、友人とのやりとりがとても印象的だったので、noteの投稿として書いたものがある。僕の新しい挑戦に際して、背中を押してくれたその友人に感謝を込めて書いた。
きっと多くの人にとっては、なんてことないやりとりなのかもしれないけれど、その友人との長い付き合いも含めて忘れたくないことだったので、書き残しておくことにした。
あるとき、彼から「もつは、視点が違う」と言われました。自分の意見に何となく自信が持てなかったこともあって、それは僕にとって褒め言葉でした。
他人と違うこと、彼がそれを「いいね」と言ってくれることは、自信につながりました。
・noteで毎日更新をする意味
2020年5月23日から、毎日更新を続けている。もともと、毎日更新をしたらフォロワーが増えるかもとか、日々のことを日記がわりに書いておけるかも、と思って始めた。
毎日書くこと、それは日記のような存在になりそうだが、僕が書いているのはちょっと違うかもしれない。もちろん、その日にあったことを書いた投稿もあるが、過去の記憶や、子どもとの思い出、仕事で考えたことなど、日記とは違う使い方をしているのが、このnoteなのだ。
不思議なことに、自分が書いた投稿を読み返すと、書いてあることよりも書かなかったことを思い出す。ちょうどこのとき、子どもの体調が悪かったんだよなぁ、とか、この投稿書いた時は、めちゃくちゃ仕事忙しかったな、とか。
毎日更新をするためには、毎日書いているが、毎日書くためには、その日その日の過ごし方の中で、書くことを見つけたり、書けるきっかけに気がつくことが必要になる。そういう意識で過ごしていると、昨日と同じ今日はないし、今日と同じ明日もない、ということがはっきりとわかるようになった。
継続、という言葉には、糸偏(いとへん)がふたつもついています。
それに因んで考えてみると、毎日の中にチラッと見える「糸」を手繰り寄せて、日々の投稿にしている節があります。だから、その糸の色が普段みたことのないものの方が、見つけやすいのですが、普段から目にしている糸も、とても大切なものです。
毎日、こうして書き続けるために「何かないか」「どこかにないか」そんなふうに考え続けることは、今ではほとんどありません。幸いなことに、どこかに「糸」が見えるし、誰かが「糸」を差し出してくれることもあります。
毎日書く書き手は、ゴールはなくとも、テーマを決めて書き始めているわけだから、自分で知っている話だ。しかし読み手は、毎日コロコロ話題が変わるのについてきてくださるのが、本当にありがたい。毎日更新をしていると、読み手の傾向もまた日々違っていたりするもので、そこで新しい出会いがあったりすると、ますますやめられなくなるような気がしている。
・なぜ書くのか
ここまで、これまでの僕の“書く遍歴”を振り返って、noteに書いてきた投稿にも触れた。僕にとって、書くことは重要な活動のひとつ、人生の一部分になっている。そして、改めて問う。
なんで、書くの?
本当に、なんでだろうか。
振り返ってみると、noteでは自分自身のことをたくさん書いているし、さらには家族のことも書いている。そんなに書いて、何が面白いの?と聞かれたことすらある。
経験があったからこそ感じているのは、僕が書いたことと同じような考え方だったり、困っていたりする人がいたら、もしかしたら役に立つかも知れないと考えている節がある。
また、記憶に残したいから、記録のために、そんなふうに考えて書くときもある。子どもの何気ない言葉や、初めての経験を共有できた時など、いつか忘れてしまうかも知れない瞬間を切り取るような想いで書く。
好きなものを、誰かにも試してほしくて、むしろ一緒に好きになって欲しくて書くこともある。布教なんて呼ばれているように、共感してもらう以上に、それを知らなかった人が「ちょっと良さそう」と気がついてもらうために書く。
書いている理由、のようなものはいくつか浮かんできたけれど、本質的な「なぜ書くのか?」はもっと奥に答えがある気がする。つまり、表現の方法として「書く」を選んでいるのは何故か、と問われているのではないかと考えたのだ。
なんで、「書く」なの?
確かに「書く」を選んでいるのは、自分自身であり、保育園で漢字を認識してから、あるいは字を覚えてから、僕が選んだ表現方法だと思う。
いくつかのきっかけがあって、書くことをやってみたり、続けてみたり、そしてやめてしまったりしている。文書を書かねばならない場面も、学校や仕事で経験しているけれど、むしろSNSのようにnoteのように、書かなくてもいい場面でもこうして書き続けているのは、大きな理由があるのかもしれない。
問いへの答えを考えているうち思いついたのは、僕自身がいつだって感じている「話すのが苦手」という意識の存在だった。
つまり…、話せないから、書いている。
話すのが苦手と思ってしまうのは、僕自身ではこういう動機を持っている。
「話すことは、とても不安定」だから
微妙なニュアンスを感じ取ったり、語調から話し手の気持ちを察したり、言葉にならない言葉を汲み取ったりすることは、僕にとって非常に難しいことだという思い・・むしろ観念というべきほどに強い確信めいた”苦手意識”があるのだ。
聴く側でそんなふうに感じているのだから、話す時にはより強くその不安を感じてしまう。
今でもよくあるが、”話し”をしていると、僕は「本当のこと」を言葉にしてしまうことが多い。仲の良い友人なら「それ、言っちゃダメなやつだろ(笑)」と笑いに変えてくれるのだが、仕事の間柄などでは「それ、冗談で言ってますよね?」みたいな表情になっているのを感じることがある。
もちろん、冗談など言える場ではないのは僕も理解しているし、相手も分かっている。放り投げた言葉は、僕が無自覚のうちに、誰かを傷つけていることがある。自分自身の評価が下がっている、と言い換えられるかも知れない。つい、押し黙って時間をやり過ごすのを選択しがちだ。
しかし、「書く」ことは明確に違うと感じる。
妙なことだと思われるかも知れないが、僕は電話よりも、LINEやメールで書く方が的確に意図が通じていると感じられる。おそらく、何度も何度も相手の言葉を反芻(読み直し)できるから、自分自身の言葉も反芻されて出てくるのだと思う。また、書いていて「これはちょっと違う」と思ったら消してしまえばいい。
言葉を、自分の言葉として放り出すまでの時間は、圧倒的に話す方が早い。僕は、考えながら話すことが、多分、できていない。
ただ、本当の意味での”自分の言葉”を求められているのは、友人たちとの会話だけのような気がしてきた。仕事中は、何か意見を求められているとしても、自分の言葉ではない。仕事上の役割という鎧で守られている。
「書く」ならば、こうして考えながら言葉を並べていくことができるし、何よりも書き直すことも、消し去ることもできる。そうした安心感の中で言葉を放り出せるから、時間はかかっても自分の中で納得して言葉にしている節がある。
結果として、書くことが、僕自身を守ってくれる表現方法なのかもしれない。それは、明確に意識するわけでもなく、いわば信じていたようなことかも知れない。
書くのが好き、と真っ直ぐに肯定できるわけではなかった・・「書くほうが安心する」のだと気がついた。誰かを変えたいとか、自分を変えたいとか、そういう願望もあるだろうけれど、書くことで安心したいのだった。
だから、書いている。
なんで、書くの?
それは例えば話すとか、ほかの手段に比べて、自分の放り投げた言葉で傷ついてしまう誰か(自分自身も含む)が、より少なくなると信じているから。
なのである。
答えになったような、なんにも答えていないような。いずれにしても、僕はひとり納得した思いがする。長々と独り言に付き合っていただいたとしたら、それは大変ありがたいことだし、書くことを肯定されていると信じられる。
これからも、書いていきたい。
もとい、これからも、書いて生きたい。
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