団子の作法
毎週月曜日は旅の記録を書いています。
毎年春になると京都に行きたくなる・・先週は、そんな話でした。前回の話を書いているときに思い浮かんだエピソードが多く、書ききれなかったものもありまして。
まだ心は京都にいるので、今週も京都の旅の記録を書きたいと思います。
どこでもそうですが、季節ごとに、景色が変わり、食べるものが変わり、お菓子が変わります。とくに和菓子は、季節ならではの意匠も多く、同じ店でも春と秋では別の店のようなショーケースになることもあります。
京都の和菓子というと、何が思い浮かぶでしょうか。僕は、それまでずっと京都で食べたかったお菓子は、“みたらし団子”なのです。
僕のつたない知識としては、みたらし団子の起源は下鴨神社を流れる御手洗川(みたらしがわ)であったと記憶しています。
その水を使って団子を作ったのかタレを作ったのかは分かりませんが、名物として流行し、全国的に広まったのではないかと、勝手に考えています。
下鴨神社のそば、西側だったと思いますが、“みたらし団子屋さん”があります。ずっと食べたかった、そのお店に行ったときのことでした。
店内は、8割くらいの席が埋まっていました。家族やカップルたちがいる中で、3人の女子がにぎやかにしているテーブルがありました。
女子旅で京都、そして和菓子なんて楽しいよね・・心の中でつぶやきながら、ひとり旅の僕は隣のテーブルに座りました。食べたかった団子に加えて、季節の和菓子と抹茶のセットを注文。
僕「いまのお菓子って、何がありますか」
店「ええと、アレと、ソレと、水無月です」
僕「あ、では、水無月をお願いします」
唯一知っていた「水無月」を指定し、見るとはなしに店内に視線を巡らせました。ガイドブックによれば、串にささった団子の一番先に楊枝が刺さっており、木製の匙が添えられていました。
一体、どう食べるのだろうか・・と先達を観察したいと思ったのです。
にぎやかなテーブルは、一般的な串団子の食べ方でした。つまり、串を持ち上げて団子を直接口に入れ、歯で串から外すようなイメージ。それだと、皿にタレが余ってしまうし、口角がタレで汚れているようでした。
別のテーブルでは、匙をつかってタレをすくって口に運んでいたのです。子どものころから、タレだけを舐めることが“みっともない”と言われてきた僕にとって、それも抵抗がありました。
それらを見ながら、楊枝で団子を食べ、匙でタレをすくう、と役割を決めて、運ばれてきた団子と対峙しました。
小ぶりな5つの団子は人間の五体を表しているのだとか・・その頭にあたる最先端の団子に、楊枝が垂直に立って刺さっていました。なるほど・・。
楊枝をつかって団子を串から外すため、ぐっと引っ張ると、楊枝からミシリと軋んだ感覚が伝わってきました。あわてて作戦を変更し、楊枝を団子から抜き、少しづつ団子を押すようにしながら、串から外していきました。
ひとつ外れて、食べるか迷いましたが、何度も同じ動作を繰り返すのは面倒だったので、とりあえず串一本分の5個を外し、匙でタレをすくったところに楊枝で団子を乗せ、口に運びました。
もはや味の記憶はありませんが、とにかく庶民的な団子が、こんなに品が良くなるの?という味だったように記憶しています。(どんな味だ笑)
ほどなく、抹茶と水無月が運ばれてきて、にぎやかテーブルの視線を感じました。「・・あれが、水無月、なのね・・」と確認しているようでした。
「いただきます」
店員さんにお礼を言って、水無月をひとくち。
うっまーい。
声に出さないように唸りました。小豆の食感が残り、抹茶とよく合う甘さ。やっぱり美味しいよなぁ水無月って。
ふたたび団子に戻り、コツコツと串から外し、タレを絡めて食べる、たまに水無月、を繰り返しながら、テーブルの上にあったお菓子がお腹に収まりました。
美味しかったなぁ。
不意に、周囲の物音がしなくなりました。正確には、にぎやかなはずの隣のテーブルから音がしない。女子会は続いてるんです。みんな座っているのに音がしないのです。・・それは、コソコソ小さな声で話しているような、黙々とゆっくりとお菓子を食べているような雰囲気。
なぜか、そっちを見ちゃいけない感じがして、そそくさと席を立ち、会計をして帰りました。水無月が美味しかったと伝えて。
さて、店を出てから考えました。謎の静寂について。
すでに答えを書いているようなもので、しかも自分で言うのも何ですが、僕の食べ方が「堂に入っていた」つまり「丁寧で上品に見えた」のかも知れないなと思ったのです。
僕も、はじめての団子に緊張していましたが、串団子とは一線を画す食べ方をしました。そして、季節のお菓子を尋ねるのも、受け取る時にいただきますと言ったのも、彼女たちには驚きだったのかも知れません。
僕の中でも、かなり背伸びしていたところもあります(笑)
「旅の恥はかき捨て」と言う諺のように、多少の恥は大丈夫かも知れません。でも、それを恥と認識してしまうと、萎縮したり中断してしまって、結果、楽しくない思い出になってしまうこともありそうです。
隣に座っていた彼女たちは、自分たちの振る舞いが「恥」であったことを自覚させられ、3人もいるのに、ひとりも思いつかなかった団子の食べ方に愕然としたのかも知れないと気がつきました。なんだか、すみません。
結局、正解は分からないのですが、そのあとの女子旅がより良いものになっているようにと、過去に向かって祈っておきます。
長くなりました。いつか書いてみたいとずっとしまっていたエピソード、ようやく出せました。読んでいただき、ありがとうございました。