自己啓発できない。
「マスクを取ってください」
着けていたマスクを指先でつまみ、ずり下げた。
その日私は成田空港にいた。
入国審査のカウンターでパスポートを確認している入国管理官は、全く私を歓迎している風では無かったけれど気にはしない。
だってもう少しで日本の地を踏めるのだもの。
子どもたちに振り返りざまに囁いた。
「もう少しでコンビニ行けるね。」
すると長女の顔が豹変した。
「鼻の穴!!ティッシュ!!!」
鬼のような形相だった。
飛行機の機内は乾燥しているためか、私はよく鼻詰まりを起こす。そういう時は何故か片方の鼻だけが詰まる。対処法として詰まった穴にティッシュを詰めると息をするのが楽になる。
だから私はいつも通り詰まった方の穴にティッシュを突っ込んでいた。その上からマスクをすれば周囲にはバレないということを前提に。
入国管理官からマスクを取れと命じられた時には、日本に帰国した喜びでティシュのことは頭からすっ飛んでいた。
まあいい。いつものことだ。
それに私は知っている。こうやって恥をかくことも人生にはプラスになると。だって恥は人生に挑戦している証拠なのだから。そうどこかの本に書いてあった。
話は脱線するけれど、ニュージーランドの図書館では日本の本が借りられる。在住している日本人の方々が寄付してくれているのだろうか。友人が一人もいない私は去年引っ越しをしてから本を読み漁る生活をしていた。小説をはじめビジネス本、しばらく読むのをやめていた自己啓発本にも手を染めていた。
そしてその内容は帰国間際で高揚した私の心にスーーッと入り込んできた。
ティッシュを鼻の穴に詰めて帰国してから、1週間程が過ぎたある日のこと。
母が子どもたちを連れてランチに出かけてくれた。
夢のお一人様タイム到来。
1年も日本を離れていると、コンビニですらディズニーランド並みに興奮できる。どこかに行きたい。
しかし、実家にあるのはボロボロの軽自動車、しかも長らく運転していないマニュアル車。
出かけてみようか。
なぜそんな馬鹿な思考回路が働いたのか。自己啓発本の影響だろう。
「何かを決めるときは、普段と違う選択を。より困難な道を選べ。」そんな言葉が脳内でこだました。リスクを取らずして成長はないのだ。
心は決まった。
マニュアル車で美容院に行こう。
しかし何年も運転していないマニュアル車。坂道発進だけは何が何でも避けたい。
グーグルマップを睨み、脳内記憶を呼び覚ましながら坂道発進を避けて行けそうなエリアをチョイス。その周辺で当日予約OKだった美容院はたった1つ。迷うことなくネット予約した。
車に乗り込みエンジンをかけようとするが、何度トライしてもかからない。どうやら私はクラッチを踏まなければエンジンがかからないことすら忘れていたようだ。
なんとかエンジンをかけ、駐車場から出るも、すぐにエンスト。
「ピンチはチャンス。」
誰かの名言だったか、どこかの自己啓発本で読んだのか定かではないが、とにかく人は逆境を超えてこそ成長するものだ。
そう自分に言い聞かせ車を国道へと走らせた。
走行は順調に見えたが、最初の信号で停止し青信号で発進するときに予定通りエンストした。
交通量の多い国道でエンストすると恐ろしいほど焦る。
焦った気持ちを落ち着かせたい。こういうときはポジティブな言葉を口に出せば良いんだ。
「エンストラッキー。」
『全然ラッキーじゃねえ。』別の自分が少し顔を出したが、「エンストラッキー」を再度口にしネガティブまっ子をねじ伏せた。
その後再びエンストした私は「エンストラッキー」という言葉とは裏腹に後悔し始めていた。赤信号で停止するたび、信号が青に変わるのが怖い。次はエンストせずにスムーズに発進できるだろうか。いっそこのまま赤でいてほしい。そんな願いも虚しく信号は青に変わる。
そしてエンストを回避しようとアクセルをふかし、周囲に爆音を響かせてしまう。
「俺は暴走族か」と自分にツッコんでみるも、全く笑えず心の乱れは収まらない。
とにかく事故だけは起こさないようにと、法定速度だけは厳守した。
それなのにどんどん後方から来た車に追い越される。みんな警察に捕まればいいのに。そんな悪態を心でつきながら美容院を目指した。
そしてこの信号さえクリアしてしまえば、左側に美容院というところまでこぎつけた時だった。信号が変わり前進しようとするとまたエンスト。もたつく私に浴びせられた爆音。
プップー!!
クラクションだ。
ああ、本当に申し訳ない。
しかし、こういう場面でこそポジティブ思考が必要なのだ。
「人に迷惑かけることを恐れてはいけない!」
『お前は馬鹿か。』
心の声がはっきりと聞こえた。
美容院では顎下まで髪をカットしてもらい、白髪もバッチリ染めてから帰路についた。
無事に実家に到着し「頑張ったね、私」と自分を労った。自分に優しい言葉をかけることも大事だとどこかで読んだ。
玄関を開けると、先に両親と子ども達が帰宅していた。長男が玄関まで走って出迎えてくれた。
息子「何その髪型、おにぎりかよ。」
その日はいろんなことに挑戦した。命を張ったといっても過言ではない。そのくらいマニュアル車を運転するには勇気が必要だったし、他人様にも多大な迷惑をかけた。人生に大きな変化があるようにと髪も思い切り短くした。自己成長のために最大限努力した一日だった。
それなのに、その結果が「おにぎり」。
「おにぎり」と名付けられた私はしばらく玄関に佇んでいた。そして自分の行動と思考を振り返った。
そう言えば去年も自己啓発本にズタボロにされたんだっけ。
それなのに、そんなことはすっかり忘れ、また自己啓発本に手を染めてしまった。それもこれも全て自分に自信がないからだろう。
365日現状に満足できず、どうにか人生を好転させたいなんて考えているからだ。
その上、私は自己啓発本の内容をストレートに解釈できていない。自己流でこじつけている。
鼻にティッシュを詰めた顔面を人にさらしても自己成長なんてしない。エンストを繰り返し運転するのはただの危険で迷惑な行為。もしかしたら事故を引き起こしてたかもしれないじゃないか。そんな自分自身に労いの言葉までかけるなんて、私はとんだ大馬鹿野郎だ。
「こうすればあなたは人生は変わる」なんてメソッドをどれだけ頭に叩き込んでも、成功に向かうどころか、「おにぎり」の方向に進んでいる。もはやそれがどんな方向なのかも不明。
そう頭では理解できているのに、知性のない私はきっと近い将来また自己啓発本を手にしていることだろう。だって人間はいつまでも成長していきたいと願う生き物だもの。永遠に自己啓発できない私は読み続けるしかないのだ。
そして何度も「おにぎり」になるのだろう。
そんな未来が見えてしまい絶望した。
そして現在、その未来は現実となっている。
私は今日も図書館でせっせと自己啓発本を借りている。
髪が伸びて「おにぎり」と息子に呼ばれなくなったのがせめてもの救いだろうか。