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【エッセイ】休日のパン


好きなこと、好きなだけする生活がしたいと思うけど。
じゃあ私のしたいことってなんだろう。


よく考えた結論。
したいこと:丁寧な暮らし。
美味しくて健康に良いものを作りたい。
家庭菜園を作ったり。
あとは、本をもっと好きになりたい。
仕事も、したい。

けど、それってほんとに私がしたいことなのか?

色々考えて、考えすぎて、一周まわって何も考えてないんじゃないかな。


したいことと、理想って違うと思う。


例えば休日。
太陽の光もそこそこに出始めた頃、窓から差し込む光とともに目が覚める。暖房の効いた室内だから、布団から出るのだって怖くない。顔を洗って、歯磨きをする。
炊飯器にごはんを洗ってセットして、冷蔵庫から梅干し・たくあん・切り干し大根を出して長方形のお皿にちょこんと三種盛る。お皿にラップをかけて、冷蔵庫に入れておく。
それからお湯を沸かして、夫と私の分のコーヒーをいれる。夫を起こしにいく。ペットのハムスターがおやすみと家に帰る。リクガメはのっそりと家から出てくる。
夫がおはようと笑う。私も笑う。
ふたりでコーヒーを飲んだら、着替えて散歩にいく。歩いているうちにやわらかに街は動き始める。太陽は昼に向けて光を少しずつ強めていく。
7時にオープンするパン屋を見て、パンもよかったねと話す。


なんだってできるんだ、今日は。
なんだって生み出せるんだ、今日は。

早起きして、朝ごはんを食べて。体を動かす。

これが、私の理想。



現実は、窓から差し込む光が、やがて消えるまで目覚めては寝て。ときどきスマホを見て。というのの繰り返しである。朝ごはんは面倒だから食べないし、部屋は汚いままだ。前日のごはんはどれだけ多く作っても前日に食べきるから、なにも残らないし、なんなら満腹のまま朝を迎える。そして、私はそもそもコーヒーが苦手だ。体も極力動かしたくない。




けれど、理想も嘘ではなくて。
7時にオープンするパン屋があるのも嘘ではなくて。




以前、朝まで眠れなかった日に、どうしてもパンが食べたくなって、早朝から開いているパン屋を検索した。午前7時。
実家では休日の朝によく父や母がパン屋に行って、大量のパンを買ってきてくれて、そのなかから好きなパンを何個も食べていたので、休日の朝といえばパン屋のパンというイメージがある。
ぐーぐーと寝息を立てる夫を起こして外に出た。
暑かったか寒かったかは覚えていないけれど、とてもよく晴れていたのは覚えている。眠れずぼんやりしていた頭が、すっきりして。なんだかなにかの主人公になったみたい。ジョギングをする人、どこへ向かうかわからないけれど、どこかへ自転車を漕いでいく人。それぞれに今日があり、これからがあり。寝るも動くも自由。私だって同じ。自由なんだよな、と思った。


歩いて数分の距離にパン屋はあった。
Googleマップで見たときにわりと近いなあとは思ったけれど、ほんとうに近くてびっくり。そしてオープンの7時から20分ほどしか経っていないのに、こじんまりとした店内にたくさんの人。大賑わいだ。
パンはどれも美味しそうで、初めて見るような珍しいパンもたくさんあった。どれにしようかと悩んでいるうちにどんどん他の人のトレイに入っていくから、これいいかもと思ったらすぐ私も負けじとトレイに入れた。

結局、実家で父や母が買ってきてくれていたパンの量くらい買ってしまった。大量。ふたりなのに。

でもなんだかそれもすごく嬉しかった。


夫が飲み物でも買おうか、と言ったのでコンビニでコーヒー牛乳を買った。コンビニを出る頃には、あんなに穏やかに光っていた街も、もうすっかり騒がしい街に戻っていた。

太陽の光も随分と、眩しくて。

帰ろうか、と夫が言った。私も頷いて家に帰った。


結局そのあと、私、パンをたらふく食べて寝てしまったんじゃないかなあ。たっぷりのパンと甘いコーヒー牛乳と、窓から差し込む、もう昼の格好をした太陽にようやく安心しながら。


ときどき理想をすることも、私のなかに小さく眠る「生きたい」を生み出す方法のひとつかもしれないなと思う。
でも理想は理想で、とっておきでいい。
まずは現実の自分も受け入れてあげること。


私のしたいことってなんだろう。


やっぱり今はエッセイ、書きたいかな。
そのためにときどき、休日にパン屋のパンを食べる。
コーヒーは飲めないので、朝ホットミルクをいれて飲む。


大丈夫。大丈夫。生きていけるよ。

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