障がい者(私)は美しくない
障がい者としてまずはっきり言わせてください。
障がい者は決して美しくはない。
聖人君子でもなんともない。
私が病気にかかる前、大学入学直後。
今から30年ほど前だろうか。
私は家から仕送りの無い貧乏学生であった。
私は六本木にある石庭グループの料亭に、お花さんとして働いていた。
お花さん、とは、振り袖の和服を着てひたすら客の脇で座り続ける、というわけのわからない仕事であった。
時給は3000円であった為、私はその割の良いバイトを選んだ。
和服の着付けもタダで習いたかった。
はっきり言って、今分かるが水商売である。
飲み食いし、会食する男の傍らで、ひたすら正座である。
何の罰だろう。
と、思いながらも、生活の為に痺れて動かない足を引きずって、バイト友達と勤務明けシシリアのピザをどうにか口に運び(←疲れ過ぎて食欲が無い)、うなだれて地下鉄で帰った。
その時間、下宿先の風呂屋も閉まっていた。
コインシャワーしか手段が無かった。
その桜庵という料亭に通うのと同時に、国会議員会館(だったっけ…)というところに通っていた。
通称、議面前、である。
当時、PKO法案が国会で審議されていた。その抗議行動で、毎日議面前に行った。
料亭で、当時大蔵省のお偉いさんの日本酒銘酒パーティーや、土建会社のお偉いさんが「もう社会党とは話済んでるから」と話すのを聞きながら、敗北感でいっぱいの体を地下鉄に無理矢理押し込めた。
乖離。
国会では社会党が牛歩をやっていた。
みんなは頑張れ!!と言っていた。
私はひとりシラけていた。
というか、疲れていた。
負けるのがわかっていた。
疲れ切っていた。
その疲れの原因の大半が、男性社会によるものだと、その頃から感じていた。
私を疲れさせたのは、何も料亭に来る高級官僚達や会社の重役達だけではない。
議面前でも、泊まり込みをしていた私に、ある車椅子の男性が近寄って来た。
アイウエオシートで会話した。
生まれて初めてのアイウエオシートだった。
男性は、(確か専修大学の)大学教授、と名乗った。次にいきなり「あなたは私とセックスできますか」と聞かれた。私は初対面の電動車椅子の男性に、大学教授とやらに、ただ呆れ果てるしかなかった。
運動家だったり、障がい者が、聖人君子と思ったら大間違いである。
女性は、あらゆる分野で蔑視あるいは差別、性搾取される。
障がいを持つ男の子が生まれると、可哀想に、と思って障がい者専属風俗に連れて行くのは、たいがい父親である。
その発想の、あまりにも貧困なこと。
障がい者に恋愛など無理だ、という思い込み。
射精を排泄、と教える親達。
心の無い性交。
そうやって、めんめんと受け継がれる男の社会。
うんざりしている。
一方。
現在。
ベランダでタバコを吸ってたら、老女の話に辛抱強く耳を傾ける通りすがりの男性の若者たちが見えた。30分近く聞いてあげてた。びっくりした。
嬉しかった。
行きつけの喫茶店前のトイレで、順番待ちしていた。長かった。きっとオバサンだろう、とオバサンの私は思った。あに図らんや、出て来たのは、乳児のオムツ替えをしていた若い男親だった。
差別的な考えをしているのは、先入観に囚われているのは私だ。
数々のトラウマが、私の眼にバイアスをかけている。
ファミマで奥さんを怒鳴り散らす男もいれば、韓国籍で電車に跳ねられそうな人を自分自身の命と引き換えに助ける男もいる。
世界はそう悪くない。
48年生きてきたけれど、なんか最近ことばにならない温かさを感じる。
梅雨明けで、夏が来たから。
だけじゃなくて。