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ハンデを覆す運と戦略 - カナダ就活記

とある昼下がりの面接直後

二次技術面接。だめだったぁ。一時間以上の一人目の面接が終わった後、先には進めないと言われた。

きつい面接だったなぁ。自信を持って話せた部分がほとんどなかった。完全に自分のペースを失っていた。

2024/04/10 日記

期待していた最終面接はボロボロだった。二週間以上掛けて複数のステップを乗り越えて、最後の最後にこれだ。

ショックで物事をうまく考えられずただ落ち込んでいた。明らかなのはだめだったことだけだった。

二時間ほど経って少しずつ落ち着いてきて、反省をした。苦い経験だったが落ち込んでいられない。これを活かして前に進まなければならない。

エンジニアとしてのキャリアを積むためにカナダに来たのだ。仕事が見つからなくて日本に帰るなんて嫌だ。働き始めるまで後三か月、それまでにオファーをもらう。


カナダへやってくるところから

カナダのバンクーバーに渡航したのは 2023 年 7 月下旬。日本で生まれ育った普通の日本人である私にとって、海外移住は大きな一歩だった。

大学を卒業してゲームの会社でプログラマとして働き始めた。理由はゲームとプログラミングが好きだったため。単純である。

学生の頃から海外生活にぼんやりとした憧れはあった。三年経ち将来について考えたとき、今後の人生で最も自由に行動できるのは今だと思い立った。

三か月後、28 万円もしたバンクーバーへの片道チケットとともに飛行機に乗った。空港に降り立って案内板にあるカエデの国旗を見たとき、ついにやってきたのだなと実感が湧いた。

Vancouver Downtown - July 26, 2023

バンクーバーでの日常

バンクーバーでは一年間私立カレッジに通う計画を立てた。私立カレッジは日本で言うところの専門学校のようなものなのだが、授業自体にはあまり期待していなかった。

プログラミングのコースだったが、経験者にとってはそれほど面白いものではないとの評判だった。

目的はビザだ。一年間学校に通うと、その後一年間働ける co-op というビザが出る。それとワーキングホリデーを合わせて二年間働ける状態を作るという戦略。

授業自体に大した価値がないとしてもビザを取得できるし、現地の生活に慣れたり就活したりするための準備期間として一年を費やしても良いと判断した。

実際到着してから、銀行口座開設、身分証の作成、引っ越しなどごたごたして、生活が落ち着いたと感じるまでに三か月ほど掛かった。

就活開始

2023 年 11 月、今月中に体裁を整えて、とにかくいくつかの会社に応募してみようと決めた。レジュメ(日本の履歴書のようなもの)を作成し、LinkedIn(ビジネス用の Facebook 的な SNS)のプロフィールを書き、求人サイトを使い応募する会社の当たりを付けた。

12 月 3 日(目標に数日遅れた)、いざどきどきしながら三社にレジュメを送ってみたのだが、何の返事もなかった。しかし、そんなに甘くないことは想定済みだ。レジュメ作成のテクニックを学び、就活本を読み、スキルをアピールするためのプログラムを作った。

Richmond - November 20, 2023

年は明けて 2024 年 2 月、改めて別の三社に応募してみたのだが、やはり返事がない。手応えのなさにがっかりし、これは想像していたよりも厳しいかもと思い始めていた。

そもそも海外で就職するには結構なハンデを乗り越えないといけない。まず、日本での学歴や経歴は大して役に立たない。日本の大学も会社も、ほとんどの場合外国では知られていない。

カナダ人からすれば、私など謎の大学を卒業して謎の企業で働いていた謎の外国人でしかない。

名前から英語ネイティブではなさそうなことも分かるし、ステータスも不明なのでビザのサポートが必要かもしれない。カナダで働いたこともなさそうなので、チームに馴染めるか不安もある。

こんな面倒事があるならカナダ人を雇ったほうが遥かに楽だ。何十何百と殺到する応募から私のレジュメを選ぶ理由がない。

就職するには、ハンデをひっくり返す何かが必要なのだ。

初めての面接

オンラインでレジュメを送る方法は効率が悪いことが分かった。どうしたものかと考えていたところ、LinkedIn でメッセージをもらった。なんと、経歴が会社にマッチしていそうなので面接を受けてみないかとのこと。レジュメを送ってみると、あっさり面接の日程調整が進んだ。

Zoom で 15 分ほど話した。互いに自己紹介をして、前職での仕事のことや募集しているポジションのことを話した。

これはいわゆるスクリーニング面接というもので、通常はレジュメが通った後に行われる。典型的にはリクルーターと電話やビデオ通話で短い会話をして、やばいやつじゃないかチェックする過程だ。

初めてにしては悪くなかったと思う。コミュニケーションは取れたし、変に気まずい雰囲気になることもなかった。もちろん、改善点はたくさんあったけど。

これは結局もっと経験のある人を探しているとかでだめになってしまったのだが、続く三月にも二社から同様のメッセージを LinkedIn でもらい、面接をした。ほんの先月までどうやったら面接までこぎつけられるか悩んでいたのに、流れってあるものだ。

ビザのせいなんじゃないか

三社と面接したのだが、すべて一度の面接で終わってしまった。大失敗をした覚えもないし、スクリーニング面接がそこまで厳しいものかなと疑問に思ったが、先に進めない心当たりが一つあった。

これまでのどの面接でも必ず聞かれた質問だ。

"Do you have a work permit?"

つまりカナダで合法的に働けますかということ。外国人としての就活ならではの質問だ。オンラインで応募するときも、すべての提出フォームに同様のチェックボックスがあった。

この質問には正直に答えていた。自分は学生なので今すぐに働くことはできない。九月まで待ってもらうか、会社に就労ビザを手配してもらう必要がある。

もしかして次に進めないのはこれのせいなんじゃないか。ビザがないと言ったら即座に切られるのでは?"I need a visa support" にチェックを入れたら自動でゴミ箱行きなのでは?

どうにか嘘をつかない範囲ではぐらかす返事ができないかと考えて、「永住権は持っていません。しかし就労ビザは持っているので働けます」という言い回しを思いついた。

学生として週 20 時間のアルバイトならできるので、限定的だが就労ビザを持っているのは嘘ではない。さらに、最初に永住権(外国人として取得できる最強のビザ)を持っていないと伝えて期待を下げることで、次の文の印象を高める小賢しいテクニックを施した。

堂々としてれば良い

四月、またしても LinkedIn 経由で面接のチャンスを得た。リクルーターとの電話でビザについて聞かれたとき、ここぞとばかり用意しておいた文を一言一句違わず述べた。

表面上は問題なさそうに聞こえるだけで、深く突っ込まれたら終わりである。どうか気にしないで欲しいと願っていたところ、こちらの心配など知る由もない彼女は、何事もなく次の質問へ進んだ。

たった数秒のやり取りだったけど、私にとっては小さな勝利である。堂々と言えば意外に誰も気に留めないのかもしれない。

その電話の後、初めて次のステップに進んだ。ようやく技術面接である。

典型的なエンジニアの面接であるコーディング面接では、数学の問題のようなプログラミングのお題が出されて、それを時間内に解くことを求められる。面接によって問題の趣向はさまざまで、パズルチックなものもあれば、より実践に即したものもある。

初めてのコーディング面接は酷かった。というか、ネタバレのようだけど、私のほとんどの面接は酷かった。緊張で頭は働かないし、英語はうまく喋れない。考えていることを説明しながらコードを書くなんて、平常時に日本語でやっても難しい。

これは落ちただろうなと思った。しかし淡い期待を捨てきれず、結果の連絡を待った。翌日、

家に帰ってスマホを開いたらメールが来ていた。怖くて見られないと 20 秒くらい逡巡したが、意を決して開いてみた。するとなんと通過していた!

昨日のあれで良かったのだと思うと少し自信がついた。完全に解けなくても良いということだ。もしかすると、難しい部分では苦労したけど、基本的な部分はさくっとできていたから及第点だったのかもしれない。

2024/04/04 日記

一週間後に設定された「Final Round」に向けて準備を進めた。「Final」ってことは、ここを通ったらもうオファーをもらえるということだ。あと少し!


で、結果は冒頭の通りである。これは酷かった。酷いとはこれのことを言うのだった。ここ数年で一番惨めな思いをした。

この後しばらく燃え尽きて、授業の課題をしたり、英語の勉強をしたり、プログラミングをしたりした。十分活動しているように聞こえるかも知れないが、最も重要なはずの就活に積極的に取り組んでいないのは精神的なダメージのせいだった。

ビザのせいで落ちていた(という責任転嫁をできていた)過去の面接と違って、今回は純粋に自分のスキル不足のせいで落ちた。だから辛かったのだと思う。

David Lam Park - April 23, 2024

トロントって遠いよなぁ。

4 月の終わり、また LinkedIn でメッセージをもらった。これまでほぼ毎月一件のペースだったので、実はそろそろ来ないかなと期待していた。

しかし、今回のポジションはトロントのものだった。私がいるバンクーバーは西海岸にあり、トロントは東に 3000 km 以上も離れた街だ。時差が 3 時間ある。ちなみに札幌から那覇までは約 1550 km らしい。カナダって広大だ。

そもそもバンクーバーを選んだのもそれなりの理由がある。永住権を州が推薦する制度が有用だし、日本人のエンジニアコミュニティもある。せっかくメッセージをもらったけど、明日の朝に断ろうと思った。

しかし考え直した。少なくとも面接の練習はできるし、最悪引っ越すかどうかはオファーをもらってから考えれば良いことだ。就活中なのにこのチャンスを無下にする選択はない。

レジュメを送ってスクリーニング面接をした。相変わらず緊張するけど、プロセスには慣れたものである。

その後オンラインでプログラミングのテストを受験し、続くコーディング面接も突破した。二度目の最終面接である。

臨戦態勢

最終面接まで一週間、この期間を最大限活用したい。

どういった準備をするべきかヒントを求めてネットを調べてみると、数か月前に同じポジションの面接を受けた人のコメントが見つかった。たった一つの匿名コメントなので大して信用できないが、見た以上無視するわけには行かない。

本を読みコードを書く毎日。ハッシュテーブルを何度も実装した。遊びの誘いも泣く泣く断り図書館へ通った。

振り返るとよく勉強しているなと思う。冬休みには毎日 7 時間くらいプログラミングしていたし、学生の頃よりよほど真面目に勉強している。あ、今も公式には学生なのだった。

さて一週間後、準備は整った。

いざ尋常に勝負

面接当日。カフェラテを飲みながら部屋をうろうろして緊張していた。いつものことである。

軽い自己紹介の後、面接官が今回の問題についての説明を始めた。

「今日取り組むのは、データ構造の実装で───」一言一言聞くのがもどかしい。早く知りたい!つばを飲み込んだ。

「───ハッシュテーブルを実装して欲しいと考えています」

心の中でガッツポーズである。ついにとんでもない幸運が巡ってきたと思った。

もちろん全く同じではなかったが、想定していた内容と非常に似ていた。この一週間準備してきたことをほぼそのまま繰り返すだけだ。一人で喋りながら PC をカタカタしてきたかいがあった。

実装はこの上なくスムーズに進んだ。むしろ、すらすら進めすぎて不審がられることを避けるため、あえて少し迷っているふりをしたくらいだ。

後半に行動面接(仕事への取り組み方や人柄を見るための面接)に移行して、想定外の流れに戸惑ったものの、技術面はクリアしたので最終ステップに進んだのだと思い自信を深めた。

この面接は会心の出来だったと自負している。あまりにも運が良かった。

三日後、これからオファーを出すための手続きに入ると連絡があった。まだ正式ではないが 99% 確実だとのこと。就活開始から半年経った五月末、ついにここまで来た。

しかしここからが本当の戦い

普通ならここで就活は終わりだが、私にとっては第二ラウンドの始まりでしかない。ビザについては最小限しか語って来なかったが、いよいよすべてを明かして交渉する段階だ。

まず、九月からしか働けない。今から考えると三か月も先のことだ。カナダの求人市場では基本的に即戦力が求められる。必要があるから人を雇うので、当然すぐに働いて欲しい。

早ければ二週間程度の待ち時間を三か月に伸ばすのは大ごとだ。そんなに待てないと言われることは十分考えられる。

さらに、co-op というビザの種類も問題となる。一年間働けるのは確かなのだが、それは学業の一環という扱いだ。一年間学校に通い、一年間就労することで晴れて卒業できる。

学生の就労体験のための制度を、私はキャリアのためにガチで使おうとしている。この奇妙な状況を説明して承諾を得なければならない。

オファーをもらってから考えれば良いとずっと先延ばしにしてきたことだったが、ついに立ち向かわなければなくなった。説明を練り、想定されるケースへの対応を検討した。結果がどうなるか分からないが、現時点で可能な準備はなるべくしておきたいと思い、二日間調べものと考え事を続けた。


三か月待ってほしいと伝えたときのリクルーターの様子は忘れられない。「な、なん、え、なんで!?」と狼狽しているところに「実は学生で…」と追い打ちを掛ける気まずさを想像してみて欲しい。

なんとか事情を説明し、即座に却下されなかったことにひとまず安堵したものの、ものすごく非常識なことをしてしまったのだなと申し訳なく思った。

それから一か月もやりとりが続いた。先行きが見通せない状況は精神にかなりの負担を掛ける。眠れなかったり早朝に目が覚めたりしたことも何度もあったし、気晴らしになにかするのも難しいくらいだった。

ようやく待つことに慣れてきた六月末、社内での承認プロセスが終わった。これからオファーを出すので派遣会社から連絡があると伝えられた。

ここで派遣会社について説明。このポジションは正社員ではなく、最初の一年間は他社から派遣される契約社員として働くことになっていた。正式なオファーを出すのはこれまでやり取りをしていた会社ではなく、派遣会社の方だ。

ビザや社会保険番号など、派遣会社に必要な書類を提出した。長かったなぁ。

紆余曲折あったがもうオファーは目の前だ

と思っていたところで事件は起きた。

なんと派遣会社が、学生は受け付けないのでオファーを取り下げると言ってきた。ここに来てそれってひどすぎる。

しかしたった一度で諦める私ではない。海外生活にはタフさが必要だ。

就労の正当性を証明する書類を入手し、オファーを取り下げるデメリットを列挙し、説得を試みた。

しかし、向こうは聞く耳持たずと言った感じで、どうしようもなかった。しつこく食い下がったのを面倒に思われたのか、挙句には「会社の都合」とか言う曖昧な理由で却下された。

こんな理不尽なことってあるのかと憤りを覚えた。インターンに使われるビザなので通常のポジションには使えないと言い張る。問題ないと説明してもまともな返答がない。

意思決定に関わった全員を問い詰めたいくらいだったが、いかに理不尽だとこちらが思っても、会社にだめだと言われたらだめなのだ。最終的に雇うかどうかを決めるのは会社なので、どうすることもできない。

面接を突破し、交渉をし、粘り強く説得を繰り返し、二か月以上掛けてゴール目前まで来て、あっけなくすべてを失ってしまった。

担当者が協力的じゃないとかもはや差別じゃないかとか、99% まで来て最後の最後ですべてをひっくり返すなんてことが許されるのかとか、採用プロセスをすべてパスしたのに一か月も待った挙句だめになるなんて意味がわからないとか、いろいろ憤りは沸く。

しかし怒っても何の意味もない。物事を思い通りにするだけの力が自分にはない。それが悔しくて情けない。

2024/07/04 日記

良すぎないところがリアル

ぽっと出の派遣会社の説得は諦めて、二か月間の付き合いとなったリクルーターに助けを求めた。「実は自分もだめだと思っていたよ。もう仕方ないよ」って、一か月も掛けて承認プロセスを通してたじゃないか!あれは何だったんだ。

これは本格的に潮時かなと思ったが、最後に悪あがきで、派遣会社を通さずに直接雇用するとか、就労ビザをサポートするとか、無理そうなことでもダメ元で提案してみた。諦めるにしても、やれることは全部やってからでないと納得できなかった。

すると、可能性は高くないけど、もしかするとインターンとしてなら雇えるかもと提案された。ただし、その場合でも給料は半額以下になるだろうとのこと。

…いや、流石に半額は安すぎるだろ。こちらのスキルは変わってないのにどれだけ足元見てるんだ。外国人の不安定な身分が心底嫌になった。こんなことがあって良いのかと思った。

もうこれらの会社に限らず、会社という組織への信用は完全に捨てるべきだと心に決めた。

しかしまあ感情を抜きにして合理的に考えれば選択肢はあったほうが良いし、とりあえずインターンの可能性を検討してもらうよう頼んだ。

それから二週間後、期待せず返事を待っていたところ、本当にインターンとしてのオファーをもらえた。私の状況を考慮して社内で交渉した結果、給料は 40% オフくらいになったので、半額よりは少し良くなった。

オファーを受けるべきか悩んだ。就活を再開すればよリ良い結果を得られる可能性もなくはない。元の金額と比較すると不公平に低い給料でもある。

しかし、答えは明らかだった。これまで手にした唯一のオファーだし、何もないより遥かに良い。覚悟を決め、書類にサインをした。

慎重に慎重を期して、トロント行きの片道チケットを取ったのはそれから二週間以上も後のことだった。

Stanley Park - July 9, 2024

ハンデを覆す運と戦略

就職が決まって、海外でキャリアを築くための一歩をようやく踏み出せた気がする。

好意的に解釈すれば、レジュメ落ち→一次面接落ち→最終面接落ち→オファーと、順調に進んだようにも見えるかもしれない。しかし内実は七転八倒である。

リクルーターからメッセージをもらったのは運が良かった。面接の内容を事前に想定できたのは恐ろしい幸運だった。

会社がビザについて厳格な決まりを持っていたのは不運だった。景気が良くないのも逆風だった。

ビザの不利を打ち消すための戦略を持って渡航した。技術記事を書いて LinkedIn でシェアし続けたのは、強力な経歴のない自分が少しでも人目を引くための戦略だった。

渡航してから、おそらく 1000 時間くらいは英語・プログラミング・就活に時間を掛けた。日本で働いていたときも、仕事が終わって家に帰ったら普通に勉強していた。そうして積み重ねたものは実力と言って良いかもしれない。

ハンデの上に戦略と努力を少々。隠し味には不運を。最後に幸運をたっぷり加えて就活記の出来上がり。苦味はあるが意外に後味は悪くない。


最後に、ここまで読んでくださってありがとうございました。一つの事例として、またはエンターテインメントとして楽しく読んでいただけたら幸いです。ご感想をお待ちしています。

Appendix

  • オファーの不公平さについて

    • 誤解のないように補足します。会社は別に悪意があって給料を下げたのではないと私は考えています。少なくともリクルーターは真摯に私の話を聞いてくれましたし、最初から最後までずっと協力的で、会社のルールと戦って手を尽くしてくれた彼には本当に感謝しています。

    • 派遣会社がビザの種類だけを理由に却下したのは不公平にも見えますが、ビザ絡みの問題を避けるためにオファーを出さないことはあり得るらしいので、残念ながら私の認識が甘かっただけです。

  • オファーを受けた理由

    • 何もないよりマシだというのはその通りですが、実はそこまで悪くありませんでした。仕事の内容には純粋に興味がありますし、給料は下がったとは言え日本でのものより高いです。

    • トロントのあるオンタリオ州が提供する永住権の推薦制度を活用できる可能性もあります。BC 州の推薦制度はここ 1-2 年で必要スコアが暴騰しており、先が読めません。

    • 総じて、完璧ではないが十分に良い結果だったと捉えています。

  • 専門家のサポート

    • エンジニアの海外進出を援助する企業 Frog さんに渡航前からお世話になっています。

    • ビザについては最新の情報を取得して正確な理解をするのが難しいので、専門家に相談するのが有効だと考えています。渡航後もコミュニティに所属することで人と接する機会が増え、キャリア的にも精神的にも支えになると感じます。

  • 面接対策

    • 技術面接: コーディング面接の問題を多数掲載した LeetCode のキュレーションサイト NeetCode をやりました。その前には「競技プログラミングの鉄則」を読んで AtCoder の問題も解いていました(面接対策という意味だけでなく個人的にやりたかった)。ただし面接では、パズル要素の薄い決まった正解がない問題が出されることもあります。その場合、想定された答えに辿り着くというよりは、複数の選択肢を比較して議論することが求められるのだと思います。

    • 行動面接: Tech Interview Handbook の Behavioral Interview の章を参考にしました。実際に聞かれたのはネットで見る FAQ にあるような質問ばかりだったので、典型的な質問への答えを用意しておくのが有効だと感じました。

  • 就活

    • 面接まで進んだのは本文に書いた通り LinkedIn 経由で連絡をもらった五社のみで、オンラインで応募した六社はレジュメの時点でだめでした。

    • 強力な経歴を持たない私にも連絡が来たのは、技術記事を書いて LinkedIn でシェアしていたためかもしれません。内容は正直大したことありませんが、ほんの少しでも平均より目立っていた可能性はあります。

    • 面接準備のためのリソースとして、例えば Glassdoor というサイトには会社の口コミなどが載っており、参考にできる可能性があります。

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