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一生のお願い

大好きな人の書いた本



「書かない皆はどうやって自分に落とし前をつけて生きているんだろうと思うくらいに、私には爪を切るのと同じくらい、なくてはならない儀式だ。」


結婚指輪だって必要ないと思っていた。仏教徒だし、これみよがしに左手の薬指に輪っかを入れるのはなんだかこっ恥ずかしい。自由を愛する二人としては、何よりも束縛感が気になった。とまあ二人ともそんなノリで、柄じゃないからいらないよねーと一時はなしでいくことに決まったのだ。それがどうして指輪を買うことになったのか……。
「やっぱ指輪買おうかな」



昔の友だちは、ずっと愛用しているパジャマや枕カバーのようだと思う。元気なときは、そこにいてくれていることに気づいてなかったりする。けれど、弱ったとき一番に着替えて涙を吸い込ませられるのは彼女らだ。友達は何でも許してくれるし、私も許す。宝物箱に入れておいて、ときどき思い出す存在。仕事仲間と会う時は、三番目くらいにいい服を着てくけど、友達に会うときはパジャマのままで行ける。
「三番目にいい服とパジャマ」


ふと、毎日を大切に過ごす、ってどういうこと?と考えさせられた
わたしの根っこはどこなんだろう、何にも芯がない、わたしは
ふらふらふらふら何も自分で決められない


言葉と生活が切り離せないところはすごく共感



いろんなことに足を踏み入れて、挑戦してみて、自分の枝葉を広げていく生き方


素敵だし

見習いたい




未知の世界に飛び込んでいくのはわたしにとっては怖いし疲れるし、すごく勇気のいることだから



気になることも人もたくさんなのに、
でも実際に中身を知ることができるのはほんのちょっとだけ


寂しい




「体のことは自分にしかわからないから、私に頑張れ頑張れと呼びかける」



さっきまで家族と夕飯を食べていた食卓、道を行く誰かの淋しげな後ろ姿、子どものいなくなった公園を見ていると、言葉になどせずとも、それ自体が詩になる、それこそが詩、と最近はそう思う


確かにそうなのかも


だけど自分だとするっとことばが出てこないから詩であることに気づけない

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