休むこと≠悪
「2020年、未知のウイルスによって世界中が大混乱だよ」
なんて言葉を去年の自分に言ったところで「ゲーム?」と思うだろうな。
人間、ありえないことが起きるとフィクションのように感じるのだ。
3.11のとき、TVの映像を観て「映画?」と思ったのをよく覚えている。
でもフィクションじゃない。これが現実なのだ。
歴史に残る瞬間を私たちは生きている。
どんな確率なんだろうね。
このコロナ流行前「学校(会社)が休みになればいいのに」と日々思っていた人も多いだろうが、それは日々に刺激が欲しくて非日常を求めるからだ。
だが、日常に飽きて非日常を求めたとしても、いざ非日常が訪れたときにはいずれまたそれが日常になるのだ。
外に出る時はマスクをしなきゃいけないし、お店を出入りするときはアルコール消毒をしなきゃいけない。
人と近くで喋っちゃダメで、たくさんの人と会っちゃいけない。密室なんてもってのほか。
学校も仕事もリモートにして、密にならないようにする。
これが今の日常。
ただ、最近満員電車は流行前に戻ってきてないか?と思う。
まだウイルスは消えてないんだよ。
会社のお偉いさんたちは消えたものだと思ってるのかな。
私はこのコロナウイルスによって、やっと日本が変われると思っていた。
急激に変わった部分もある。
でも、変わってない部分もある。
小中高は授業が始まっていて、大学がリモートのままなのはわからない。
自粛期間リモートで仕事ができていたのに、解除された途端出社しているのはもっと意味がわからない。
もちろん、小中高と比べ大学はもともとレポート提出等でネット環境が整ってるのでリモートしやすいから、というのはわかっている。
リモートで出来ない仕事はたくさんあるし、出社しなきゃできない業務があるのもわかっている。
だが、本当にできないの?と思ってしまう。
日本の悪しき根性論が残っているんじゃないの?
小さな頃から植え付けられている「皆勤賞」という言葉。
身体が丈夫なことや体調管理ができるというのは大事だ。
それによって休まず授業を受けることも良いことだ。
だが、卒業式のときに、名前を呼んでまで褒め称えることなのか?
休まないということだけが正しいのか?
違うだろ。
体調が悪くても、皆勤賞を貰うために無理して学校に来る人なんて散々見てきた。
欠席率によって内申点が左右されるのも意味がわからない。
休むことが悪とされているとしか思えない。
私は「皆勤賞」が嫌いだ。
こういうことを植え付けられて育つから、休まないことが正しい社会になっているのではないか?
だから今こういう状況でも出社させるお偉いさんがいるのではないか?
人間、一生元気なわけじゃない。
無理なときはたくさんある。
そういうときには休んでいいということを今の子供たちに教えなきゃ、何も変わらないままだ。
休んじゃいけない、休むことは良くないと植え付けられてきたから身体を酷使してまで仕事をする人がいるのではないか。
もうそれはおかしいと言わなきゃいけない。
生きるために仕事をするのに、仕事をするために生きている人が多すぎる。
私はそうなりたくはない。
学校も会社も、行くことが正しいわけじゃない。
何をしたかによって個々が評価されるべきだ。
休むことに対して罪悪感のない社会にならない限り、日本はずっとこのままだ。
少しでも、このコロナ流行によって変わることを願っているし、その動向をきちんと追っていたい。
ちなみに、私は皆勤賞から一番程遠い人間でした。