モモナ
徒然なるままに書いたエッセイをまとめています
朝が来るたびに寒くなっている気がします。 もうすぐ冬ですね。 私、冬は結構好きなんですよ。 北海道出身というのもありますが、私の中では冬が一番長くて、そして一番綺麗だから好きです。 小学生の頃から、しんしんと降る雪を見るのが好きでした。 今になって思うと、あの景色がどれだけ貴重で素晴らしいものだったことか。 人間、それが当たり前だと思っちゃうんですよね。 でも、慣れってそういうものですよね。 最近、友人の結婚式がありました。 私にとっては人生初の結婚式でした。 あ
私、10/14で23歳になりました。 皆様お元気でしょうか。 なんだかんだで10月も下旬。 早すぎですね???? 仕事が始まってから、バタバタと毎日過ごしています。 1日の終わりが早すぎる。 ある意味充実はしてるので良しとします。 なんだか最近私の周りでは転職を考えている人が多いです。 そりゃそうだよなぁ、としか思わんです。 アンパンマンの歌詞だって、生きる意味語ってるんだよ。 仕事するために生きるなんてそんなのは嫌だー!ってなるわ。 私もニート期間色々考えてい
働くところが決まりまして、なんとか毎日生きております。 いつも通りですが、雑多に気持ちを書き留めますね。 この半年間、正社員ニートで過ごしてきた私ですが、とにかく人に恵まれているんだなぁと感じました。 家族はもちろんのこと、大学の友人や先輩後輩、元バイト先の方たち、知り合い、そして一番支えてくれたパートナー。 久々に心が病んでいた気がしますが、色んな人の手によって生きれたのだなぁと思っています。 きっと半年間にちょこちょこ書いていたnoteは心の吐露でしかなかったし、で
私の人生を支えてくれている1曲がある。 コブクロのDOORという曲だ。 部活や色々なことで悩んだ中学のときも、毎晩お風呂の中で聴いていた。 高校受験のときも、高校生活で行き止まったときも。 そして大学受験のときも、就活のときも、色んな人生の岐路で私を勇気づけてくれた。 ライブでこの曲を聴いたときは涙が出たりもした。 曲全体が好きだし、歌詞も全文大好きなのだが、特に励まされるところがある。 「行くしかないだろう!」 自問自答を繰り返し 思い悩み立ち止まるけど あの日夢見
人生において、様々な人と出会う。 それはとても長い縁になることもあれば、ほんの一時の縁もある。 人と極力関わるなと言われるこのご時世。 しかし、人は人と関わることで人生を豊かにできるものだ。 今回から、私の人生の中で出会った名も知らぬ人とのエピソードを書いていこうと思う。 読んだ人にとっても、一時縁のあった誰かを思い出せますように。 一緒にスーパーへ行った男の子 親に連れられ物件探しをしていたときか、もう決まったのか。時期は定かではない。 大人同士で話しているのを
私、声が変なんです。 喉に突っかかる感じで上手く発声できないときがあります。 もう5年くらいこうなんです。 地元にいたときも、上京してからも、色々な病院に行きました。 「喉自体に異常はない」「精神的なもの」 そう言われて時間が過ぎていきました。 きっかけは高校の時、風邪を引いて声が出ないのに無理してバイトをしたから。 あのときから喉の使い方を忘れて生きている気がします。 最初の頃、親にも「腹から声出せばいいんだよ」「ボソボソ喋るな」「聞こえない」とたくさん言われました。
とうとう来てしまった。 年金未納の催告書。 大学時代は特例免除で何とか避けてきたが、現在社会人という立場になったものの収入0の私。 どう払えと!? こういう書類だけはすーぐ送ってくるんだから、と色々言いたくなっちゃうがそれは置いておこう。 収入0の事実は毎日ふとしたときに突き刺さってくる。そんで、年金の書類でも刺されて心は少しボロボロだ。 知ってるよーだ。 私ニートと一緒だもん。 そう捻くれそうになりつつ、免除のことを聞くために問い合わせしてみた。 やはり混み合
小学校の保健室には、ベッドのスペースごとにいわさきちひろさんの作品が飾ってあった。 頭の方にコピーしたものが貼ってあった。 私は保健室の常連だったので、毎回ベッドで寝ていたし、6年間変わらず絵が飾ってあった。 記憶が間違いじゃなければ、たまーに絵が変わっていた気がする。 何故いわさきちひろさんの絵が飾ってあったのかはわからない。 でも、あの絵を見るたびに体調の悪い気持ちが少し紛れていたのを覚えている。色合いといい、描かれている子供の表情といい、なんとも言えない寂しさを
私には恩師と呼べる人が二人いる。 一人は中学の先生。 もう一人は高校の先生だ。 中学の恩師はいじめられていた私に対して親身になってくれた人で、その先生のおかげで今の私があると言っても過言ではない。 今どこで何をしていらっしゃるのかわからないので、感謝を伝えたくても伝えられないのがもどかしい。いつかどんな形でも伝えられたらいいなと思う。 そして、高校の恩師は私の将来を変えてくれた人。先生とはFacebookで繋がっているので、今でも連絡を取っている。この記事も読んでほしいな
このnoteを読んで「私が感じていたことはこれだ」と思った。 地方で育ち、東京を感じたことがある人が一度でも思ったこと。それが書いてある。 ぜひ、読んでみて欲しい。 個人的に周りに言っていたことがある。 「芸術・美術に触れる機会が、地方と東京では差がありすぎる」と。 私は旭川で生まれ、釧路→札幌と暮らしてきた。 たくさんの自然に囲まれながら、高校卒業の18歳まで北海道にいた。 大学進学と共に上京した私が最初にびっくりしたのは人の多さ。 山手線の各駅=札幌駅という感覚
昨日の朝、起きたら目眩がした。 低血糖か熱中症かわからないが、とりあえず横になって一日過ごしていた。 体調崩すのは嫌だな、とベッドの上で思った。 遠い記憶の小さな頃を思い出した。 小さい頃の私は月に一回病院に行ってたくらい病弱だった。 両親は大変だったろうなと思う。 体調を崩したら遊ぶこともできないし、ずっと横になっていなきゃいけない。 小さいながらに苦痛ではあった。 あれしたい、これしたいとずっと考えていた気がする。 今思うと、そうやって横になるしかなかったからたく
「私なんていらない子なんだ!!」 母親と喧嘩した幼き頃、家の裏でしゃがみ込んだ私が叫んだ言葉。 「そんなことない!!」と私と同じくらいの声で言った母がどんな顔をしていたか、もう忘れてしまった。 今の私は正社員という肩書のニートだ。 親のすねかじりにも程がある。しゃぶり尽くす勢いだ。 「全部コロナのせいだ」と思う気持ちもあるが、同時に「全部自分のせいだ」と思ってしまう。 研修先が決まらない限り収入はない。 3月から色々な面接を受けたが、このご時世やる気のある人や能力の
昨日、恵比寿へ行った。 東京都写真美術館の森山大道展を観に行くために。 展示はすごく勉強になったし、スナップ写真の難しさを痛感した。 あと、帰り際のスタッフさんの数に圧倒された。 高級ホテルのお見送りか?って思った。(ひたすら「すみません」「どうも」と会釈してた) その後は、ビール苦手なくせに「ちゃんとしたところでなら飲めるのでは」とエビスビール記念館に行った。 仮説通り美味しく飲めたのだが、その後の喉の苦みに悶えた。まだまだビールは嗜めなさそうだ。 近くの三越は出入り
最近、とうとうコンタクトをつけるようになった。 ここ最近、顕著に視力が落ちていると感じてはいたが、まぁ大事なときにメガネかければいいだろうと楽観的だった。 「さすがにダメだな……」と思ったきっかけは、ディズニーシーへ行った時にパートナーが「あれ見て」と言うものを全く認識できない自分に気づいたからだ。 もう目を逸らせないな、と覚悟した私は人生初めての眼科へ行った。(冗談でなく、本当に初めて行った) そこで院長先生に言われた。 「よく今まで裸眼だったね。相当目つき悪く見え
もうそろそろ梅雨に飽きてきた。 ジメジメしてるし、雲はどんよりしていてまったく晴れないし、今年に至ってはマスクをしなきゃいけないので尚更息苦しい。 というか、私は18年間北海道にいたので、関東の梅雨に慣れていないのだ。 北海道にも蝦夷(えぞ)梅雨というものがあったが、せいぜい雨が多いなぁくらいのものだった。 空気はカラッとしてたし、関東の梅雨とは大違い。 関東の梅雨は湿気がすごいし、肌にまとわりつく感じが気持ち悪い。 この時期になると、なぜか上京したての頃を思い出す。
「2020年、未知のウイルスによって世界中が大混乱だよ」 なんて言葉を去年の自分に言ったところで「ゲーム?」と思うだろうな。 人間、ありえないことが起きるとフィクションのように感じるのだ。 3.11のとき、TVの映像を観て「映画?」と思ったのをよく覚えている。 でもフィクションじゃない。これが現実なのだ。 歴史に残る瞬間を私たちは生きている。 どんな確率なんだろうね。 このコロナ流行前「学校(会社)が休みになればいいのに」と日々思っていた人も多いだろうが、それは日々に刺