私と恩師の乾杯
私には恩師と呼べる人が二人いる。
一人は中学の先生。
もう一人は高校の先生だ。
中学の恩師はいじめられていた私に対して親身になってくれた人で、その先生のおかげで今の私があると言っても過言ではない。
今どこで何をしていらっしゃるのかわからないので、感謝を伝えたくても伝えられないのがもどかしい。いつかどんな形でも伝えられたらいいなと思う。
そして、高校の恩師は私の将来を変えてくれた人。先生とはFacebookで繋がっているので、今でも連絡を取っている。この記事も読んでほしいな。
今回は、高校の恩師であるT先生と私が乾杯するまでの話をしようと思う。
T先生との出会いは高校1年のとき。
受験を乗り越えて入学したのは畑に囲まれた高校。町はずれにあるので、バスを乗り継いで通っていた。
そんな新しい環境での担任教師がT先生だった。
先生は最初に自己紹介をした。
「いつもこうやって自己紹介しているんだ」と自分の年表を黒板いっぱいに書き、時間いっぱい喋り倒した。
一般的な教師は、大学を卒業して社会に出ることなく教師になる人が多い。
でも、T先生はまったく違った。
30歳までフリーターで、日本中を転々としてから教師になった人だった。
「そんな人が教師にいるのか」と当時の私にとっては衝撃でしかなかった。
T先生は今まで出会ってきた先生とは違った。
言うことに芯が通っていて、生徒一人ひとりをすごくよく見ている人だった。
「卒業して会ったとき、名字変わってる人もいるから」と私たち生徒のことを名前で呼ぶ先生だった。
1年か2年のとき、校外学習で会社にインタビューする機会があった。
持参した小さなデジカメで写真を撮り、見開き1ページ全て自分でデザインして制作した。
そのときT先生は、みんなに見せるお手本のページに私が撮影した写真を使ってくれたのだ。
「モモの写真、綺麗に撮れていたから使わせてもらった!」
その言葉がとても嬉しかったのを今でも覚えている。
3年のとき、またT先生が担任になった。
受験生ということで、将来について考えるとき。東京に行くことは決めていたのだが、大学が決まらなかった。
色々探していると、出版について学べるところを見つけた。
「そういえば、インタビュー記事のとき写真褒められたなぁ。記事作るのも楽しかったなぁ」
T先生の言葉を思い出し、楽しそうだから行ってみよう!と進学先を決めた私。
勉強が苦手なのでAO入試を選択。
課題が雑誌の案という難題。
タイトルを妥協しようとしていた私に対して、T先生は厳しく叱ってくれた。図星の言葉すぎて、少し泣きそうになった記憶がある。
そして、学校の門が閉まるギリギリまで直しをして、先生は車で家まで送ってくれた。
提出〆切ギリギリまで、T先生と二人きりで直しをしていた。
そして、先生のおかげで私は大学に合格できた。
上京した私は毎日のように遊んで、札幌とは比べものにならないたくさんの刺激を受けていた。
でも、帰省するときは必ずT先生に連絡をしていた。なんとなく、先生には今の姿をちゃんと見ていて欲しかったのかもしれない。
2019年21歳の夏、先生とご飯に行く機会があった。
お酒を交わすのはこのときが初めてだった。
待ち合わせをした日はちょうど市内の大きな花火大会があるときで、駅周辺は大混雑していた。
でも「飲むからタクシーで来た!」と久しぶりに会う先生は変わらなかった。
色々話しながら居酒屋へ行き、ドキドキしながらお酒を頼んだ。
そして、乾杯をした瞬間、今の私は大人としてこの席に座って先生と向き合っているんだと感じた。
高校生の頃、T先生は教え子と飲んだ話をしたことがあった。
私はそれがすごく良いなと思って、いつか自分もそうしたいと考えていた。
それが叶っているんだな、と何ともいえない嬉しさに包まれた。
社会人になる私に「ちゃんとボーナス貰えよ」と言った先生。
私にとって親でもなく、親戚でもない大人の人。
私を知ってくれている大人の人とこうやってお酒を交わすことがすごく嬉しかった。
その後、2軒目には先生方がよく行く居酒屋に連れて行ってもらった。
入試のときの話をして感謝していることを伝えながら、私は少し泣いてしまった。(酔ってたのもある)
あのときはこうだった、あれはどうだったと大人として話を聞き、自分が子供であったことを振り返りながら今の自分を見つめていた時間だった。
帰り道、もう酔っていてあんまり覚えてないけれど、たくさんたくさん励まされて元気になった自分の姿は覚えている。
先生、今の私は全然頑張れてない気がします。
なんていうか、ずっと波にさらわれている感じです。
生きてていいのかな、と思うばかりです。
先生、また乾杯したいです。
約束したボーナス貰いたいです。
先生、いつか稼いだお金で奢りたいです。
「成長したなぁ」って言われたいです。
先生。
また会う日まで、元気でいてくださいね。
それまで私も生きていようと思います。