私が不登校にならなかった理由
皆さんこんにちは!
社会人一年目で
知的障害のない大人の発達障害(ASD)
が発覚した猿田ももかです。
私は小学校入学から高校までずっと、言葉の暴力を受けていました。
当たり前にいじめられていました。
それでも不登校にはならず、学校に通うことが出来ました。
よくあの当時、あんなにいじめられてたのに不登校にはならなかったと思います😊
でも、そこには不登校にならなかった理由がちゃんとありました。
いくつかあげていきたいと思います。
①常に両親と先生が味方でいてくれた
小学生当時のいじめられてた理由の1つとして、見た目では分からない身体ハンデがありました。
体育は別メニューか配慮がないと、皆についていくことすら難しい状態でした。
でも先生方は皆、体育で配慮を当たり前にしてくださってました😀
運動会や体育祭なんて1番嫌いなイベントでした😭
運動会で花笠音頭をした時は、皆のペースで覚えられず、先生が
「後で一緒に練習しよう!」
と放課後にマンツーマンで練習時間をとってくれて、本番に間に合わせる事が出来ました!
山登りもついていけず、先生と手を繋いで何とか出来た事も覚えています。
いじめが続いて、休み時間に教室の中は無理だと思って廊下を歩いていた時、ふと目に入ったのは言葉が上手く喋れない子達などが集まる教室でした。
「入ってもいいのかな?」
と思いつつ扉を恐る恐る開けると、そこには先生がいて、
「入っていいよ😊」
と言ってくれて、そこにいた皆と楽しく遊んで、その日から休み時間はそこが私の居場所になりました✨
勉強は得意な事に気づいていてどうにか皆と離れるために
「中学受験やってみない?」
と提案してくれたのも、4年次の担任の先生でした。
「中学受験をしたい」
と相談した時も
「今まで辛い思いしてるし、金の事は気にしないでいいから中学受験やりたいなら思いっきりやりなさい」
と言ってくれたのも両親でした。
②得意を活かしてくれた
小学校の時に、
「漢字検定」
があって、全員でやるので学年順位も毎回出ていました。
いわゆる1週間前に部首が発表されてて、その部首の漢字を思い出せるだけ制限時間内に書くというものです。
書ける枠が30個あって、私は毎回30個どころか裏にも漢字を書いていて、毎回学年トップでした。
そして、いつも勉強ノートを全員提出しなければいけなかったので、いつも通り漢字検定とかを勉強して提出したら皆の前でこんな事を先生は言い始めました。
「皆、猿田さんってこんな感じでノートにまとめてちゃんと勉強してるから頭いいんだよ!努力してるんだよ!」
って。
その言葉を言われてめっちゃ嬉しかったです!
最後に
自傷行為はしてたけど、不登校までにはならなかったのは本当に両親と先生が支えてくれたからです。
医療系に進学する事になって、中高一貫の先生にはたくさん心配されてました💦
「身体ハンデがあるのに医療職やっていける?」
って。
そして、今作業療法士として勤務出来てることを中高一貫の先生方に話せていません。
コロナで学園祭がずっと出来てないからです。
でも今年の中高一貫の学園祭はやっとコロナ前の通常開催になる気がしてます!
名物イベントのハワイも復活してるみたいですし。
9月の学園祭を楽しみにしてるし、報告したいと思います😊