一人ブックカバーチャレンジ③ コインロッカーベイビーズ
世に言うW村上が新人作家として登場してきた時、私はすでに本屋に日参する少年だったので「限りなく透明に近いブルー」が書店の平積みになっている光景も覚えているし、「風の歌を聴け」がポパイや片岡義男の拓いた空気感の中に登場してきた情景も見てきた。
70歳前後になって尚、大胆で骨太な物語を発表する両名だが、新人作家の時点では、後に日本を代表する二大作家になるとは目されていなかったと思う。
特に村上龍氏は「限りなく透明に近いブルー」がセンセーショナルに扱われていただけに、一発屋のように予想されていた。
しかし、80年に放った第三作「コインロッカーベイビーズ」で、その並外れた想像力と力量を発揮し、才能に否定的だった凡百の諸氏を沈黙させた。
このあたりの流れは、ほぼ同時代に登場したサザンオールスターズのそれと不思議によく似通っている。
「勝手にシンドバッド」という日本の文化史に楔を打つほどのエポックメイキングな曲を発表しながらもキワモノ扱いされたサザンオールスターズは、三作目の不朽のバラード「いとしのエリー」でようやくミュージシャンとして認知されるようになった。その後延々と第一線で、懐メロに堕さない名曲名盤を生んでいる点も、両作家と奇妙に符合するところである。
3.コインロッカーベイビーズ
一人ブックカバーチャレンジで紹介したい3冊目は、村上龍氏の「コインロッカーベイビーズ」だ。
コインロッカーベイビーズは上下巻の小説で、私は人生で何度も読み返すことになるこの小説に、10代後半で最初に触れた。
私はその頃、SFに傾倒していたので、下巻の帯に言葉を寄せていたのが筒井康隆氏であったことにまず興味を惹かれ、またその惹句自体に強い衝撃を受けた。
村上龍は変った。感性が自己完結的でなくなったのかもしれないし、小説の技術に目覚めたのかもしれない。この小説にはいたるところに工夫が凝らされている。その結果この小説は純文学でもありヴァイオレンス・ノヴェルでもあり、SFでもあり音楽小説でもあり、また、社会小説としても、冒険小説としても、風俗小説としても読めるという作品になった。いい小説とは本来そういうものでなければならないのかもしれない。これだけ面白いものを書く人は、エンターテインメントの作家中にすら、ちょっと見あたらないのではないか。四年前、デヴューしたばかりの村上龍と、「いつか必ずSFを」という約束をした。彼は憶えていたらしい。約束は期待以上に果たされた。満足だ。
筒井康隆
筒井康隆氏は、このように書いていたのだ。
数限りない本の推薦文のなかでも、この一文はとりわけ強力な推薦の辞だと思う。しかしこれも、コインロッカーベイビーズという小説本体の持つ力が書かせた名文であるのだろう。
ダヴィンチが今でも「腰巻き大賞」をやっているなら、クラシック部門を設けて戴冠させて欲しいくらいだ。
1980年という頃は、2020年の現在からは想像できないくらいに、世界の構造の不変性がまだ信じられていた。
ヒッピームーブメントや学生運動が世界中で収束し、揺れ返しとしてのロゴスが一層チカラを得たような情勢だった。
そうした1980年に、昨今高く再評価されている大友克洋のAKIRAに数年先立ち、既成の価値の崩壊や海外からの触手に浸食される近未来の日本を、お筆先による預言書のように描写しきった小説が、このコインロッカーベイビーズなのだ。
村上龍氏はあとがきに、
私は自分だけの方法を捜した。
瞬間を連ねること。それしかなかった。全力疾走を何百回と繰り返して四二.一九五キロを走破するマラソンランナーのように書こうと思った。
(中略)
そうやって、書き始めた時には、八百八十枚の長編小説はすでに頭の中で沸騰していた。
渋滞の高速道路を、フルスロットルのオートバイで駆け抜けるように、私は書いた。
と記した。
このあとがきは、自作の方法論の表現として的を得すぎていると言えるだろう。この小説の読後感は、まさに疾走の連続としてのフルマラソンの軌跡なのだ。
孤独と暴力とネグレクト。
幻惑と快楽と無気力と貧困と中毒と無教養。
そうしたものに囲まれ続けた、保護施設育ちの少年ふたりが、自分たちだけの絶対的な価値と信仰を見出し生き抜く、圧倒的な再生の物語が、このコインロッカーベイビーズという小説だ。
ちなみに私見だが、「破壊と再生」とか「絶望と再生の物語」という今もよく散見されるコピーは、この小説の批評に端を発して生まれたもののような気がする。
未読の方は、2020年やそれ以降に、この小説に始めて触れることができるのだ。
私にとって、それは羨望の読書体験だ。