全国優勝監督になった義父は作戦タイム中に「君たちはレシーブで勝つんだろ」と言った。
今日は私が役員として勤務する小さな会社で研修があった。
前回は自社のポートフォリオ分析をし、今回は社員役員での理念策定だった。
いくつかの設問にそれぞれが答え、その答えに否定的な見解は口にせず、質問や感想で共有感を深めて、生きた切り口を抽出していく。
大きな模造紙にどんどんポストイットを貼っていきながら、グルーピングをしてグループに名を付け、だんだんと見えてくるものを探っていくのだ。
その研修の大詰めの段階で「ピンチの時や心が揺らぐ時に、そこに立ち戻れるような理念にしたいですよね」と私は云った。
私には、ひとつの思い当たるシーンがあって、そう言ったのだ。
それは、生前の若きの日の義父が映ったビデオのなかのワンシーンだった。
バレーボール全国大会で、ピンチの際にタイムを取って浮足立つ高校生たちをコートから集めた義父は「君たちは何で勝つんだ?」と問い質していた。
昭和の当時のスポーツ指導者、特にバレー指導者は、その場で脳の血管が切れてしまうのではないかと思わせる激高型で強圧的なタイプがほとんどだったが、義父はタイムアウトで、チームの理念を子供たちに静かに確認していた。
そして「君たちは、レシーブで勝つんだろ」と、スタイルと矜持を、明確に確認した。
それは義父の没後にある方から見せて貰ったビデオのなかのワンシーンだったので、義父にその時のことを質問する機会はなかった。
しかしその映像の数分は、私の記憶に強烈に焼き付いた。
「君たちは、レシーブで勝つんだろ」というセリフは、田舎の無名の公立高校を数年で日本一に導いた人物ならではの言葉だと思った。
監督自身にとっても初舞台である全国大会で、大ピンチに落ち着いてそれを問えるのは、自身の知勇と戦略性のたまものであるにせよ、その理念が磨かれた硬度を誇るものだったからこそ、その場でそれを問えたのだと思う。
「君たちは、レシーブで勝つんだ」
というテーゼは、本当に美しいと思う。
「お前たちは」ではないところも含めて美しく感じるのではないかと思う。
義父は教師から生徒に当然のように使われていた「お前」という呼称を絶対に使わない人でもあった。生徒も自分の子供も奥さんも等しく「君」と呼ぶような人だった。
バレーボールは、サッカーのように1対0と云った決着は着かない。ある点に先に達したチームの勝ちというゲームだ。
だからサッカーや野球には、一点を守り抜いて勝つ、という方法はあり得ても、本来、バレーで「レシーブで勝つ」ということはあり得ない。
毎年変わる生徒たちの顔ぶれに合わせて戦略、或いはチーム理念を構築していったであろう義父の、その年のチームと作り上げたスタイルが「レシーブで勝つ」であったのだろう。
私の所属する会社の理念は、本日中には確定できなかった。
「レシーブで勝つ」に匹敵するような、いざという時にポケットのなかで握りしめることができるような理念を、私たちも持ちたい。
そして墓前に照れくさがりながら、それを手短に報告したい。