大衆演劇、明日のために その問題や疑問点をみてみぬふりをせず皆で考えたい
旅芝居・大衆演劇の公演先である地方の温泉センターと劇場で、
先月、コロナのクラスターが発生しました。
さらに。旅芝居・大衆演劇の劇団や役者、劇場の中には、
春から、このコロナの影響を受けて、休業はおろか、廃業するものも少なくありません。
今、旅芝居・大衆演劇は、≪ちょっと考えなあかんのちゃうかなあ≫な時期に
来ているのではないか、と私は思います。
この夏、私的・大事な役者さんが引退をしました。
15~16年ほどまえに初めて旅芝居を知った私が、最初に魅了された役者さんです。
引退は、コロナのせいではありません。
でもコロナが引き金となり、御自身は勿論、旅芝居界全体も、いろんなことがみえてきた。そして……とでも言うといいでしょうか。元は旅芝居・大衆演劇の人ではありませんでした。
だから、30年ちょっと旅芝居の世界にいたけれど、常に冷静な目をもっている方でした。
私は、彼のラスト一か月、
舞台で披露される「これまでの思い出ある舞踊」を1日1日1つ1つ出し、
「役者としての日々」を終えてゆく様を観ながら、本当にいろんなことを考えました。悔しさや、憤りや……。でも、誰が悪いとか誰のせいとかでもない、ん、どや? でも、そうやと思う。でも、でも……。
一か月の間も、そして、終えてからも、
私自身もこれまでかかわってきた旅芝居・大衆演劇のことを振り返ったり、
私自身も卒業というか終わらせようとも思ったりもしました。
いや、でも、「敵討ち」?「見届け」?
意味わからないけど(笑)そんなことも思ったりしました。
正直、まだ、気持ちの整理はついていないというのが本音です。
そうこうするうちに、先月、旅芝居からコロナのクラスターが発生しました。
ネットには、いろいろな意見が散見されました。
中でも、いわゆる「いいね」や「RT」で拡散された意見は
「こういうときこそ、義理人情」「誰も責めずに」みたいなの、でした。
私は、とてももやもやしたものを感じました。
うん、ほんまにその通りです。反論や、文句を言うつもりや、揚げ足とる気は、全くありません。
でも、どこか引っ掛かりがありました。
「情」とか「義理人情」っていう言葉は、一見、ええ言葉です、この世界らしい言葉です。
でも、正直、なんの具体的な解決にもならない言葉でもないか?
この言葉で、ネットに溢れる「いいね」の数だけで、
物事をすべて終わったようになってしまったり、終わってないけど納得してスルーしてしまったり、してしまっては、ヤバい、怖いのではないか?
この世界ならではの言葉「義理人情」で流してしまって、ええんやろか?
そんなことも考えていると、
やっぱり、今、旅芝居・大衆演劇は、
≪ちょっと考えなあかんのちゃうかなあ≫な時期に来ているのではないかな、と、
思ってならなくて……。
だから、ネットの海の中に、置いておくことにしました。
1私の、1思うことです。
悩みました。めっちゃ悩みました。でも、でも。
旅芝居が好きな、お熱な、皆は特に、こういったものは目にしたくないでしょう。
舞台と客席の皆に、嫌がられたり、反感をかうだろうな、とも思います。
そもそも、旅芝居を知らない方には、「え」かもしれません。
でもでも、もう一回どころかしつこく言います、
生きていくことのすべてが舞台と芝居小屋に滲む世界、本当に、「人間」で、いろんな感情を揺り動かされる舞台世界、ほんまに、素敵やで。
トホホとか、わははとか、ツッコみどころ多くて、時にしんどなって、
でも、芸術だけど芸術じゃない、芸術じゃないけど芸術、
そんな、人間丸出しの世界は、本当に「人間」で、笑い泣きで、魅了されます。
だから、好き嫌いの問題ではなく、是非、いろんな方と、この場所や空気を共有したい。一部の者ではなく、これからの時代だからこそ、いろんな方と、共に、観たい。残したい。共に、笑い泣きをしたい。
客席で、公私共に関わり、きれいなことだけはなく汚いことも気持ち悪いことも色っぽい(ことはないけど)ことも、
この身で知り悩んだりしながらも、追ってきて、
(たぶん)この先も、きっと、なんじゃかんじゃで、見捨てず追っていくだろう(かなあ??な)私が、だからこそ、1私の思いとして、書きます。
長いです。申し訳ない程に。
なので、「もうええわ」なら、スルーして下さい。
でも「スルーしてほしくないな」とも思います。
目を通していただき、共有していただけ、考えたり、の後、
またこの場所に、共に座れれば、とても幸いです。光栄です。
【序列と縦社会】
旅芝居・大衆演劇の驚くほどの縦社会感と序列重視です。
ここ、一回、見直してみても、ええんとちゃうかなあ?
この時代において、過剰なほどに重視されすぎなところもあるように感じてなりません。
貼りだしの連盟表、みて下さい。これ、ヤクザの連盟表?!
あ、序列といってもピンとこないかな。
例えば「座長」、の上の「総座長」とか。
総座長って何? 座長より上の人です。
「座長・副座長・花形」、若手リーダー、
会長、幹事長、相談役、後見、なんたらかんたら。
某劇団では名前じゃなく肩書で呼ばないと罰金制度がある(あった?)と聞きます。なにそれ……。
座長たちが集まる「座長大会」とかでもポスターやチラシで「名前の順番」にこだわります。
こだわりすぎて、今、「いろは順」とか、わざわざ、書いてあったりもするもんね。
(ってことはつまり(まだ)意識してるってことやん?)
業者的には、間違ったら、オトシマエものだったりもします。
(我々業者的には、と言いたいところですが、私のかかわっていた雑誌では、
幸い(?)そういったことはありませんでした。酸いも甘いも濃くかかわってきた者たちでやっていたからかな。笑&苦笑)
例えば、掲載の名前の順番とか、序列による掲載写真の大小とか。
これを間違ったり失敗したりすると、最悪。
信じがたいようないちゃもんに関する具体的なエピソードは多々見聞きします。
が、ここでは割愛しますね。
うん、これ、例えば、古いしきたりでいうところの、
結婚式披露宴の席順だとか、お葬式の花輪順とか、そんなやつみたいな、のの、極まれり、みたいなもんやね。
それとも、やっぱ、古くからの、でも未だに残るまるで武士道か、ヤクザの序列か。
私には、「なんだかなあ」です。
さらに、これらは芝居にも影響大です。
旅芝居のお芝居における配役は、
全ての劇団のすべての事例がとは言いませんが、
「この芝居の内容、この芝居の役のニン(キャラ)に合う配役」というよりも
「序列順におっきい役(※老け役以外)」みたいのが勝つことが多いように感じます。
元々、大衆演劇ではなく演劇を観たりやったり、そっちから入った私は、最初、これにめちゃめちゃ戸惑いました。
戸惑う、ちゃうわ、許せませんでした。過去形ちゃうな、今もやな。
さらに、もっと!前も書いたけど、とんでもないものも見聞きしたこともあります。
ある座長さんが、二人芝居のようなその芝居で、相手役の座員に、
彼が昼の部、自分を食うほどええ芝居してたら、夜の部前に、言うたらしい。
「お前がその役を熱をいれて演じすぎると主役の俺が目立てないから控えめにしろ」
意味わからん。断固抗議やん。それ芝居の内容、役の内容的に、おかしいやん。
(あ、実際に抗議しました、すみません、してしまいました、私)
最近は、ちょっとは改善されたように思います。
若い子などにも主役を含むチャンスがまわってくるような傾向が出てきています。
祭、という名の「今日の公演はこの人が主役ですday」とかね。
でもね。「芝居を大事にしています」と声高にいう劇団が多いけれど、
そして実際その通りやとよくわかるねんけど、
ほな「(トータルの)作品としてのその芝居」を考えたり、してもええんちゃうかな、もっと、って。
あ、「若手に大きい役させて自分が脇にまわったらその日体ラクやし」ってのじゃなくてさ。
これは芝居とか物語が好きすぎる極端すぎる私の極論です。
あ、でも、お客さんもやねん。
「芝居が好き」っていうけど、
芝居より「自分の好きな役者を観たい!」って気持ちが勝つ人や勝つことも多くない? 極端にも、些細にも。
役替わったりしたら、帰路や終演後の友達との飲み会で「えー」とか言ってない?
それも、影響してるんと、ちゃうかなあ?
とにかく、この旅芝居のいろいろなシーンにおける、序列という悪癖(あ、悪とか書いちゃった)、
もっと、考えてみてはどうやろか。
あまりにもこの世界の「当たり前」になっている気がしています。
正直、ここには「血族」という問題……
旅芝居が、旅芝居だからこそ、重視というか「当たり前」とされてきた
「家族」「血族」中心的(すぎてそうでないものを下にする)な考え方も大きく影響していることもあると思います。
血や家族は大事大切、それは当然(と決めつけられないけど)の考えでもあるでしょう。
でも、ちょっと、この「当たり前」とされてきたこと、も、考えてみられたら、なあ!
勿論、序列を重視することには「目上に礼儀をつくし、尊敬の気持ちを持つ」といういいところ美しいところがあります。
でも、ちょっとこの世界の極端なまでの重視、この先の時代に持って行っていいんかな?
【男尊女卑……と、せやのに、……】
これなー、なー。(語彙喪失)
正直に言う。私も麻痺していました。
だから男尊女卑な男たちの共犯やったと思います。
でも最近、尊敬し、影響を受け、守りたい、
大好きな表現者のお姉さんっていうか女の子の影響で
このテーマをめっちゃ考えるようになった時、
旅芝居においても、避けて通ってはいけないと思うようになりました。
旅芝居における男尊女卑や、女性差別は、ヤバい、笑えないくらいに、ヤバい。笑えない。
芝居で描かれる「時代劇」たち、旧時代のそれらが、
古くからの日本の「男尊女卑」を当たり前すぎるくらい当たり前にしているから?
だから、皆が麻痺しているのかもしれません。
例えば……よく「あるある」なストーリー。
2人の男が互いに同じ女性を思う、
そして(いろいろあって)互いのために、好きな女性につれなくして、譲る、みたいの。
それ、あんたら2人だけで自己完結して、ヒロインの気持ちは? って。
これは例えやねんけど、多くの芝居にそういった思想を感じられ、ハマれないことが多い。私はね。
(例えばこういった芝居を含む「昔の(昔からの)芝居でも、設定や、セリフひとつ加えることで、変わるのになあ……
って、旅芝居の「芝居を見直す」ってことは以前blogにも【こんなん】書きましたが)
それに加えて……お客さんが女性だから?
だから、男が目立たないと、(と無意識に思ってる)世界だからなのか?
せやな、「女優観に来たんやないし」と口にまで出していうお客さんもいるもんなあ。
いや、口に出さなくても、自分の推しである役者が観たいから
そう思っている人も、もしかしたら少なくはないのではない? 心にきいてみて。
うん、男尊女卑。女性の生き方や権利、
この世界も、この問題、舞台の人も客席の人も関わる人も、
皆でもっと考えなあかんのやないかなあ?と思います。
よく考えたら、舞台上でも、そのほかでも、
ちょっと目も当てられない言動は少なくない。
セクハラをはじめとして、女性の容姿に対しての意識や言葉。
(これは女性だけじゃなく、男性同士もやねんけど。ってのは、また後に)
旅芝居の女優さんは、男の役者さんより、もしかしたら、大変です。
舞台裏のことや準備や炊事洗濯、それゆえに表に出られないことも多い。
なのにお客さんからはそんな風に思われたり、
なんてこと、男社会で生きる、生きなあかん、ゆえに、
劇団内でも悔しいこと、黙っていなければならないとされること、
……その中には性的なことや暴力的なこともあるでしょう。あります。(あかんけど断言)
(中には役者さんと近づきたくて女優になる、
いわんや、役者さんと近づきたい母親が娘を女優にさせる、ってこともあったりもしますが!)
でも、そんなところも、すべて、舞台に出る!
もうそろそろ、やめませんか?
舞台上での女優さんや客席の女性にするイジリ。
「ブス」ネタをはじめとする見た目に対する偏見やいじり。セクハラ。
と、それを笑う習慣。
これらは女性だけじゃなく男同士でもあかんけど。
例えば…某劇団の総座長。
お客さんにすぐ「ブス」というクセは直ったやろか。無意識やね。
でも本気で顔に出すし口に出してましたね。
それは「毒吐きキャラ」なんて言い訳では通らへんと思うよ。
私も言われたけど。流してたけど。もう流しません。
もう許さないです、自分のことも、他の人が言われることも。
あと、昔の己を含めて言う。
大衆演劇にお熱な女子(※年齢問わず)……のうち、一部、結構(なぜか)いる以下のような人々。
やめへん? 「私、おっさんやから」とか言うのも、そないしてごまかすのも。
いや、強要じゃないよ、私が今勝手に思っているだけ。
これはつまり女子力があったり女子力への努力をしている子たちへの
過剰な意識やひがみからか、わざと女っ気とかから目をそらし、
意識満々で言うのじゃないかな、って。
もうやめへん? そんなとこから始まる何かもある…気もしたりする。
いや、強要や押しつけじゃないけど。 私は、やめる。
あと、真逆に「女子力(※年齢問わず)ある」……そのあるは元々あるのか、素敵に努力してるのかはわからんけど、こちらも、客席の「そうじゃない」女子を意識したり、笑ったりするのもやめへん?(逆もあるけど) どちらもどちら。そして、どちらも互いに意識し合い、己(とそのグループ)を保つ。そんなん、ええねん、もう。あなたはあなたで、ええねん、ええねんから。皆で、応援しようよ、楽しもうよ。
【旧時代的な体育会系マインド】
【序列と縦社会】っていうのとかぶるのですが……。
根性論というか精神論なんですよね。この時代において。
いえ、私もそれらは嫌いではないし、
根底にある方の人間だと思っています。あかんことやけど。
でもでも、旅芝居界のこれらはかなり色濃く顕著な気がしてなりません。
これも、旧時代から引き継がれているお芝居の影響もある気もしています。
うん、人情や義理人情や心や気持ちは、大事、もしかしたら、最も大事です。
例えば、根性と「義理人情精神」だけではコロナ問題はなんにもならないと思う。
あえて、わざと、嫌な言い方をする、したくないけど。
「舞台を(芝居)を頑張っていたらお客さんは来る」
そんなことでも、きっと、ない。
だからって、舞台以外のサービスに力を入れろと言っているのではないよ。
(そういうのが「どうなん?」「むむむ」という意見はずっと言ってきました!)
でもさ、例えば、最近、話題となってる
≪三ツ星シェフがサイゼリアでバイトしてみた、で、気付いた≫みたいな。
そんな風に、多角的に、自分たちの世界をみてみる「目」。
かかわる人も、お客さんも、そんな「目」、ちょっと持ってみても、いいんじゃないかな。
無理かな。
あと、根性、精神論、縦社会、体育会系……にはつきもの(?!)な
暴力やパワハラ的いじめ……に近いというかギリギリな感じのことども。
それが、当たり前として流され、舞台上も客席も麻痺している風潮。
身内ノリ身内ネタによる過剰なまでのプライベート晒上げ。年配者への敬意のないイジリ。
諸々、しつこいまでのいじりや強要。
こういった「ダメな笑いのとり方」はきっとテレビのバラエティ番組の影響も大きいのでしょう。
(役者さんってテレビ好きな人多い印象やし)
でも、ここ、変わっていかなあかんのとちゃうかなあ?
我々客席も、麻痺して、笑っていたら、共犯みたいなもんとちゃうんかなあ?
【今、改めて考えたいお金の問題】
これはデッカイ問題です。お金の感覚が、おかしい。
しんどいやろに、おかしい。おかしいのに、しんどい。
え、私たちの1000円札の感覚が、役者さんたちの一万円札の感覚?!
ってすらうがった見方で見てしまったりすらしてしまう。でしょ?
あ、何も私は「お花が悪い」とは言いません。よいとも言わないけれど。
あれらが彼らの舞台が「生きることそのもの」であり、
猥雑でギラギラで、でも切なく儚い世界を象徴するようなもの……
ということは過去にも書きました(例えば…【このnote】にも)。
とはいえ、私は、嫌いですが。
過去には他の芸能同様「楽屋に届けるもの」で、それでええやん、ですが。
まあ、舞台上で、ってのは、なくならない風習なんやろうなあ……。
そんなお花という目にみえる形のお金などの影響もあるのでしょうか。
でも、でも、実際のところ、座員さんは給料が安いし、
座長さんは舞台のことなどに使うお金も多い、
ゆえに、「儲けてる!」というより「カツカツ」な役者さんが多い。
せやのに、まるで政治の世界のように〝黒いお金〟も動いたりもしている。
(書きたいこと、書けないこと、多々ゆえ、このあいまい表現にさせて下さいね)
とにかく、旅芝居とお金、
この問題は、ちょっと、
別で再考ってかずっと考えていかねば、
というくらい大きなテーマだと思いますが(常に考えてきたのですが)、
ここ、ここも、皆で一度、頭の片隅においておくべきじゃないかな、って。
ここも、麻痺したらあかんのちゃうかな。
(だからって、簡単に「お花は悪、なくそう」ってことでもないんやで)
【professionalであるべきはずの人の「むむむ」なところ】
旅芝居をみていて、
私がよく感じることのひとつに「プロってなんやろなあ?」があります。
「プロって?」「プロならば?」
またまたあいまいで申し訳ないのですが。
舞台上のこともなんですが、客席で、思うこともあります。
とても≪公私混同≫がしやすい世界、
してしまいながらも自分に都合のいい言い訳をすることが出来やすい。
ファン活動と仕事は別、とちゃんと考えられている関係者、ってどれだけいるのかなあ。曖昧さをごっちゃにしていたり、ごまかしていたり、言い訳をしていたり。
このことが、業界にとって、
多少なりとも困った影響を与えていることも多いように感じるのです。
例えば、興行にかかわる人、
仮にも、業界を盛り上げようと内側から外側からスタッフや関係者
(中には書くこととかも含む)の人。
舞台と客席の距離が近い世界だからこそ、
ちゃんと、「プロ」として……という意識が、
舞台上にも客席にも、もうちょっと持てるようであれれば、とは私の意見です。美辞麗句だけでなく、もうちょっと……って。
このことが、業界の足を少しでもひっぱってはならないのだから。
それはこのしばし終わりが見えないであろうコロナへの対策に関しても思います。
うん、各劇団は勿論、
各劇場や興行にかかわる人が今出来る限りの対策をやっているのはよくよくわかります。なにがあっても毎日の舞台の幕をあけていかなければならぬ世界だもの。
でも今、こうして誰も責められないし誰も悪くないけれどこの世界から、
クラスターまで発生した。
そして直接的にも間接的にも、休業や廃業まで出ている。
もっと考えなおしたり、見直したり、すること・出来ることないやろか、皆が、皆で。
うん、もうやりまくってるねやろうけど。でも、もう、ほんとに、すべて?
【なんだかんだで、距離感】
そう、旅芝居・大衆演劇の魅力は「近さ」です。
小さな芝居小屋で熱と汗とにおいを感じられる。生きざまが伝わってくる。
ここが商業演劇など大きな舞台とは違い、
また、この近さゆえに、
いや、この近さもコロナの影響で問題や悲しいことや…いろいろにもなっているのですが。
でもこの近さが人を狂わせる。ハマらせるし。麻痺させる。
多くの旅芝居の熱狂的なファンは、
自分の好きな劇団や役者は勿論、旅芝居というものそのものの「信者」のようになる。
他者や外部の声をきかなかったり、聴く耳を持たないどころか、
例え違和感を感じようと、自分の中でみてみぬふりしたり。
そう、私もまた、この「距離感」の魔術に、「沼」に居ました、居ます、長い間。
だから、言い訳やバテはありながらも、居ました、居ます。
いつもどこか、本気でハマりきれない何かが頭の中にあったのも事実です。
いろんなものを「みてみぬふり」していました。
でも、「みてみぬふり」していても、しているから、していても、
観ていて、心と体が喧嘩しバランスを崩し、バテてしまうことも多々でした。
バテながらも、自分に言い訳をしながら、
自分の目を麻痺させて、のめり込んで、追っていました。
今なら理由がわかります。言えます。
「人間を信じたい」って気持ち、うん、これはほんまです。
例え、お人よしと言われようとも。
でもね、同時に、
自分が好きな世界が「とほほなもの」であると思いたくない気持ちがあったのだと思います。
だからうまい言い訳をしている気でいました。
「だってしょうがないし、生きることそのものだから。人間だから」
うん、これはその通りやねんで。
でも、正直、ずっと、私は、この分野を、他人には薦められませんでした。
幾人かを面白がって連れて行くときも必ず前振りをしていました。
「ツッコみどころ多いですけど……」と。
そうしてバテながらも、距離感に惑わされ、己をごまかし、己に甘く、
言い訳をし、追いました、追っています。でも、それは言い訳でした。今、言えます。
旅芝居の魅力は距離の近さ。
でも、「沼」、ハマらせ、(いろんなことを)ダメにする(かもしれないのも)距離感。
私は、私も、この問題を、これからも、考えていきたいです。
すべての問題は、少しずつやけど、前向きに変わってきていると思います。
観出した頃と比べて、随分、ちゃんと変わったり、
変えようとしている劇団さんや役者さん、増えたように思います。
目に見えて舞台にあらわれてきているようにも感じます。
考えようとしているお客さんも増えた、いや、こちらは、うーん、どやろ。
(ベイベー、オー、ベイベー、いけない距離感マジック……!)
古臭い(失敬)考えではなく、
若い座長さんや役者さんの「今」だったり新しい感性が、
旧時代的なこれらを少しずつ変えてくれているような、
信じられる光も、確かに(?)、ある。ほんとに、ある。
でも、でも、まだまだです。と、思います。
根本的なこれらそれら……
誰が悪いのでもない、
でも脈々と「それが当たり前」「生活やし」で通ってきた
それら巨大な敵はなかなか手ごわいねんよなあ。
旅芝居・大衆演劇の座長さんや役者さんは、
お母さんのお腹の中から役者とか、
子供の頃からこの世界に居るとか、
或る意味この世界にどっぷりで、
悪気はなくても、「当たり前」や「気付けていない」ことも多々あるような気がします。
でも、だから、「距離の近い」我々客席にも、出来ることは少なくないと思うのです。
なにも、「過剰なダメ出ししろ」と言っているんじゃない。それだけじゃない。
でも、例えば客席で、こういったことを見たりしたら、「笑わない」とか、
勿論、親しくしている仲なら、いろんな会話のついでに、話題にしてみてもいいのではないかなあ?
我々客も、いつも、きゃっきゃうふふ、「かっこいい」「楽しい」、だけじゃなく、
または「広めている」意識(※それはだいぶ自分に酔っている意識もあるが)での
レポだのなんだの、だけじゃなく、
(いや、それらはええねんけど、あかんのやないけど)
それだけじゃなく≪一緒に作っていく≫意識を持ててもええんじゃないか? って。
皆が、皆で、皆がちょっと考えて見たり、意識してみたり……することで
ちょっと前に進んだりもするのではないか?って。
だって、自由と未来。旅芝居の明日のために。未来は自分たち次第やん?
……あ、すみません、最近観て大好きになったネットフリックスドラマからフレーズぱくりました(笑)
旅芝居を観出して15年程。
舞台だけど舞台だけでは語ることの出来ない
この世界の〝人間臭さ〟に興味を持ってきました。
日々が舞台、人生が舞台の旅役者たち。だからこそ、泥臭さや哀愁や、泣き笑い。
生老病死のすべてが、いやおうなしに、舞台に滲む。
だから、決して「良」「善」「聖」だけじゃない、その笑ったり泣いたり、
うん、笑い泣きせざるをえない、人間臭さ。
どれだけ時代がうつりかわろうと、「生きていくことそのもの」だからこそ、
その熱、汗、血と涙の舞台たちが、時代が便利で今どきとなってゆくからこそ、
観た人々を魅了する、そんな舞台人間世界だと私は思っています。
いろんなことは、変わらないかもしれない、すぐには変わらないし、
残念ながらずっとこのままかもしれない。
いろいろつらつら書きましたが、ね、これら、
おっきく言ったら、てか、おおきな目でみたら、
旅芝居だけじゃなく、日本の(?!)、っていうか、
おおきすぎることを言ったら、世界の、すべての、問題かもしれない。その凝縮かもしれないね。……とは、なんか漠然かつ言い過ぎやけど(笑)
最近、大好きな世界たちから、そして今このような御時世・状況から、
政治的なことを含むさまざまなことを、もっと、逃げず、
まずは「知る」ことから始め、ちゃんと自分事とし、声をあげることの大事さ……
を、(今更やけど)、思っていて、こんなことを書きたくなったのかもしれません。
時代は「令和」になりました。
令和も、その先も、旅芝居が残ってほしい。
きっと残るのでしょうが、それならば、誰もがしんどくなく、残ってほしい。
関わる劇団や役者さんたちが、お客さんが、ちょっとでもこの先、しんどくないように。
さらに、この「芝居小屋という場所」……
≪生きることそのものの舞台≫に活力をもらい、
≪「私」たちの居場所≫という熱と空気を感じ、
共に生きる楽しみを感じられる場所が
一部の熱狂的なファンのものだけでなく、
新しくさまざまな人たちにも受け入れられるようであって欲しい。
バテや違和感があれども、この世界に私は育ててもらったし、
この「人間そのもの」である舞台世界を、
いや、≪これらの≫、両の、「人間そのもの」である舞台世界を、
バテながらも、ツッコみながらも、長い目で、みてゆきたい、と思います。
「人間そのもの」だからこそ。 そして、言い訳なく、薦められるようになりたいな、とも。
正直、この夏で、完全に卒業をしようかとも思っていたし、今も思うけど。
うん、今はこの世界を経たからこそ、出来た大事な舞台世界があるし、
そこが私の「場所」となったし。
でも、そう、今、新たに似ていて似ていない、
でも似ていないけれど似ている舞台であり風俗の世界に魅了され自身の考え方や生き方にも影響を受けていることで、
この旅芝居のことを、ちょっと「心の距離」をおいて、みれるようになり、
振り返ったり、今のこの業界の現実をみて、さらに、思います。声も、あげていきたいです。悩みながらも、これは、迷いのない、本音です。
めちゃくちゃ長くなってしまい、
ここまで目を通していただき、感謝しかありません。
長い長いつぶやきに、お付き合い下さいまして、本当に、ありがとうございました。
この面白うてやがてかなしき、人間丸出しの、
芝居小屋に舞台に人の生老病死のすべてが滲む、
色香と猥雑さと恍惚と、生きることそのものの魅力漂う舞台世界が、
未来にも、明日にも、残るために、生き続けますように……。
これまでも、これからも、さまざまな人たちに、
様々な形で、受け入れられるようでありますように……。
皆、皆、一緒に、生きていきたいです。
*
追記。
そしてこの3年半後、さらに改めて書きました。
こちらの記事、是非どうかお付き合いいただけますように。
読んで下さり、拡散や賛同やお気持ちを寄せて下さった方々、とても感謝しています。
◆omake①◆
文中にはいれられなかったけれど……。この問題も考えたい問題です。
これもかな。
◆omake②◆
そんなこんなで、このnoteのうち、【旅芝居スケッチブック】も、
もしかしたら、更新頻度は低めになるかもしれません。
もし、楽しみにしてくださっている人がいたら、あ、いない? いたら、申し訳ありません。
あ、他のnoteは書いていくつもりですし、ココも全く書かないことはないかもやけど!
◆◆◆
以下、初心にもどり、各種SNSなど。
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【プロフィール】
ブログ「桃花舞台」をPCからみていただけると
右端に簡単な経歴やこれまでの仕事など書いております。連絡先も。
大阪の物書きでございます。
現在、lifeworkたる原稿企画2本を進め中。
大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
下町・大衆文化も好きです。
女2人の立ち呑み旅、連載中。現在第7回まで更新中。
http://tabistory.jp/cat_story/cat_sakabawoman/
普段はラジオ番組やらCMやらの構成作家やライターです。まっしぐらな曲者です(笑)
AM懐メロリクエスト番組やCM書きやら、
大衆演劇関係では、
雑誌のライティング(本誌は休刊中ですが)、
映像などの企画・構成、各種文、台本、役者絡みの代筆(爆笑)、小道具の瓦版などの文とか(笑)
それぞれのSNS、フォローや、色々御反応、ご連絡など、
仲良くしてくれたら、とても嬉しく思います。いろんなご縁がありますように。
いまはまだ日本も世界も色々大変で心配ではあるのですが……
己の出来ることを考えたい、ひとつずつ、いろいろ、やっていきたいです。
(理想高すぎるねんけど←これがあかんねんな笑)
皆、皆が、平和で楽しくありますように……!
改めて今後ともどうぞよろしくお願いします。ありがとう。ラブ。