転生したら異世界モンゴルで暮らす遊牧民だった件【新書感想】
昔から、遊牧民には漠然とした憧れがある。世界史の資料集で、スキタイから連なる遊牧民の歴史のページを見るのが好きだったし、いちばん行きたい世界の地域といえば中央アジアだ。
広がる大草原。家畜の群れ。涼しい草原で、悠々自適な生活を送れる。「生命」を感じられそうー。遊牧民の暮らしにそんなイメージを持っていた私は、新書コーナーで目に入ったいかにも「憧れの暮らし」なこの本を迷うことなく買った。
ーまさか最後まで読んで、「憧れ」が綺麗さっぱり消え去るとは…。
相馬拓也『遊牧民、はじめました。モンゴル大草原の掟』光文社新書、2024年
タイトルの時点で面白い本。冷やし中華感覚で遊牧民になれるものなのか?
著者の相馬拓也さんは、人類学を専門として中央アジアでフィールドワークを重ねてきた先生。本書では、モンゴルの遊牧民居住地域でフィールドワークを行い、もはや「いちモンゴル住民」として暮らしていた相馬先生の遊牧民生活が、赤裸々に語られている。それはそれは、赤裸々に…。
異文化理解の重要性を誰しもが心に留めている現代。本書の第1章では、異文化をしっかり理解して共生することがどれほど難しいか、これでもかと言うほど見せつけられる。
モンゴル旅行に行くのも楽しそうだなあ、とか思っていた私は、この第1章で完全に幻想を打ち砕かれた。第1章では、日本から飛行機でモンゴルに来て、モンゴルの都会から遊牧民居住地域に向かう「まで」の苦難が書かれている。詳しいことらは是非読んでみてほしいが、モンゴルへの旅行に危機感が募る内容だ。行けるかなあ、私…。
それらの苦難を、負の感情まで包み隠さずありのまま書く相馬先生がとても面白い。本書には、「モンゴル人への忖度」など一切ない。モンゴル人の人間性な酷い行為をズバズバ述べていくその姿勢は、一周回って爽快ですらある。
遊牧民居住地域に行くと、苦難は増す。人間性の相違に加え、厳しい環境が待っている。「生きるか死ぬか」みたいな日々を、遊牧民たちはどう過ごしているのか?是非、詳細は読んで確かめてみてほしい。
本書で私が好感を持ったのは、相馬先生が全て「ありのまま」を書くことだ。といっても、ここでのありのままは「客観的事実」を述べるということではない。前述のように、相馬先生は対遊牧民・遊牧民居住地域で不快な思いをされた時、素直にネガティブな感情を書いている。逆にいいことがあった時は、ポジティブな感情を書いている。
1人の人間が外的要因と接したことで生まれる、確かな感情。感情が盛られている訳でも、逆に客観的事実のみ描かれている訳でもない。これまであまり読んだことのない「ありのまま」な文章に、面白みを感じた。
本書を購入する前、光文社新書noteで公開されている「はじめに」の部分だけ読んでみた。その記事のタイトルは、「遊牧民に“転生”してみたら」。
はじめこのタイトルを読んだ時、正直「釣りではないか?」と思った。異世界転生ものに乗じて、ふざけたタイトルだなあ、と…。
しかし「おわりに」まで読むと、本当にこの新書が「異世界転生もの」であることが分かる。モンゴルという、ある種の異世界で暮らした相馬先生。不満や恐怖について述べられつつも、その内側には確かに「未知なるものと遭遇するワクワク感」が読み取れる。
ワクワク感をもって文章が書き進められるから、読んでいる私たちもなんだかモンゴルに「転生」してみたくなる。「モンゴルの人怖そうだなあ、でもなんだか会ってみたい気もする」「モンゴルって悠々自適な生活とは程遠いんだ、でも人生で一度くらいは行ってみたい気もするなあ」みたいな。
そして、案外「異世界転生」は身近でもできるのではないか?という考えに至る。ちょっと話しかけづらいあの人、なんだか合わないあの場所、もう一度向き合ってみたらどうだろう。その時の様子、自分の心の内面の変化はどうなっているだろう。具に書き出してみる。モンゴルに行くほど大それたものではないが、これも些細な「異世界転生」なのではないか。
現実の中で起きる、確かな冒険。これを味わいたい人には、持ってこいの新書だ。