見出し画像

素直に生きよ、私

※ちょっと暗い文面です。

自分の見た目はよく穏やかやお淑やかと言われることが多いけれど、全然そんなことはない。

言ってくれるのは嬉しいけれど、全然心の中はサバサバしている。でもその癖寂しがり屋。好き嫌いもはっきりしている。好きなものはとことん好きで、嫌いなものはとことん嫌い。

それは自分がよく聴いてる音楽ジャンルに表れていて、それについて聞いた友達や職場の人から見た目と中身のギャップがすごいとよく言われるけれど、そんなに驚くことかなとふと思ってしまう。

自分の勝手な考えだけど、「まあなんとかなるだろう」というゆるいポジティブ精神と、自分はなんでいつもこうなんだというネガティブな精神が陰から顔を覗きこんでこの2つがぶつかり合ってできたものが今の私の性格なのだと思う。

なんて自分って面倒くさいと思うこともあるけれど、でもそんな面倒くさい自分を受け入れて、赦してあげようと歳を重ねていくにつれて思えるようになれた。性格はもうできてしまったものはしょうがないという良い諦めで。

子供の頃は常に変わりたいと思っていた。まわりの子達のように話せるようになりたいと思って演じ続けてたら、ほとほと疲れてしまった。

だからもう必ずしも完全に自分を変える必要はないと思えるようになった。自分が直したいと思える部分を、少しずつ良い方向に前へ進んでいきたいと今も心がけてる。

元々執着や束縛とか、縛られるのは嫌いだけど、もしかしたら無意識に執着しているものはあるかもしれない。

好きなアーティスト、普段の自分のルーティーン、思想といった自分の身近なものに対して執着は常にあるだろうなと思う。

でも、執着が全て悪い訳でもないと思う。人間として生まれてきたなら当たり前の欲だろうし。
ただ、しすぎは自分にとっても、相手にとっても良くない。

だから好きなものに対しては程よい距離でいたいと思ってる。
近くなりたいと求めてしまうと、逆に離れていなくなってしまうようで怖いから。また私のいけない暗い部分が滲み出ている。

自分や相手を傷つけるのが怖いから、自分の気持ちを押し隠してしまいがちだ。

最近母からもいつも「いいよ」、「大丈夫」と言うから、ほんとは無理してるんじゃないかと心配だといつも気にかけているみたいだった。

あながち間違いじゃないから、やっぱり親は良く見ているなと思う。直接は言ってこないのはきっと、私の気持ちを尊重してか、あるいは待ってるからだと思う。

いつか今までの分が言えたらいいなと思うけれど、きっとまだもう少し心の整理が必要だろう。

言うのは勇気がいるし、時間がかかるけれど、大丈夫じゃないことは大丈夫じゃないと言えるように、救いを求められるように、少しずつ自分を出していきたいとつくづく思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?