昆布(こんぶ)
昆布
和名 ヒロメ 一名 海布
是は、六月土用中にして、常に採ることなし。同じく、蝦夷、松前、江刺、箱舘などにも採れり。小舟に乗り、鎌を持ち、水中に 暫くありて、昆布を 抱、是につられて浮む。皆、海底の石に生ひて、長さ三四尺より十間許のものあり。たま/\には、石ともにあぐるもあれども、十日許にして、根 自ら離る。長さは よき程に切りて、蝦夷、松前の海濱の砂上家の上、往来の道に至るまで、一日乾すこと、實に錐を立るの隙もなく、暮に納めて小家に積み、其上に 筵を覆ふこと一夜にして、汐浮きたるを 荒昆布と云(世俗に、蝦夷の家は昆布をもつて、■ [■は艹+区+月])くと云は、此乾したるを見たるなるべし。家は、すべて板庇し、板囲ひなり)。
色赤きを 上品として、僅かに其 階級をわかてり。又、八九月の比、自然打あぐるを 寄せ昆布と云。
昔は、越前、敦賀に傳送して、若州に 傳。小濱の市、人 是を制して、若狭昆布と號す。若狭より京師に傳送して、京師 亦 是を制して、京昆布と号す。味最とも勝れり。
右は、皆 俳諧行脚の人、松前 往来の話 ● 傳へきゝて、實に予が見及びしことにいはあらず。尚、其 蝦夷人の衣服などのことも聞しに、先 第一には、日本の古手を貴び、富たるものゝ一郷の社宴などには、酒樽を積みたる上に、かの日本の古手をいくらもかさねて 装飾す。又、かの地にて織物は、ヲイヒヤウと云 木の皮也。色黄にして、紋 有。方言 アツシ と云て、甚 臭き物なり。
元より、袵は 左に合せ、シナの皮を帯とす。男女とも 常に 湯浴せず。眉は 両眼の上に一文字に生ひ、髪は勿論、鬚髭ともに 切ることなければ、甚だ長し。食する時は、箸を 左の手に持ちて、髭をあげて啜り込む。酒は行器の如き物に入れて、杯は 飯椀を用ゆ。其 椀、皆 巴の紋を付たり。其 故を知らず。
女人は、皆 唇に入墨して、男女とも 涙は鼻より流るなり。山野に出るもの皆、雪中といへども 蹤跣にして、腰ため 弓を持せり。最、木弓、木矢を用ゆ。又、ブス といひて、熊 鹿を採る矢に塗る所の毒薬は、イケマ と云 草の根を蜂をころして製せし物なりとぞ。但し、膃肭臍には、此毒を用ず。
※ 「ヲイヒヤウ」は、ニレ科ニレ属の落葉性高木のオヒョウのことと思われます。この木の皮から作る織布をアツシというそうです。
為家卿の哥に
こさふかば曇りもぞするみちのくの
ゑぞにみせしな秋の夜の月
亦、紹巴の發句に
春の夜や ゑぞがこさふく 空の月
といへる。
此 こさ と云ふもの、未 何とも分明に知物なし。然るに、或人の 傳写に来るもの 序を以てこゝに圖す。
※ 「こさ」は、蝦夷の人が息をはくこと。また、それによって生じるとされる深い霧のこと。
※ 「紹巴」は、戦国時代の連歌師。里村紹巴。
十二捲 木の皮にて巻き作る白き色にすゝ竹色を 帯たる藤の蔓のごとき 木のかわなり。惣 長一尺二寸ばかりなり。
按ずるに、是 コサ にはあるべからず。彼地の笛なるべし。もしや口に汐などを含て、空に 向ひてふきあげ、其 邊などへ出るもの、落たる木の葉を拾ひ、きり/\と巻きて、是を吹くに、實に 笛の音を出して、秋情を催す。是を コサ とも云とぞ。
俗轉に、義経 蝦夷わたりのこと、虚實さだかならずといへども、是 正説なり。海濱に、辨慶嵜の名もあり。又、清朝は 清和の裔と云も、即、義経 蝦夷より傳へ越したる。此 證とすべきことども多きよしも聞けり。蝦夷より韃靼へは近し。
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