
【女大学宝箱・貝原益軒】(2)倭語(やまとことば)「文(ふみ)」

それ書物を「ふみ」といふ 倭語 は、「ふくみ」といふことを略したる也。万のことをこの中にふくみたるといふ心也。

むかしは、物の本とても、今のごとくにはなし。竹をあみて、それに小刀にて字をほり付たり。後漢の代に、蔡けいといふ人、紙をつくり、毛てんといふ人、筆をつくりて、紙筆にて事うつしてとぢたり。

唐の代より板にゑりて、心やすくなるや。これを 梓に行といふは、棒は木の王なれば、よき木を用るといふ義なり。されば、物をよまざれば万のことにくらし。くらければ人にあらずとつとめて習ふべし。
※ 「ゑりて」は、彫りて。

上古は、唐にも文字なくて、縄を結びて置しを、後に鳥の跡を見て、文字をつくる。文字も六書八体とて多けれど、わが朝にては、もろこしの字をやつし、天竺のこゑをもつて四十七字となし、平かなと名づけ、弘法大師つくり給へり。片かなは、吉備の大臣つくりはじめられしなり。
※ 「もろこし」は、唐土。
※ 「やつし」は、ここでは、省略する、くずすという意味。俏す、窶す。

いろはなき先は
〽 難波津に さくや此はな 冬ごもり
いまをはるべと さくやこのはな
〽 朝香山 かげさへ見ゆる 山のヰの
あさくは人を 思ふものかは
此 二哥を手習ふはじめに出てならはせしなり。
いまのいろはをならはすがごとくなり。
※ 「二哥」は、二歌。
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