鰤(ぶり)
鰤(ぶり)
丹後与謝の海に捕るゝもの上品とす。是は此海門にいねと云所ありて、椎の木甚多し。其実海に入て魚の飼とす。故に美味なりといへり。
北に天の橋立、南に宮津、西は喜瀬戸、是与謝の入海なり。魚常に此に遊長ずるに及んで出んとする時を窺ひ追網を以これを捕る。
追網は目大抵一尺五六寸なるを縄にて作り、入海の口に張るなり。尚、数十艘の舩を並らべ■[■は舟+世]を打き魚を追入れ、又、目八寸許の縄網を二重におろして魚の洩るゝを防ぎ、又、目三四寸許の苧の網を三重におろし、さて初めの網を左右より轆轤にて引あげ、三重の苧網は手繰にひきて、袋磯近くよれば魚踊群るゝを大なる打●にかけて、磯の砂上へ投あぐるなり。浮子は皆桶を用ひ重石は縄の方焼物、苧の方は鉄にて作り、土樋のごとく連綿す。
先腸を抜きて塩を施こし、六石許の大桶に漬て其上に塩俵をおほひ石を置きておすなり。
又、一法塩を腹中に満しめ土中に埋み筵を伏せて水気を去り取出して再び塩を施こし、薦に裏みても出せり。市場は宮津にありて、是より網場の海上に迎へて積帰るなり。
他国の鰤網
他国の鰤網
凡手段かはることなし。いずれも沖網にて竪網は細物にて深さ七尋より十四五尋《ばかり》許。尚、海の|浅深にも任す。網の目は冬より正月下旬までを七寸許とし、二三月よりは五六寸を用ゆ。漁舩一艘に乗人五人なり。四人は網を繰あげ、一人は艪を取る。浮子は桶にて、重石は砥石のごとし。網を置くには湖中の魚●のごとくに引廻し、魚の後へに退くを防ぐなり。かくて海近き山に遠目鏡を構へ、魚の集るを伺ひ、集るときは海浪光耀ありて水一段高く見へ魚一尾踊る時はかならず千尾なりと察し麾を振て舩に示す。是を辻見、又、村ぎんみ、又、魚見とも云。海上に待うけし二艘の舩ありて、其麾の進退左右に随ひ、二方に別れて網をおろしつつ漕廻はる事二里許にも及べり。ひきあぐるには轆轤、手繰など国ゞの方術大同小異にして畧相似たり。
或云、鰤は連行て東北の大浪を経て西南の海を僥り、丹後の海上に至る比に魚肥脂多く味甚甘美なり。故に名産とすと云。
鰤は日本の俗字なり。本草網目に魚師といへるには老魚、又、大魚の惣称なれば、其形を不釋或は云、海魚の事に於て中華に釈く●皆甚粗なり。是は大国にして海に遠きが故に其物得て見る事難ければ、唯伝聞の端をのみ記せしこと多し。されども日本にて鰤の字を制しは、即魚師を二合して大に老たるの義に充けるに似たり。又、ぶりといふ訓も老魚の意を以て年経りたるのふりによりて、フリの魚といふを濁音に云習はせたるなるべし。
小なるをワカナコ、ツバス、イナダ、メジロ、フクラキ、ハマチ、九州にては大魚とも称するがゆえに、年始の祝詞に●へる物ならし。
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筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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