私の家族の形 愛されて育ったけど、、、
私は4人家族でお姉ちゃんが1人います。
正直行って、あまり裕福な家庭ではなかったけど
沢山愛情を注いでもらったと思います。
夫婦仲が悪く別居を3回していて
一時期は父と一緒に暮らしていない時期もありました。
小学生の頃からよく喧嘩話をしてるのはお姉ちゃんと聞いてたし、離婚したいと言う母の愚痴も何度も聞いていました。
主には金銭面での理由でこんな家庭になってしまったのだけど、小学校低学年くらいまではよく日曜日とかになると家族で遊園地や水族館や動物園など車で出かけて楽しい日々を過ごしていました。
でも、小学生高学年になった頃引越しをした。
あれから引っ越すたびに家が小さくなってった気がする(笑)
中学生の頃は、突然母に荷物をまとめるように言われたことがあった。
家出るよ、と。
覚えてないけど、これにより確か中学の時の部活の連絡に出れなくて(家電です)
怒られたような記憶がある。
でも、家に居ないんだって話をしたら
部活の友達は哀れ見た目であぁ…みたいな展開になった気がする( ´ ▽ ` )
お姉ちゃんと早く高校生になりたいね(バイトがしたいから)とか話してた(笑)
高校生にあがった途中から
とうとうお姉ちゃんと3人で暮らした。
19歳くらいだっけか?
また父と暮らすようになった。
父はお金にだらしない人だった。
パチンコ依存症だと思ってる。
家に1円も入れてくれない日もあった。
電気ガス水道が止まるからって母に何度も言われたこともある。
携帯もしょっちゅう止まった。
もちろん請求書はいつも滞納ばかり。
子供だったから分からなかったけど、
家を借りる時に保証人が必要なのって言ってた理由が今では分かる。
私もお姉ちゃんも中学生高校生とめちゃくちゃグレてしまった。
私はよく夜遊びして遅い時間に帰ってきて母に怒られ心配させた。
お姉ちゃんとはよく喧嘩をしてて、大人になるまではお姉ちゃんが大嫌いだった。
お姉ちゃんは一言で不良のようになってる時期もあった。
家族も私たち姉妹も喧嘩ばかりだった。
はっきりいって生活が苦しかった。
高校の修学旅行代を頑張ったバイト代を使うくらいだ。
当たり前に何でもしてもらえる家庭がむしろ羨ましかった。
お陰様で勉強よりも家事とかの方が出来る女に育ちました。
米研げない。洗濯回せない。え?家にお金?入れてないよ?とか言ってる友達がいたら
なんだか、、なんとも言えない気持ちになった。
当たり前に家に帰ればご飯があって
部屋が綺麗でお小遣いももらえるなんて、大間違いだ。
大人になったら更に家に沢山お金を入れた。
私もお姉ちゃんも母を助けたかった。
生活が辛くて借金もした。
それがひびいて私が一人暮らしをする時かなり苦労した(笑)
審査に通らなくて5回くらい落ちて。
その時に友達が励ますようにこう言った。
トーマス・エジソンの話だ。
彼の名言がある。
『私は失敗をしたことがない
ただ、一万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ』
100回ダメでもいいじゃん!101回目で成功するかもしれないじゃん!!
みたいに言われて
100回審査落ちたらもう家借りるの辞めるわwwwwww
って思ってとても元気が出ました。
ちなみにお家借りれたけども
上からの物音と下からの声がうるさすぎて不快
トイレと風呂が一緒でトイレ床がびしゃびしゃで
風呂掃除してるのかトイレ掃除してるのか
そして料理どうやってするの?ってくらい
小さなおかって。
そしてGの出るマンションでしたが
今では良い経験になりましたʅ(◞‿◟)ʃ
一人暮らし自体は前からずっとしたいって言ってて。
父はどうしようもない人で
母は家の事をやってくれるけど
働くとお金を当てにされると言って
もう何年も専業主婦
(年齢的にも面接受からず)
諦めてしまった母は生活に困ると
お姉ちゃんや私からお金ちょうだいと言うようになりました。
昔からお金ならあげてたけど。
変わろうとしない両親、部屋の散らかり、母の毎度の父などの愚痴。
お姉ちゃんも専業主婦。
お金のことで何かあったら私しか頼る相手がいないのは分かっていたけど、生活保護の話も、団地に住む話も、タバコ辞める話も、実家によく世話になってるお姉ちゃんに働いてもらうとか。
娘にお金貰いたくないと思わないのか。
もうストレスに耐えられず母の反対を押し切り泣かれて無理して家を出て行きました。
あれからというものの、両親の老後が心配でまたお金を渡そうかと思ったし実際困ってた時にいくらかあげたりしたけど、お金返してくれなかったり、ボーナス勝手に使われたり。そんで問い詰めたら謝りたおすだけで。毎月1000円ずつ返すからごめんねとかもない。
父はプライドが高いのか
ほんっっとうにありがとうもごめんなもない。
母に怒鳴るように怒ってしまったことがある。
何も変わらない。
貯金どころか生活費が足りない。
借金も払い終わらない。
家族は好きだけど、家を出てから昔ほどLINEも来なくなったしお金ちょうだいって言われなくなった。今は。じゃなくてこの先もそうでありたい。
家族が困ってるなら当たり前なのかもしれないけど
お姉ちゃんに言われた言葉がひっかかった。
『そんなに家にお金を入れるのが嫌なの?』
そういうことじゃない。
確かに大金を入れたこともある。
今まで、母も働いていた頃は助けようと思って
私もあげれるだけあげてた。
最高5〜10万あたり。
いろんな家庭があるだろうと思うけど
家にお金入れてないとか携帯代も親に払ってもらってるとか言ってる高校の同級生が羨ましい限りだった。
私はよく学費遅れてた(_ _)
母はどうしてこんなに働かなきゃいけないの?みたいな考えの人だったから娘を養う為に昼も夜もやって稼げるもんは稼ごうと言うタイプではなかった。
父もお金使いは変わらなかった。
もう、病気だと思った。
もちろんお姉ちゃんも変わっていない。
家族を変えようともした。一緒に区役所行こうとも言った。
私がお金をあげるだけじゃなにも変わらない。
両親の将来を若い時から考えては病んでた。
でも、私は私の道を、生きることにした。
人を変えるのってそう簡単じゃない。
何年も前から何回も言っても変わらない両親はこの先も変わらないだろう。
借金してて払えないの、助けてほしいとか連絡きたらどうしようと思うレベルだ。
家を代わりに借りてあげようかとも考えたし
貯金を少し、、とも考えたこともあったけど。
精神病みながら汗水流して稼いだお金だ。
なんか凄い頑張ってるならわかるけど
何も頑張ってない
変わろうとしない両親。
私は自分のことを考えることにした。
実家の物置き部屋が汚部屋でも
冷蔵庫にいっぱい貼り付けられた請求書が目に入っても
頑張って借金だって返したんだ。
正直、これが私の両親なのかと悲しくなる時もあった。思いたくなかったけど、毒親だなと思った。
過保護で物を捨てられない体質の母。
年金もまともにもらえない給料が安定しない父。
何年経っても働かない姉。
そろそろ自分の幸せも考えようと思って離れた。
私は両親と埋まらない溝がある。
でもたまに実家には帰る。
今が1番良い関係だ。
ほとんど喋らないけど母の手料理を食べる。
腫れ物に触るような態度に見える時があるけど
これでいいのだ。
こんな家庭で育ったおかけで家事は一応出来るし
私もお姉ちゃんも人の気持ちを考えるように育った。(家族の為に稼ごうとか、母の手伝いしようとか)
無理して理想の家族になれなくなっていい。
これが私の家族の形だ。