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連合赤軍映画としての『鬼畜大宴会』

 国立映画アーカイブで、熊切和嘉監督の『鬼畜大宴会』を観た。フィルムで観るのは公開以来だから、24年ぶりか。
 知っているひとは読み飛ばしてほしいが、70 年代の左翼グループの崩壊を、残酷スプラッターを加味して撮られたこの映画は、大阪芸術大学映像学科映画コースの卒業制作であり、PFFの準グランプリ選出後に一般劇場公開されるという〈出世コース〉を歩んだ。

 久々に『鬼畜大宴会』を観て思ったのは、連合赤軍事件関連の映画は、結局、本作を越えるものはなかったのではないか、ということである。
 森恒夫を思わせる獄中自殺を遂げるリーダー、永田洋子がモデルとおぼしきサブリーダー、森の中でのリンチ、終盤は廃墟ホテルへとたどり着く展開からして、本作のモデルが連合赤軍事件なのは明らかだが、この映画が作られた時点では、連赤絡みの映画は小林正樹監督の『食卓のない家』がある程度だった。
 80年代以降、何度となく噂が出ては立ち消えになったのは、『青春の殺人者』『太陽を盗んだ男』の長谷川和彦監督による『連合赤軍』。あさま山荘を購入して撮影に使用する計画まで立てたが、〈連赤を映画化することは日本の戦後左翼史を総括することだ〉といった声もあるなかで(長谷川は連赤メンバーと同世代である)、長い歳月をかけて繰り返し構想を練ったが、実現できないまま今に至っている。
 そこへ、アッケラカンと1974年生まれの熊切が悪趣味スプラッターで連赤をモデルにした映画を撮ればヒンシュクを買ったのは当然で、しかし、その確かな描写力(もともと1時間程度の内容の脚本で撮っているうちに2時間弱に伸びたこともあり、内容より描写に比重がかかっている)が注目されたことは、公開時に若手からベテランまで多くの著名な映画監督たちのコメントがチラシに並んだことからも分かる。

『鬼畜大宴会』 ©鬼プロ

 この映画の公開から3年後に、山岳ベース事件を中心に描いた高橋伴明監督『光の雨』が登場したのは偶然ではないと思う。その翌年には原田眞人監督『突入せよ! 「あさま山荘」事件』も公開され、アンタッチャブルに思われていた連赤映画に解禁ムードが漂うようになるが、それを後押ししたのは『鬼畜大宴会』だったのではないか。
 しかし、〈商業映画〉として作られたこの2本は、条件付きで撮られた連赤だった。『光の雨』は事件を劇中劇として描き、『突入せよ!』は警察側の視点からしか描かれず、正面から連赤が描かれるのは、若松孝二監督が〈自主制作〉で『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を撮るのを待たねばならない。

 そういえば、『鬼畜大宴会』の公開時に対比されたのは、ルチオ・フルチらのスプラッター映画ではなく、若松孝二の映画だった。実際、同志粛清へと至る流れは、性描写も含めて、連赤事件が起きる直前に〈予感の映画〉として若松が撮った『性戝 SEX JACK』や『天使の恍惚』を思わせた。
 『鬼畜大宴会』が、若松映画からはなれて独自性を見せるのは、森で行われる凄惨なリンチ場面からで、銃弾で吹き飛ばされる頭部のリアルな造形は、今観てもよく出来ている。そうした過剰な見世物性と共に、廃墟で三島由紀夫風の男が日本刀で同志たちを粛清していく姿は、長谷川和彦が『連合赤軍』で超能力者(!)を登場させようとしたように、超越した虚構の存在によって、現実の後追いではない〈超虚構〉を作り上げようとした姿勢に通じるものがある。

 連赤映画に共通する問題点は、悔恨の念がにじみ出てしまうところで、事件後の裁判やメンバーたちの著作を参照して脚本を作れば、当然、反省の言葉が書き連ねてあるだけに、そこに引きずられてしまう。しかし、山岳ベースでのリンチにしろ、あさま山荘での権力との攻防にしろ、その最中は当然ながら反省も悔恨もない圧倒的な高揚感と狂躁状態にあったはずで、映画で観たいのは、そうした瞬間であり、「みんな勇気がなかったんだ」(注1)などと泣き叫ぶ姿ではない。『鬼畜大宴会』の無思想的とも言われた狂躁こそは、そこに最も近づいた瞬間だったのではないだろうか。


(注1)『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』で、最年少(16歳)の加藤元久がこの言葉をクライマックスで口にするが、『2022年の連合赤軍』(深笛義也 著、清談社)で兄の加藤倫教は、「弟はそんなこと言ってません。弟は指導部をすごく信じてたので、そんなことを言うわけがない」と否定している。


『鬼畜大宴会』
1997年(劇場公開は1998年) 日本・カラー・107分
監督・脚本/熊切和嘉 出演/三上純未子、沢田俊輔、木田茂、杉原畝行

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