あなたの短歌よみます!!第4回
8/20(火)にXのスペースで「あなたの短歌よみます!!第4回」という企画を行いました。
募集のポストにいいねをして頂いた順に、16名の方を選ばせて頂き、その方のタイムラインで気になった短歌と川柳を鑑賞しました。
この記事はその文字版です。
気持ちだけが先行して、自分が意図しなくても行動が伴っていないことってあるんじゃないかなと思いました。
植物そのままの読みもできますね。
でも、おそらく人間のありかたを例えていると思うんですよね。
他人が自分に向ける感情、主に好意的なものが、枯れてしまわないでと願う。
逆に自分から他人に向けている感情が、枯れてしまわないでと願う。
また、自分の中で何か趣味でも特技でも仕事でも物事に対しての情熱が、枯れてしまわないでと願う。
主体は相当追い詰められた状況なのでしょう。
本来それらを継続するためには、「水」が必要だということも忘れて、一心に祈っています。
「あげてなかった」という過去形から、恐らくそれは枯れてしまったのでしょう。
枯れてしまったものは、悲しいけれど蘇りません。
主体には、失ってしまった現実を受け止めて、今度は水をあげてバランスを取って、めげずに、新しい何かに向かってほしいと思いました。
コミュニケーションのずれを感じる一首です。
お土産を配るということは、長期休み明けでしょうか。
楽しかった?とか何乗ったの?ではなく、「彼女ができた」という断定。
ちょっと下世話な感じがしますね。
主体は、相手の断定を肯定も否定もしなかったのだろうと推測しました。
職場の人とそこまで踏み込んで付き合いたくないなぁという気持ちが読み取れます。
結句の「されてね」が、誰かに語りかけているようなのですが、あまり返答を欲していないように感じました。
ペットや植物にぽつりとこぼしたような感じが私はしました。
そして、最後には「まあ、どうでもいいんだけどさ」という言葉も聞こえてきそうだなぁと思いました。
転職の初日は緊張しますよね。
良い職場だろうか、自分は溶け込めるだろうかなどと不安や期待が入り混じります。
「転職初日」を切り取っているということは、主体は初めての転職だったのかなと想像しました。
「準備した」とあることから、第一印象を少しでも良くしようという主体の努力を感じます。
自分のスキルや、意気込み、特技や趣味を言語化し、これだと長いか?とか、でもここを削ると短すぎる気がするし…などなど試行錯誤したのでしょう。
結果として、その自己紹介は披露されずに終わりました。
歌にはなぜ披露することが無かったのかは書かれていません。
同僚や上司が忙しくて放置されたのか、特に紹介もなく無感情にただ仕事を振られたのか。
主体はもやもやしているんじゃないかなぁと思います。
主体はその後、この職場に馴染めたのでしょうかね。
この職場じゃなくてもいいから、社会ですとか集団に幻滅せずに、暮らしていってくれていたらいいなぁと思いました。
神話で浮気といえば、ギリシャ神話のゼウスが有名ですよね。
詳細は知らないのですが、あの手この手で女性と関係を持ち、子供を授かっているという印象です。
「全知全能の神」だから、あらゆる事象に関係させなくてはいけないという、メタ的な読みもできますね。
さて、このお歌についてですが、最初はラブラブカップルさんのお話かなぁと思ったんですよ。
のろけかしらと思いました。
ただ、「わたしたち星座になれないね」と相手に言っているんですよね。
ちょっと圧がかかってませんか…?と思わないでもないです。
「浮気なんてしてないよね、信じてるよ(圧力)」みたいなものも感じなくもないんですよね。
私の勘繰りすぎかなぁと思いつつ。
とりあえず、主体は星座になりたいなんて思っていないですよね。
有名になったり、誰かの指針になったり、そんな特別な存在にはならなくてよくて、平凡な「わたしたち」でいたいんですよね。
この言葉を受けて、相手はどう思ったでしょうね。
「浮気」という具体的な言葉にどきりとしたのか、それともそんな言葉はまったく他人事の相思相愛カップルさんなのでしょうか。
きっと後者なのだろうなぁと思っておきましょう。
「言うなよ」というちょっと強めな言い方が好きです。
謙遜しすぎる相手へのいら立ちを感じますよね。
言霊という言葉もあるように、人間は普段から発している己の言葉にとらわれて、その通りの道を歩んでしまったりします。
自分を卑下してしまう相手を、引っ張り上げようとしている主体がいいなぁと思いました。
と、ここまでは、「主体と相手」というように考えていたのですが、主体が自分自身に言っていると考えてもいいなぁとも思います。
自分を下に表現してしまう癖がついてしまっている自分から、変わろうとしている主体を表現している、と読むのもよいなぁと思います。
「じぶん」がひらがなになっているのが、より内面を表しているように感じました。
テーマ「消してしまいたいもの」で詠まれた一首です。
壮大なものから、かわいいもの、深刻に思えるものが並んでいますね。
順に追っていきますね。
「果てしない過去」は、自分自身だけではなく、人間の争ってきた愚かともいえる歴史を表現していると読みました。
「昨夜のおかわり」は、食べ過ぎて体重が増えてしまうのを気にしている主体かな。
「無言の時間」は、人と一緒にいる時に無言になるのが苦手なのかなと思いました。主体は気遣い屋さんなのでしょうかね。
そして、問題の「幼い私」です。
これは、自分の中に残っている幼い部分かなと思いました。
主体はもしかしたら、感情的になったり、落ち込み過ぎてしまったりするのを気にしているのかなと思いました。
でも、嬉しかったり、楽しかったりを素直に感じて表現するのは「幼い私」が、主体の中にいるからなのではないかなぁと思います。
消してしまいたいものの中に「幼い私」が並んでいるのはちょっと悲しいです。
できれば「大人になった私」が、「幼い私」を守って大事にしてあげてほしいなぁと思いました。
主体と相手との関係性がとても穏やかで、満ち足りていることが伝わってくる一首です。
「気のやさしい人」とあることから、主体は相手の気質のおかげでこの暮らしが保たれていると思っているようです。
ですがおそらく、主体と相手だからこそ、構築できた暮らしなんだろうなぁとなんだか羨ましくなりました。
「花を渡し合う」がとても好きです。
泣きたくなるような奇跡みたいだなって思います。
このまま二人で歳を取っていこうねと約束しているようで、とても素敵な一首だと思いました。
「百合の蕾」とあることから、咲く前にだめになりかけているんですね。
主体は恐らく気軽に、ちょっと舐めた感じで、「もうだめかなー」と何の気なく触れたのでしょう。
そこで想像以上の柔さ、冷たさ、存在感に「生々しさ」を感じ、「慄く」ほどに衝撃を受けています。
「慄く」は「おそれ震える」という意味だそうです。
「おそれ震える」というのは、禁忌に触れてしまったような感覚です。
まだ確かに生きている百合を、死んでいるていで触れてしまった主体に、電撃が走るさま。
この一瞬を描写しているところがよいなぁと思いました。
「くださいって言えなかったな」ではないのが、複雑な心境を感じます。
主体は紙エプロンがいらないんでよね。
だから現状は問題ないんです。
でも、「紙エプロンいりますか」って訊かれると当然のように主体は思ってたんですよ。
それをスルーされてしまった。
「紙エプロン」が二回出てでもこの台詞が丸々入っていることで、より主体の違和感が強調されています。
店員さんにとっては、マニュアルの中の一言を忘れてしまったくらいの軽い感じかもしれません。
しかし、主体はそこで「大事にされていない感じ」を感じ取ってしまったのではないでしょうか。
「訊かれなかったな」という主体の心情の吐露は、恐らくこのまま主体の心のなかだけに沈んでいきます。
傷ついたことにするにはあまりに小さな出来事が、主体を傷つけていることを表現している一首だと思いました。
「知らないわたし」なのに、「会い直す」なのが面白いなと思いました。
知らないけれど、もともとは私の一部だったわけだから、本当は知っていたとも言える?
なんだかこんがらがってきますね。
意識していなかったけれど、文字にされて初めて、「私もこう思っていた!」と発見することはありますよね。
そういう出会いを表現しているのかなぁと思いました。
本を通り越して、著者が出てくるのがまた面白い。
「蜜月のゆれ」は、主体と著者がふたりゆったりとチークダンスを踊っているような感覚になりました。
スーパーなどで、なるべく賞味期限の長いものを取るために、棚の奥の方から商品を取る仕草ってありますよね。
牛乳って特に賞味期限が短くて気になりますよね。
大体一週間ほどでしょうか。
「まだしばし」が牛乳の賞味期限にかかって、効いてきいます。
何年も、何十年も生きる決意をするのは難しいですが、一週間くらい先を生きている自分だったら想像できますよね。
「今日もまた」なので、主体はこういう思考を繰り返して、短いスパンを積み上げて生き延びてきたのだと感じました。
一番奥を取っているということは、今の自分にできる一番長い期間を選んでいるということ。
そこに、主体の生きようという気合を感じて好きだなと思いました。
「ラムネ」が飲み物か、タブレットか迷っていました。
夏ですし、喉につかえているものを飲み下している景なのかなと思い、飲み物として読むことにしました。
中三の時に主体は、何か苦しいことがあったのかなと想像します。
中三の夏といえば、進路を定め、受験勉強に本格的に入り始める方が多いでしょうか。
自分の心身の成長、友人との関係、家族との関係、悩みは尽きませんよね。
主体は、夏になると特にその頃のことを思い出し、「喉につかえて」ということは苦しく思っているのでしょう。
喉がつまったら飲み物を飲みますよね。
「ラムネで」ではなく、「ラムネと」なのが、ラムネが擬人化されていて面白いなと思います。
主体にとってはラムネが味方なんですよね。
舐め合うというのが、猫が寄り添ってペロペロ舐めているような景を思い浮かべました。
また、自分を癒す方法を知っている主体は、苦しみながらも大人なのだなぁとも思いました。
結句の「音を奏でる」が、自分の人生を自由に響かせている感じがして好きです。
野に咲く花は摘まれることを待っていませんよね。
しかし、「音を鳴らす」ではなく、「音を奏でる」であるのは、他人に聴かれたいと少しは思っているのではなかろうかと思いました。
主体は自分自身の音を奏でます。
この歌では恐らくひとりでしょう。
でも時には誰かと演奏してみるのもよいかもしれません。
ひとりでいたり、ふたりでいたり、たくさんの人といたり、またひとりに戻ったり。
人生にはいろいろな時期があるよなぁと想像すると、楽しい気持ちになりました。
「空っぽの心」ということは、主体は何かを懸命に行った後なのではないかと想像しました。
燃え尽きたあと、出し切ったあと、主体は茫然としています。
泣くこともできません。
空っぽではない心にしたいと主体は思っているのでしょう。
それが「良いこと」「正しいこと」と思っているようです。
しかし、疲れ切った主体に必要なのは、何も考えず休む時間なのではないかなぁと感じました。
いつか自然に涙が流れる日が来ると思います。
そのときに、主体の心は新しいもので満たされていくだろうと思いました。
こちらの作品は川柳です。
同人雑誌の「水脈」第66号に掲載されている作品です。
川柳の読み解きは、短歌よりさらに手さぐりですが、せっかくいいねをして頂いたので、読み解かせて頂きます。
「椅子」が何を表しているのかを考えました。
私は「人間を支えるもの」というイメージが出てきました。
かつてのぼくは「人間を支えるもの」だった。
今のぼくはどうだろう。
誰かのために生きているだろうか。
座禅をする。
余計なものをそぎ落とす。
出てきたのは、今と昔の自分の違い。
また、「椅子」になることはできるだろうか。
「人間を支えるもの」になることはできるだろうか。
できるかどうかではない、自分はそうありたいのだ。
信念のようなものを感じる一句だと思いました。
連作から取らせて頂いた一首です。
とても透明で、繊細で、そのまま受け止めたいお歌だと思いました。
「にがす」と「のがす」で迷ったのですが、口に出すと「にがす」がしっくりきたのでそう読ませて頂きました。
「うまれたての水滴」は、こぼれでた新鮮な感情なのではないかと思いました。
愛しいとか、好きだとか、プラスな感情。
憎らしいとか、どうしてそんなとか、マイナスに寄った感情。
そういう色んな感情を、一切解釈せずにただただ受け止めて、そのままどこかに行っていいんだよと言っているように思いました。
区切りの不安定さが、こぼれ落ちていく水滴の予測のできなさを表現しているようで、好きだなぁと思った一首でした。