僕が悪役を好きな理由。
妖怪、幽霊、おばけ。
僕はこういった存在たちが好きだ。
幼少の頃、図書室で借りてきた地獄絵図の絵本を
を読み彼らの存在に惹かれた。
普通の子なら怖いとか気持ち悪いと
思うのだろうけど、
僕の場合は「面白い!」だった。
そして僕はさらに運命的な出会いを果たす。
それは水木しげると言う人物だ。
妖怪研究の一人者にして妖怪漫画家、
そして本当に妖怪や他の超常的な存在を
信じ体験もしている人。
この人の作品「ゲゲゲの鬼太郎」は
僕の幼い頃の人格形成に大きく影響を与えおり、
今の僕がアニメや映画などで悪役を好きなのには、
これが関係している。
ゲゲゲの鬼太郎では妖怪が悪として描かれることよりも、
人間が悪として描かれることが多かった。
もちろん全てがそうではないけれど、
話の大半は人間が封印を解いたり、
約束を破ったり、妖怪の住処である山や森を犯したり、
妖怪だからと迫害したりすることが
原因となっていた。
それらの話を目にした僕は
「妖怪が可哀想だ」
「なんで住処を荒らすの」
「人間と妖怪が好き同士でもいいじゃん」
「正義ってなんなのだろう?」
「妖怪って本当に悪い存在?」
と思い始めた。
人間サイドからは悪とされる妖怪たちが
実はそれぞれに事情を抱えていて、
決して絶対悪でないことを僕はゲゲゲの鬼太郎から知った。
それから僕はどんな作品でも悪役を応援するようになった。
アンパンマンならばいきんまんを、
ゲゲゲの鬼太郎なら妖怪サイドを、
特撮ものなら怪人を、
ウルトラマンなら怪獣を応援した。
そしてゲゲゲの鬼太郎でもっとも好きになった
キャラクターが一人いる。
それは「ねずみ男」だ!
人間と妖怪のハーフであるがゆえに、
どっちつかずの半端者扱いをされ、
悪事ばかりを働きすぐに裏切るので
鬼太郎以外から総すかんを受けている彼。
しかし、僕は子供ながらこう思った。
「ねずみ男はお金も居場所もないから
必死でそれを手に入れるために悪事だろうと
加担してるんじゃないか?」と。
そう思った途端、僕は彼がどんな思いで
生きてきたのだろうと胸が熱くなった。
皆に理解されず、自身の体質から妖怪にも人間からも嫌われ、
その上毎日ひもじい思いをする。
そんな人生を300年も送ってくれば、
どんなに悪いことだったとして普通の生活を手に入れる
チャンスだと思い藁をも掴む思いで加担する。
彼が鬼太郎を裏切れば他の妖怪や人間たちは
「恩知らずだ」
「酷いやつだ」
と怒りをあらわにする。
しかし、彼らはねずみ男を責められるほど
正しいのだろうか?
日頃から彼に優しく接していたのだろうか?
そう考えた時に唯一思い浮かぶのが、鬼太郎。
彼以外はねずみ男のことを忌み嫌い、
理解しようともしなかった。
そんな彼らが何故ねずみ男を責められるのだろうか?
これは学校や社会でも置き換えられる話だ。
一人をみんなで責めた時、第三者がかばえば
それさえも悪とされてしまうケースがある。
実際鬼太郎が妖怪たちをかばった話では
人間から嫌われたり、罵声を浴びせられたこともある。
それでも彼は妖怪と人間の共存を望んで
戦い続けてきた。
そんな鬼太郎でさへ、人間へ怒りを覚え
憎んだことさえある。
彼がピンチとなればねずみ男は必ず助けにくる。
これは鬼太郎とねずみ男の間に真の絆「友情」があるからだろう。
僕も理不尽に総すかんをくらったことが小・中とあった。
その時に改めて思った。
「人は誰かを悪として自分の立場を保護したいんだな。」と。
いじめを無視すれば、自分に被害は及ばない。
自分でなければそれでいい。
こういう考えが蔓延した空間にいなければ
ならなかった子供の頃は苦痛だった。
でも、僕は水木先生のことまである
「ケンカするな腹が減るぞ」を念頭におき
争わない道を選んだ。
わざわざ自分のエネルギーと時間を自分が好きでもない
相手に使うほど無駄なことはないと思った。
そして、決意した。
一人でなんでもできるようになればいい。
大きな世界を自分の中に作ればいいと。
僕には妖怪たちがいる、彼らや水木先生から多くを学び
たくさんの経験と想像力を得るほうが何よりも楽しく、
自分にとって重要だった。
こういった経験をした後に僕は高校のデザイン科に入学し
卒業する前には最後の作品として地獄絵図を描いている。
これを描いてる間はもう楽しくて仕方がなかった、
親友と作業場は同室で二人でああだこうだ言いながら、
自分の中の妖怪愛を地獄と言う形で書き起こしていく。
それは至極の時間だった。
自分の経験したことを全て注ぎ込んだその作品は今でも
自宅に大事に保管している。
僕の成長過程において「妖怪」という存在は
真の正しさと自分を貫き通す勇気をくれた。
この先もずっと僕にとって無くてはならない存在なのです。
水木先生の「見えんけどおる」と言う言葉には
妖怪達が目には見えないが必ずいると言う意味ですが、
僕はこうも思います。
目には表立って見えない悪や善があるし、
目に見えないが確かに存在する自分の価値観や
世界観を信じたり想像することは
自らの成長にもつながると言うことだと。
なので、僕は悪役が大好きなんです!