小説 「僕と先生の話」 1
1. 求人票
僕は、面接で、正直に全てを話した。
新卒で入った製薬会社を、うつ病を発症して辞めたこと。その後、一年近く無職だったこと。どうにか社会復帰をしてからの数年間、いくつかのアルバイトを転々としながら、今も通院していて、薬を飲んでいること。体調は不安定なままだが、多少は無理をしてでもアルバイトの掛け持ちをしないと、生活ができないこと。頼れる親族は一人も居ないが、うつ病としては軽症であり、就労が可能であることを理由に、公的な支援が受けられないこと。35歳という年齢的に、定職に就いていないことに対する焦りを感じていること。
面接官は、とても人当たりが良く、穏やかに話を聴いてくれた上に、その場で採用が決まった。
まずはアルバイトとして働いてみて、体調と働きぶりを見ながら、正社員への登用を検討してみるという。
よほどの人手不足なのだろうか。
工場で働くのは初めてだったけれど、面接官だった部長は、懇切丁寧に仕事を教えてくれた。僕が業務や会社について何を訊いても、無知だと嗤ったり、不学を責めたり、事実を隠したりは、しなかった。質問をすれば、冷静に答えだけが返ってきた。部長は、僕がどれだけミスをしても、冷静に淡々と対処法を教えてくれた。「次からは気を付けろよ」と、穏やかに言うだけだった。
過去に働いてきた会社では、そんなことは起こり得なかった。
この会社では、理不尽な理由で怒鳴りつけられることも無ければ、人前で罵倒されることも無い。体罰や、私物の破壊・盗難も無い。業務の都合で、勤務時間が予定より長くなる日はあるけれど、その分の時間給はきちんと支給されるし、深夜の時間帯にまで働くことはありえない。シフトは、ほぼ完全な自己申告制で、休日に呼び出されることはない。終業後や休日に、お叱りのメールが来ることもない。「プライベートタイム」というものが、しっかりと存在する。ここで働き始めてから、日に日に体調が良くなっている。
帰宅後に、夕食を作りながら涙が滲んでくる日々が続くほど、僕は嬉しかった。
人生で初めて、人間らしい働き方をしている気がした。素晴らしい会社を見つけたと思った。
僕は、勤務先をひとつに絞ることを決めた。
しかし、日が経つごとに、僕の認識は変わっていった。
2ヵ月に渡る試用期間が終わった途端、部長は僕を「弟子」と呼ぶようになり、接し方が、だんだんと厳しくなり始めた。
社内には、他にも部長の「弟子」はたくさん居て、彼らは皆、並外れた身体能力の持ち主だった。学生時代に野球、サッカー、ラグビーなどの全国的な大会で入賞経験がある人達や、空手の有段者、趣味でフルマラソンを走る人、元自衛官、遠洋漁業の経験者といった、強者揃いだった。部長自身も、柔道の有段者だ。部長とその「弟子」達は、過酷な工場勤務に耐え得る、強い身体の持ち主ばかりだ。
僕には、体育の授業以外にスポーツの経験はない。それに加えて病気持ちの僕が、彼らと同じように働くのは到底無理だと進言したけれど、部長は「おまえは賢い。素晴らしい戦力になる」としか言わなかった。
僕は、身分はアルバイトのまま、部長一推しの「期待の新人」として、若手社員と同じ業務を行うことになった。
「体調と働きぶりを見ながら……」
面接時の、部長の言葉が、重く感じられた。
ここが【登竜門】なのだろう。
健康な若手社員達との接点が多くなると、日ごとに、劣等感が募っていった。
年下とはいえ職歴が長い彼らは、新参者の僕なんかより、よほど仕事ができたし、業界の慣習や動向に詳しかった。彼らの、専門用語ありきの日常会話が、僕には外国語のように感じられた。
僕は、勤務時間内によく目を回してふらついていたし、古い工作機械の扱い方をなかなか覚えられず、中卒や高卒の先輩達に「大卒なのに?」と、からかわれた。しかし、僕はこれまで工学とは無縁の生活を送ってきたし、これだけ古い設備は、今どきなかなかお目にかかれないだろうから、学歴は関係ない。
30〜40年前に製造された工作機械たちが、とても大切にされ、今も現役なのだ。
この場所では、技と、根気と、センスと……身体能力が物を言う。
腕力や持久力だけではない。物を立体的に視る力、寸法や色味の僅かな違いを見極める力、長時間に渡る立ち仕事や踏込みに耐えられる脚力、高熱や粉塵に耐えられる強靭な心肺。高速で回転し続ける刃物や砥石を見続けて、目を回さずに、正確な数値を出し続けられるか……。努力や工夫だけでは埋まらない溝が、そこにはあった。
毎日、与えられた仕事が終わる頃には、僕は目眩と吐き気で、会話すらままならない状態になった。
まっすぐ歩けない、まともに話せない、酔っ払いみたいになっている僕を見る度に、屈強な先輩達は笑い転げていた。
どれだけ自分がフラフラになっても、製品の寸法だけは守り抜いていたけれど、帰る前の僕は、いつも無様なものだった。更衣室で着替える前にトイレで吐くのが、日課になりそうだった。
こなせる仕事量が、どれだけ増えても、楽になる日は来ない。容赦なく、与えられる仕事が増えていく。過重労働というやつだろう。
しかし、懲りずに挑み続けるだけの価値はあった。日ごとに、自身の手技の上達を実感することが出来る物づくりの仕事は、ささやかでも確かな自己肯定感を与えてくれた。
終業後、駅まで歩くことすら出来ないほどに疲れ果ててしまった日は、部長が車で家まで運んでくれた。
部長だけは、僕を「筋が良い」「ミスが少ない」「確かな物を作る」と、事あるごとに褒めてくれたけれど、他の先輩達にとっては、僕は「後から来たザコ」でしかなかった。
彼らは、良くも悪くも「この仕事のためだけに生きてきた」期間が、長いのだ。もはや、外部の一般人の感覚が、分からないのだろう。
まるで漫画の中の海賊船のような環境で平気な顔をしていられる彼らにとっては、女性や精神疾患の人間なんて、対等な存在ではないらしい。そして、彼らは性別や病気を理由に他者を見下すことはあっても、決して、弱い立場にある人々を労ったり守ったりはしない。自分達を「勝者」だと信じ込んでいる。脱落者には見向きもしない。
無茶苦茶な段取りについていけない弱者に手を差し伸べる「まともな大人」は、おそらく部長だけだ。僕以外にも、抑うつ状態だと見受けられる人を数人見つけたけれど、部長は誰に対しても優しかった。どんな人材であっても、当たり前のように【生きた人間】として丁重に扱うことができる人だった。
しかし、どれだけ部長が優しくて良識のある人でも、辞めていく人は後を絶たない。毎週のように新しい人が入ってきては、数ヵ月後には居なくなる。
僕は、働き始めてから6ヵ月を過ぎた頃、すっかり寝つきが悪くなり、必要な眠剤の量が増えた。満足に眠れない日々が続き、日中に頭がぼんやりすることが増えた。
図面を読み違えたり、小学生レベルの暗算ができなくなったり、自分でも驚くほどの初歩的なミスが増え、一部の社員から「ポンコツ」呼ばわりされるようになった。
部長の「弟子」達の間には連帯感が無いことも、判ってしまった。僕達は「同門」や「仲間」ではない。皆、自分と家族が最優先なのだ。おそらく、納期に追われ続ける彼らにとって、同僚や部下は「駒」なのだ。(部長は彼らを【生きた人間】として尊重していると、僕は信じている。)
激務に追われ続ける部長は、急に出張が増えた。
ふらついて大事故を起こす前に、休憩を……と、心がけてはいたけれど、小まめに休むことについて揶揄する奴を、咎める人がほとんど居ないことに落胆していた。役職者達は、若手が同僚をからかい始めたら、一緒になって笑い転げているだけだ。制止する人は、部長の他には誰もいない。叱責が「パワハラ」と呼ばれることを、恐れているのだろうか。それにしても、嘆かわしい。
部長が不在となる日は、まるで中学校の休み時間だ。性的な冗談か、差別的な嗤いが絶えない。呆れて物が言えない。
しかし、そんな彼らでも、工作機械の整備だけは、絶対に手を抜かなかった。機械の整備不良による事故は、目の当たりにしたことがない。
必要な生活費を稼ぐためには、ある程度の勤務時間を確保しなければならない。比較的体調が良い日に、少し頑張って勤務時間を延長する。
夜、現場での仕事を終えた後、事務所でパソコンを操作する手が止まり、いよいよ頭が何も考えられなくなってきた。頭の奥がビリビリと痺れるような感覚が続くばかりで、思考が纏まらない。
画面が、ぼやけて見える。
悲しくも何ともないのに、涙が止まらない。
うつ病の人は、男女問わず、よく涙を流すという。もちろん、本人の体質にもよるだろうけれど。明らかな理由があって「泣いている」のではなく、目に異物が入ったわけでもないのに、ただひたすらに涙が流れ出てきて、止まらない。
僕は、どこで働いても、こうなる。もはや諦めている。
「おう」
僕が涙を流しているのなんて、お構いなしに、隣の椅子に座った奴がいた。
友達みたいに声をかけてきたけれど、僕は、今まで彼と話したことはない。ただ、存在だけは知っている。彼のほうが、社内では僕より先輩だ。年齢は知らないけれど、僕より5歳くらい下のような気がする。
彼は、耳が聴こえないから、いつも「おう」とか「あぁ」とか、声を漏らすだけで、ほとんど口話はしない。
基本的には一人で完遂できる仕事を任されているようで、彼は大抵、現場で黙々と自分の仕事をこなしているか、事務所の隅で黙々とパソコンに向かっている。部署が違うから、詳しいことは何も知らない。
一部の若手は、彼を「ゴリラ」と呼んで馬鹿にしているけれど、僕は、障害があっても堂々と自分らしく働いている彼を尊敬しているし、彼のように図太く生きられるようになりたい。
何より、彼も、部長の「弟子」の一人なのだ。僕なんかより、ずっと優秀な人材であるはずだ。
「どうしましたか?」
とりあえず、ゆっくり、口の動きを見せるつもりで、話してみた。顔の筋肉が強張っているのが、自分でもわかる。
彼は、手話で何か返してくれたけれど、僕には意味が分からなかった。
彼は、そのまま、黙って手近な付箋に文字を書いてくれた。
【ボスに、こき使われているのか?】
思わず、笑ってしまった。(声を出して笑ったのは、何ヵ月ぶりだろう?わからない。とはいえ、まだ口角を上げることができるという事実に、僕は安堵していた。)
ボスというのは、きっと社長のことだ。非正規雇用の僕が社長と話すことは滅多にないけれど、確かに、僕らがこんなに忙しいのは、あの社長に雇われているからだ。
僕は、彼から付箋を受け取って、机に貼り付けた。
その下に、返事を貼り付けた。
【それは、みんな同じですよ。】
彼は、腕組みをして、二枚の付箋を見つめていた。その後、何度か僕の眼を覗き込んでから、距離を置くようにふんぞり返って、鼻から大きく息を吐き、無精ひげの生えた顎を、ゴリラみたいな手つきで、ぼりぼり掻いた。
しばらく僕の顔をじっと見た後、彼は、足元に置いてあった自分の鞄から、スマートフォンを取り出した。
「お、お……お……」
彼が発する声は、単語にすらなっていないけれど、身ぶりで、連絡先の交換を求めていることはわかった。筆談よりも、メールやLINEで、スムーズな会話がしたいのだろう。
僕は承諾し、LINEを交換した。彼が「よしはる」という名前であることを、そこで初めて知った。
その日は、お互いに「ありがとうございます」とか「よろしくお願いします」とだけ送り合って、会話が終了した。
次の日曜日、「よしはる」からメッセージが来た。
突然送られてきたのは、求人票だった。
仕事の内容は、絵本作家の自宅で、家事をすること。曜日も、時間も、条件はほぼ全て「応相談」で、時給は今の仕事より高い。
(どうして彼が? こんなものを、僕に?)
返信に困って、画面を眺めていたら、再びメッセージが来た。
【姉の世話をしてくれる、心優しい紳士を探している】
予期せぬ展開に、ちょっと頭がくらくらした。
僕は、仕事のことは、ひとまず脇に置いて、お姉さんのことを、少しだけ教えてもらった。
彼のお姉さんは、絵本の仕事に対するこだわりが強すぎて、身の回りのことが疎かになりがちなのだそうだ。そして、人とのコミュニケーションが苦手で、弟の善治か、担当編集者以外の人間とは、会話が難しいのだという。過去にも何人かハウスキーパーを雇ったけれど、誰とも、うまくいかなかったのだという。
【おまえなら、姉とうまくやれる気がする】
いきなり、そんなことを言われても……今の僕は、自分の生活だけで精一杯なのだ。
今の仕事がきついのは事実だけれど、新しい生活について考える余力は無い。
【俺がスカウトしたと言えば、部長も社長も、文句は言わないはずだ】
どういうことだよ。
【僕は、今の仕事を、もう少し頑張りたいのです。】
ちょっと考えさせてくれ、という気持ちを込めて、僕は建前を送り返した。
しかし、善治は引き下がらない。どんどんヒートアップする。
【おまえ、それ以上頑張ったら、死ぬぞ】
【今の会社で正社員を目指すより、バイトのまま、この仕事と掛け持ちをしたほうがいい】
【そして、可能な限り早く、今の会社を辞めろ】
職場で辛そうにしていた僕への気遣いなのか、お姉さんに追い立てられているのか……。
【俺の妻は、この会社に入って5年目に過労自殺した】
事実なのか、それは。
【部長だけは、至極真っ当な御仁だが、あの社長は、平気で人材の生命を喰い物にする】
【部長も人間だから、限界はある。全ての弟子を守り抜くことは出来ない】
立て続けに送られてくるLINEを、僕は読み続けることしかできない。何も返せない。
確かに、この労働環境なら、自死を選んでしまう人が出ても、おかしくはない。
彼の奥さんは、現場ではなく、事務や経理に居たのかもしれない。いずれにせよ、若い女性が労働環境に耐えきれずに逝ってしまったというのは、由々しき事態だ。そして、過去にそのような事が起きたにも関わらず、今なお「実力主義」という名の「身体能力を理由とした差別」が、平然と続けられているのだとしたら……僕が働き続けられる会社ではない。
【おまえ、社員と同じ仕事をするようになってから、時給は少しでも上がったか?】
そういえば、1円も上がっていない。
この地域のアルバイトとしては高時給の部類に入るけれど、月収としては低すぎる。新入社員の半分以下だ。
こちらから「社員にしてください!」と頼み込まない限り、小遣い稼ぎにやってくる学生達と同じ待遇のままなのだろう。
その後、僕が彼に送ることができたのは、
【お姉さんの仕事場を、見学に行ってもいいですか?】
それだけだった。